恋敗れて国家あり(1)〜リオンの視点
幸運なる追い風に乗って、この戦いに勝利した結果、手にした成果は大きく、無謀な試みではあったが、実行する価値は十分あったといえよう。
しかし、失った物も多い。
後日、王都の宮廷にいる父上に報告に戻った時、まず耳にしたのは母パメラ・アトラクタの死であった。
もっと生き汚く無駄に足掻くかと予想していたが、速やかに自ら毒杯を呷ったとの事だ。
執務室にて、一通りの報告を聞き、人払いしてハリーと二人っきりとなり、思わず口から無防備な本音がこぼれ落ちる。
「結局、最期まで自分勝手な人だったな」
ハリーは、その場で身動きせずに佇んだ。
「それでも、殿下の事を一番に思っていたのでしょう」
「王族の母としてはな。俺は玉座など望んでないというのに」
あの人は、母親としては落第だが、王族に嫁いで息子を生んだ女の役目は命がけで全うした。
ショックではないと言ったら嘘になるが、いつかはこうなるのではという予感だけはあったので、然程衝撃は受けなかった。
生みの母が死んだというのに……これも、この身に流れる王族の血がなせる酷薄さなのだろうか。
ただ、人の子として、相手に与えられた以上の感情は……持ちようがない。
今まで、あの人は息子を含めた他人の内面に渦巻く情念を無視してきたからか、俺にとっては母とは思えない程疎遠な存在だった。
さらに、追い打ちを掛けるように、バーナード殿下とアリス嬢が、邪悪な秘密結社の仕出かした後始末のために、未知の世界に飛び込み旅立ったそうだ。
しかも、姉上と謎の多い男子生徒ダン・スターマンも、これに追従したらしい。
まったく……。
つくづく、現実離れした不思議な者達だ。
思い返しても、彼女との邂逅が実際に起きた出来事なのか未だ実感がない。
それでも、俺が渇望し夢見ていた、真実の愛が、アリス嬢とバーナード皇子の二人の間に存在していた。
あの光景は俺にとって福音となった。
打算のない、無償の愛は、確かに、この世界にある、と。
初恋が破れ、この胸には、まだ痛みが残っているが、それでも、この心の傷も時が経てば、いつかは癒えるのだろう。
苦い味わいはあるが、不愉快ではなく、むしろ過去の因縁から解放されて、清々しい気分だ。
俺も、未知の未来を、前を向いて歩いていける。
それは俺の人生にとっては、大きな一歩だった。
しかし、俺とは対照的に、美しい思い出という過去は、ハリーの心に楔を打ち込み、呪縛となった。
ハリーが語る、秘密基地での話は想像を超える内容だった。
「あの人気者のサラ嬢がホライズンズ聖教国が送り込んだ異端審問官だったとはな」
サラ・エンジェルが実は聖教皇直轄のエージェントで、次代の王を見極める密命を持っていたとは、俺とハリーは少しも気づけなかった。
もっとも、ハリーの所属している国内最高峰の諜報機関である内偵調査室ですら把握出来なかった事を、傀儡候補の愚かな王子が分かる筈もない。
「ええ。しばらく立ち直れそうにないです……」
ハリーは社交界では、恋多き男として広く認知されている。
数多くの女性を口説き、浮名を流してきたが、反面、付き合いが長続きした話は聞かない。
『後腐れなく別れるというのも、コツ……繊細で高度な技術が必要なんですよ』
これまで、そう言いつつ澄ました顔で俺に恋のテクニックを講釈してきた。
そんな奴と、今目の前で打ちひしがれている青年が同一人物とは思えない。
俺は失恋を通して成長したが、コイツも失恋をして変わったのだろう。
だが、その方向性は真逆だった。
沈黙が流れる中、どんな言葉を友に投げかけるべきか必死に考え、慎重に言葉を選んだ。
「俺はな、前々から考えていたんだ」
ハリーは顔を上げる。
「お前が、いつか本気の失恋をした時に、絶対に言おうと思っていた言葉がある」
彼は訝しんだ顔で首を傾げる。
「なんですか?」
俺はハリーの顔をジッと見つめて言った。
「ざまぁー」
憔悴して青ざめていたハリーの顔面は、数秒凍りつき……その後、徐々に赤みを増した。
「はぁーーーー???」
彼は伊達男の仮面を脱ぎ捨てて激昂した。
「いきなり何を言うんですか、貴方は!」
「はっ!俺が今まで、お前の毒にも薬にもならないアドバイスにどれだけムカついてきたか!なーにが恋の熟練者だ。一度こっぴどくフラれて玉砕すればいいと、ずーっと思ってたんだ!」
「だからって、そんなこと今、言いますか普通?!こっちは本気で傷ついて死にそうなんですよ!!」
「いーや、今が絶好のタイミングだな!お前も言っていただろう?対象が一番弱っている時を狙ってハートにトドメを刺せ、と」
「それは、そう言う意味じゃないでしょう!大体トドメって、人のこと、マジで殺す気ですかアンタは!!」
「フハハハハハ――!!!」
ハリーの目に光が戻ったのを見て、俺は真顔に戻った。
「で、これからどうするんだ?」
「えっ?」
「諦めるのか?それとも、諦めないのか?」
俺の問いかけに、ハリーは考え込んだ。
「諦め……たくは、ないです。しかし……」
彼は絞り出すように呟き、深い溜息を吐いた。
「今の自分には、どっちの選択も不可能としか考えられません……こういう時って、どうしたらいいんですかね……」
今振り返ると……俺の初恋、アリス・イシュタール嬢は、半ば現状打破の為の目標であり、原動力でもあった。
全力で打ち込んではいたが、恋が成就する可能性に関しては、意識的に思考停止していた。
だから、破れたとしても、悔いはなかった。
何故ならば、全力で試練に体当たりする事自体が、俺の分厚い壁に囲まれていた人生において、大きな意味があったからだ。
しかし、コイツはそうではない。
心の準備もなしに幸福の絶頂から不幸の谷底まで一気に叩き落とされたのだ。
「お前には感謝している」
ハリーはハッとして顔を上げた。
「お前がいなかったら、俺は自ら道を切り開くことも、試練に挑戦することすら諦めていた。何なら今頃はローレンツ一族の一人として、奴らの道連れで破滅していただろう」
「それはご謙遜でしょう……」
「どうだかな。ともかく、この不甲斐ない傀儡王子を見捨てずに支えてくれた恩……お前に大きな借りがあるのは確かだ」
信頼を込めた眼差しで、ハリーを見つめた。
「だから、お前が、これからどういう行動を取るとしても、俺は必ず全力で支援すると約束する。たとえ、それが、どれほど実現不可能な夢物語であってもな」
そう言うと、ハリーは目を見開き、その端正な顔をグチャグチャに歪めて泣き出した。
「で、殿下ぁ……」
「えぇーい、見苦しい、泣くな!鬱陶しい!」
俺が右手を払って宥めるも、奴は男泣きに泣いた。
「これから残務処理で忙しくなる。やらなきゃならない仕事は山積みだ。コキ使ってやるから、覚悟しろ!」
「は……はいっ!」
ハリーの心の傷が癒えるには、まだ時間がかかるだろう。
それでも、彼の為にも、この国の為にも、立ち直ってくれなければ困る。
これほど優秀な人材を遊ばせておく余裕は、今のこの国には一切ない。
程々に忙殺させていれば、ショックも落ち着いて、気持ちの整理もつくだろう。
世話は焼けるが、何だかんだ言っても、コイツは国にとって掛け替えのない人物であり、なにより俺の大事な無二の友なのだ。
■
以前、ヒドラ討伐で協力した生徒達とは、共に命がけの試練を果たした故か、自然と身分を越えた仲間意識が芽生えていた。
しかし……気がつくと、状況の変化と共に、彼らはそれぞれ、別の道を歩み始めた。
ハヤブサ公国からの留学生だったレイ・ソーマは、秘密結社に奪われた国宝を取り戻す密命を果たしたので、母国に帰っていった。
親友であるケイトリン・フォスターやマイクル・スミスとは、相当別れを惜しんだようだ。
成果を上げた留学生の彼女が、順当に出世して国の要人となれば、極めて閉鎖的な彼の国の外交態度も少しは軟化するだろう。
ヒューバート・ウォーカーとドルキャス・フェニックスは正式に婚約を交わした。
アレも器用なのか不器用なのか良く分からない男だ。
だが、商人らしく、大事なモノは決して手放さない強かさは十分あるようだ。
二人の会話は聞いてる方がもどかしく、甘い恋の成就には程遠く聞こえる。
それでも、表面上の言葉や意識が多少すれ違っていても、お互いへの思いの深さだけはちゃんとかみ合っているようだ。
そして、事件の中心人物であったニコラス・グランドは、聖教会から破門となった。
この処分に関しては対象が未成年というのもあり、学園側や教会内でも更生の道を示すべきとの声が多数出たようで、激しい議論が交わされた。
しかし、犯した罪が大きすぎるのと、ニコラス自身が厳罰を望んだ為に、破門の烙印を押されて国外追放となった。
ニコラスは留学生ワジャジャ・モジョーと共に、連邦議会国の辺境へと旅立った。
彼が大人として立ち直るかどうかは、二人の今後次第だ。
■
そして、残された俺達は、自分でも言った通り、後始末で忙殺された。
あのローレンツ家への反乱は、完全に自分が蒔いた種であり、関係者全員、文字通り命がけで成し遂げた戦いだった。
如何にローレンツ公爵一家が悪逆であっても、正式な手続きなしで勝手に暴徒を率いて上位貴族を攻撃した事実には違いなかった。
当然、関わった者全て、何らかの大なり小なりのペナルティが下されると覚悟していた。
しかし、不思議な事に、国や保護者からのお咎めは無く、むしろ何らかの名誉を与えようとする動きまで出てきて困惑する。
……どれだけ恨まれていたんだ、ローレンツ公爵は。
そんなのを後ろ盾にしていた自分の立場の危うさを再確認する始末だ。
やがて、膨大な書類の処理に終わりが見えて、一息付いた頃、俺は思わぬ人物から会談に誘われる。




