夢の行き着く果て
暗黒瘴気は、私を闇に引きずり込み……そして魂に絡みつく。
奴の望みは乙女の魂のようだ。
……ならば……私が闇に堕ちよう……。
“私”は“アリス”との魂のリンクを手放した。
――落ちていく……。
私の意識は、果てのない暗闇を滑るように落下していた。
この暗闇は永遠に続くのだろうか……?
行き着く先があるとしたら……恐らく、そこが死後の世界、なのだろう。
……まぁ、それでもいいかな……。
私は元々、人の子が持つべき生への執着が薄かった。
だって、私は……
この世界の異物だから……。
◇
「――久しぶりだね、元気してた?」
突然、話しかけられて我に帰ると、そこは電車の中だった。
黄昏時と思われる海岸沿いを走る快速列車で、向かい合ったシートに私達は座っていた。
「あ、うん……まぁまぁ、かな?」
仕事帰り、偶然、学生時代の友人に遭遇して、誰もいない車内で、気のおけない会話を交わしている。
社会人になってから、疎遠になった友人だが、それでも話を始めると、十代の空気感を思い出し、少し気分が上向く。
昔話や最近のゲームや小説の話で盛り上がった後、少しの間、空白が空いた。
「こないだ、本で読んだんだけど……」
彼女は遠くを見ながら話し始める。
「人類が生み出したもので最後に残る物って何だと思う?」
私は少し考えて……自由の女神や万里の長城を挙げる。
彼女は首を横に振った。
「地上にあるものは、太陽が巨大化したら地球ごと飲み込まれて、全部消えちゃうよ」
「えー、それじゃ何だろう……あ、ゴールドディスクかな?惑星探査機に乗ってる奴」
確か、人類の情報を記した円盤を搭載した惑星探査機が、今も宇宙空間を彷徨っている筈だ。
「ふふっ、いい線いってるね」
「えー、これも違うの?じゃあ、分かんないよー」
彼女は薄く微笑んで言った。
「電波」
「えっ……?」
「テレビとか、ラジオとか、あらゆる電波。一度放たれた電波って、減衰しながら宇宙を漂い続けるんだって、宇宙が終わる時まで、ずっと……」
彼女は水平線の彼方を眺めている。
空の上空から、次第に夜の帳が降りてきていた。
私は深い思索に引き込まれる。
世界初の無線実験の電波が……
十代の頃に布団を被って見ていた深夜アニメが……
今日、SNSに投稿したワンコインランチの画像が……
地球を飛び出した無数の電波が、宇宙の果てを目指して、何もない虚空の中を、孤独な旅をしている様を想像する。
――虚しい……
いつしか、私自身も、空から追いついてきた暗闇に包まれた。
そんな宇宙もやがては終焉を迎える……。
――無常からは誰も逃れられない……
私は、闇に身を委ねようと、目を閉じて力を抜こうとした……。
『だめぇ――!!!!』
女の子が必死に叫んでいる……
『行かないで!!バーナード様が悲しんじゃう!!!』
“アリス”が泣いている……
泣かないで……アリス。
私は、あなたに返したいと思っていた……アリスの人生を……
『いやだぁ!!行っちゃやだぁ!!』
どうして、泣いているの?
私は、あなたの人生を奪ったのに……?
『お願い!諦めないでー!!』
彼女の心からの叫びが、私の心を大きく揺さぶる。
『置いていかないでよぉ!!“ありすちゃん”!!』
その時、漸く、自分の前世の名前を思い出した。
私の名前は、石田ありす、だと。
……。
そうか……私も、“ありす”だったんだ……。
『そうだよ!バーナード様を笑顔に出来るのは、“ありすちゃん”だけ!なんだよ!』
でも……彼が愛しているのはアリス・イシュタールであって……私は……
『違うよ!バーナード様はいつも、“ありすちゃん”に微笑んでいるの!思い出して!』
そう……彼はアリス・イシュタールという少女を愛している、彼女を見つめる時はいつも笑顔で……あれっ?
私の脳裏にバーナードと出会ってから目にしてきた数々の笑顔が蘇る。
――『この話はしたくなかった……でも、知って欲しかったんだ。君と出会って、君がイシュタールの娘と知って……どれほど僕が救われたのかを』
――『そして、君とみんなと共に暮らすようになって……世界の歴史は『予言の書』に記されているだけでなく、普通の人間の何気ない日常によって支えられているんだと理解して、自分が如何に大きな物語に取り憑かれていたか、その異常性に気がつく事が出来たんだ』
――『あの外伝に登場する魔王は、君に出会わなかったか、君を失ってしまった僕だと、今でも思っている。だから、絶対に君を手放したくない……』
この言葉と笑顔が、“私”に対してのものだと、今になってやっと自覚して……その途端、猛烈に恥ずかしくなった。
うーわー、なんだろうこれ?
何これ?えっ、これが噂の溺愛って奴?
フィクションでも都市伝説じゃなく??
ええー、私が??この可愛げがない事に定評がある私が???
うひゃー。
私は暗闇の中で急激に上昇した心拍数に戸惑い、その辺を転げ回りたい衝動に駆られた。
『“ありすちゃん”も相当にぶちんだねー……』
アリスの苦笑がここまで伝わってくる……不思議ちゃんに言われたくない。
そもそも、私は自分の“ありす”という可愛い名前が、あまり好きではなかった……前世のキツイ感じの見た目と全然合わないから……。
でも……いいの?……アリスはバーナードの事が好きなのに……
私が彼女の思惑が理解できずに戸惑っていると、
彼女は少し得意げに言った。
『私だって!“ありすちゃん”の恋を応援したいんだよ!』
……。
やっぱり、私は、この娘の考えている事が良く分からない……。
でも、私達が、互いに相手を心底思い合っている事は、理解出来た。
結局私は、アリスが大好きで……バーナードを誰よりも愛している。
そして、バーナードは……“私のバーニィ”は、多分全てを理解した上で……私という面倒臭い存在を丸ごと愛している……。
私は、心の底から湧き上がる気持ちを抑えきれずに闇の中で呟いた。
「バーニィ……」
生きる事に何の執着もないと思っていたのに、募る思いが結実し、涙となって頬を伝う。
「バーニィ!!!」
私が心からの叫びを上げると、暗闇の一点から光が瞬き、一瞬で稲妻が空間を切り裂いた。
「アリス――!!!」
バーナードは今まで見た事のない黒いアーマーを纏い、虹色の輝きを放ちながら、猛スピードで接近する。
彼は手を差し出し、私は迷うことなく、その手を取った。
◇
――目を開くと……
最初に目に入ったのは、涙を流すバーナードの顔だった。
「アリス……」
彼の涙は止め処なく流れたまま、破顔した。
「ああ、アリス……良かった……無事で……アリス……」
私は、震える手を伸ばして彼の頬を伝う涙を拭う。
「……泣かないで……バーニィ……」
彼は無言で私を抱きしめる。
「バーニィ……愛してる……」
私が、そう言うと、彼は何度も頷く。
「僕も……愛してる……アリス……」
彼は私を抱きしめ、優しく頭を撫でる。
私は次第に意識が明瞭となり、周囲に目を向けると、見知った仲間達も涙ぐんでこちらを見ている。
「暗黒瘴気が生み出した亜空間――“永劫の闇”から脱出出来たとは……」
アリスお姉さんが驚いたように言う。
「奇跡ですわー!」
「ええ……みんなの願いが結んだ奇跡です!」
ナンシーとクリスも興奮気味に言った。
私はバーナードの支えで立ち上がると、遠くで見守っている群衆に気がついた。
彼らは皆、その手に、あのマジカル・サインを掲げて、輝かせていた。
ファンクラブのメンバーは元より、義勇軍の戦士も、さっきまで敵対していた砦の兵士達も。
おのおの手にしているマジカルサインは、色とりどりのオーラの光を放ちながら輝き、みんなは歓喜の声を上げている。
「お二方が無事で良かった!正に愛の奇跡だ!」
そう感極まったように言うリオン王子の手にも当然マジカル・サインが握られている。
横に立っているハリーとジョージにも無理やり持たされたようで、二人は複雑な照れ笑いを浮かべていた。
□
十分に休息を取ったプルマが復活した。
反乱分子は完全に無力化して砦は制圧を完了した。
最早、後顧の憂いはない。
「急ごう。人質の扱いを考えると、一秒も時間は無駄にできない」
バーナードの言葉に一同頷く。
「では、頼んだぞ。我々も飛竜隊が到着次第すぐに駆けつける」
三人組のうち、同行するのはジョージだけで、ハリーは補佐としてリオンと共に後処理に回るらしい。
リオンとバーナードは固く握手を交わし、私達は移動を開始しようとした……。
「待テー!」
全力で駆け寄って来たのは、ワジャだった。
「オレも行ク!」
私は驚いて彼女を見ると、顔色は悪いが先程の無気力さは消え、決意に満ち溢れていた。
「大丈夫、ですか……?」
クリスの気遣う様子に、ワジャは歯を食い縛る。
「辛いのなら……無理をせずとも……」
第三者視点では、ワジャとニコラスは親しい仲だと認識されていた。
しかも、あれほど秘密結社エンシェント・シルヴィアへの敵意を露わにしていた彼女。
親友と信じていた者からの裏切りが与えたショックは計り知れないものがある。
「正直……気持ちの整理は、まだついていナイ……」
彼女は俯いて暗い表情で呟く。
「……どうすれば良かったのカ……これからどうすればいいのカ……ずっと、考えテ……考えテ……」
絞り出すような小声に胸が締め付けられる。
彼女の拳が強く握られた。
「やっと、分かっタ!今、考えても答えは出なイ!!」
顔を上げた彼女は戦士の燃える眼差しで歯を食いしばる。
「もう悩んでいるのガ、馬鹿らしくなっタ!ウダウダ考えるのは止めル!!アイツのコト、許すかどうかを決めるのは後回しダ!トニカク!これからの話ハ!あのアホタレヲ!マズ、一発殴ってからダ!」
握り拳を振る彼女の目は怒りに満ちている。
しかし、不思議と憎しみは感じない。
どうやら、彼女は自力で立ち直ったようだ。




