裏切りの咆哮
「アイツ、とは?」
「ニコラスだよ……アイツが急に味方に攻撃を仕掛けてきたんだ……」
ヒューバートの怒りに震える白い顔を見るに、冗談を言っている雰囲気ではない。
「彼が?一人でですか?」
ヒューバートは頭を横に振る。
「いや、『自由の翼』の一部が、奴に連動して反転したんだ。それで、アイツらドルキャスとケイトリンを攫って砦の奥の方に向かっている。早く行って助けないと!」
彼はクリスに縋り付いて訴える。
「『自由の翼』の反転攻勢は予想はしていましたが、まさかニコラスが内通者だったとは……」
ドルキャスやヒューバートを初めとした庶民層とも仲が良かったクリスは、予想外の友人の裏切りを前に流石にショックを隠せないようだ。
「それにしても、妙だな」
配下に指示を出し終えたリオン王子は、こちらに向いて話に加わる。
「この戦いが始まる前に『自由の翼』のボイジャ支部長とは大きな密約を交わしている。だから、彼らが安易に裏切るとは考えられん」
「密約?」
クリスは首を傾げる。
「ああ。彼らとは支援と引き換えに二つの約束を交わした。一つはローレンツ公爵家打倒の暁には、必ず民主的な議会を制定する事」
これは当然だろう。
以前より、誰がこの国の王となっても、国体存続のためならば、開かれた議会の開催は歴史の必然と言われていた。
「もう一つは、それに先駆けて『自由の翼』の幹部に大臣のポストを用意した」
これには全員が驚いた。
「だ、大丈夫なのですか?」
「うむ、支部幹部の一人である経済学者のハイオク教授を財務大臣に任命し、財政の立て直しと、資産面からローレンツ一派の残党狩りを依頼する予定だ。どの道、議会制ならば閣僚入りは間違いない人物。ならば王家としては先手を打って後ろ盾になった方がいい。既に陛下の許可も得ている」
財務大臣は四大閣僚の一つ。
ハイオク氏は多才な知識人で人望もある紳士的論客として知られているが、他国からの亡命者でこの国には地縁のない人物だ。
彼は自由主義の旗手としても名高く、現状、国内の保守的な政治傾向を考えると破格の抜擢であるのは間違いない。
「確かに……それだけの大きな密約を一方的に反故にするとは考えられないな」
「ちゃんと先の事を考えていたのですね……」
ダンとクリスは、やや呆然としながらボソッと呟き、リオン王子は顔を顰める。
「当たり前だろう。姉上は俺を何だと思ってる」
「愚弟ですが、何か?」
真顔で即答した姉クリスにリオンは一瞬ムッとするが、不意に不敵に笑う。
「ま、今まで敵を欺く為に愚かで無謀な王子を装っていたのだから無理もないか。聡明な姉上をも欺けたのなら、俺の演技力も満更ではないようだな!」
この胸を張って得意そうな表情のリオン王子に、クリスは俯いて顔のニヤつきを必死に抑えながら微かに痙攣する。
「……くっ……守りたいっっっ!……このドヤ顔……っ!」
今現在の緊迫感溢れる状況でも、リアクションが揺るがないな、この人。
限界オタクの鑑である。
その時、奥の部屋へと続く扉が開く。
「大丈夫か?ハリー」
リオン王子の側近候補であるハリー・スパークスが青い顔で少しフラつきながら歩み寄る。
「ええ、体調は問題ありません。ハートの方は……ボロボロですがね」
普段なら側近候補としていつもリオンの隣にいる筈なのに、この攻防戦の間、ずっと彼の姿は見かけなかったが、何かあったのだろうか?
「それは俺も同じだ……だが悪いが、今は緊急事態だ。力を貸してくれ」
彼は浮かない表情で俯いて深い溜息を吐いたが、気持ちを切り替えたのか、顔を上げた時には、もう王太子の側近の顔だった。
□
「『自由の翼』から造反者が出たが、心当たりはあるか?」
私達が現場に向かう途中、歩きながらリオンはハリーに問いかけた。
「そういえば、開戦直前になって、急な増援で一部隊参入しました。しかし、ボイジャ支部に問い合わせた所、支部の担当者は関知してませんでした。どうやら、本部から直接来たらしいです」
「本部……という事は」
「『エンシェント・シルヴィア』か」
リオンとハリーの会話にバーナードが割り込み、二人は「恐らく」と頷いた。
「『自由の翼』は社会の混乱を目的に奴らの援助で創立した組織ですが、最近は純粋に民権運動している新規勢が主流となっていて、今じゃ本部でも浮いた存在のようです」
「迷惑な連中だな」
「全くだ。もっとも、この機会に鬱陶しい古参を掃除出来るのなら文句はないだろう」
「それにしても……どうして、ニコラスが……」
「くそぉ……アイツ……今まで俺達を騙していたのかよ……!」
彼と交流のあったクリスやヒューバートはショックを隠せないようだ。
□
困惑を胸に抱いたまま、交戦中の音と振動が伝わる手前まで来た。
まず目に入ったのは、壁際で膝を抱えて座りこんだワジャの姿だった。
「ニコラスが反転して攻撃を仕掛けてから、ずっとああなんだ……」
ヒューバートは、裏切りの瞬間を思い出すのも辛いようで、絞り出すように言う。
ワジャは普段の快活さから考えられない程の落ち込み様で、その大きな目から光は消え、足元をジッと見つめたまま硬直していた。
私は……無邪気な元気キャラの、こんな姿は見たくなかった……。
あまりの痛々しい姿に、お節介で空気を読まないクリスですら掛ける言葉が見つからないようだ。
「なんだか嫌な予感がします」
クリスの言葉に私も頷いた。
私達が知る限り、ニコラスは衝動的に愚行に走る人物ではない。
理知的かつ慎重な性格で、自身の力量を過信することなく、難度の高いクエストに対しては綿密な計画を立てて準備を怠らず、負ける戦いを自分から仕掛ける事は絶対にない。
それに彼は非常に真面目で義理堅く、魔術がらみ以外では友人知人を振り回すようなことはしない人物だ。
誰かに操られたり脅されているのではないとしたら……水面下で一体何が起きているのか……。
「マイクルは?」
リオンの問いかけに現場の兵士は敬礼して答える。
「はっ、マイクル殿はこの場の指揮をギルドから派遣された高ランカー冒険者に任せて反乱分子を追跡中です!」
「我々も加勢に出るべきだろう。行くぞ!」
リオンが私達を見渡し、槍を掲げた、次の瞬間――砦全体を揺るがす大きな振動が襲い掛かった。
「地震か――!?」
壁にひび割れる地響きに続き、大きな爆発音が遠くで起き、その衝撃波がこちらまで伝わって、私達は立っている事が出来なくなった。
振動はすぐに収まり、私が頭を振って見あげようとすると……
「何だあれは――!?」
遠くから兵士達の激しく動揺したさざめきが波紋の様に広がる。
私が動揺の先に目を向けると、崩れた壁から外が見え……そこには信じられない光景が広がっていた。
「あれは……まさか……」
「嘘だろ……」
あれは……
かつて、私達が学園ダンジョンの奥で死闘を広げた大魔獣……
「ヒドラ……」
間違いない。
私達が全力を尽くして倒したヒドラが、そこに立っていた。
「あぁ……全く、面倒な事をしてくれる……!」
普段は冷静な筈のバーナードは苛立った様に怒りを露わにする。
無理もない。
何故ならば、今目前にいる、ソレは、以前ダンジョンの奥地にいたモノより、大きく、さらに……異様にドス黒い瘴気を纏って周囲を威圧している。
「暗黒魔石を……副産物である高濃度瘴気の方を目当てで使うとは……邪悪にも程がある!」
バーナードは力任せに拳を壁に叩きつけた。
彼の憤りを他所に、禁忌によってパワーアップした三つ首のヒドラは大きく翼を広げ、私達の絶望を煽る様に咆哮した。




