潜入――ハリーの視点
彼女を一目見た時から、この湧き上がる熱い思いを抑えきれなかった……こんな事は初めてだった。
初めは若さが満ち溢れる、その輝く美しさに吸い寄せられた。
しかし、会話を重ねる度に、瞳の奥に見え隠れする薄暗い孤独の影に共感し、どうしようもなく惹かれる自分があった。
『貴方だけは……素顔の私を忘れないで……』
あれは夢だったのだろうか……。
陽の光の下、チアガール姿で笑顔で踊る彼女を見ていると、サマーキャンプでの出来事が繰り返し脳裏にフラッシュバックする。
闇の中、月明かりに照らされた悲痛な表情に胸を貫かれた記憶が。
『今だけで良いの……』
何度思い返しても、あまりにも心に思い描いた願望に近すぎて、未だ現実で起きたという実感がない。
『私を……私だけを見て……!』
いつだって、俺は君しか見てないよ……サラ……。
■
「まさか、こんなタイミングで事を起こすとはな……慢心にも程がある」
リオンは半ば呆れ気味で呟いた。
武人としての誉れの最もたるエンチャンプス競技大会において、初の平民チーム優勝という偉業を成し遂げた歴史的表彰式に、悪名高きマルス騎士団が乱入するという珍事が起き、その騒動の最中に、リオン王子の恋敵であるバーナード皇子が、誘拐されてしまった。
「他にちょうどいい機会がなかったのでしょう」
「そうだな。奴らが焦っている証拠だ。それはともかく……アリス嬢に大事がなくて本当に良かった……」
彼の心は未だ淡い初恋に固定されたままだ。
この一途さは、男として俺も見習うべきなのだろう……。
「では、このまま放置しますか?」
「バカな事を言うな」
俺の冗談交じりの提案を彼は即座に一蹴する。
「心優しい彼女ならば、必ず自ら皇子救出に乗り出す。俺はこの国の王族としても、一人の男としても、彼女の行動を全面的に支援する使命がある」
リオン王子は不敵な笑みを浮かべた。
彼が私費で雇って帝国に派遣している調査員からの報告では、バーナード皇子とアリス嬢は常に行動を共にして仲睦まじい様子が報道されているが、ベテラン探偵の観察によると、二人の目線と接触には微かに余所余所しさを感じるらしい。
この報告をもってリオンはまだ初恋成就の望みを捨てていない。
「それに、この国に巣食う病巣を一気に排除するチャンスでもある。停滞していた時計の針を先に進める、貴重な好機だ」
彼の笑みは凄みを増し、獲物を見定めた猛獣のようだ。
「全てを成し遂げてこそ、彼女の隣に立つ男として相応しいと言えよう。その為にも、まずバーナード皇子を無事に救出する必要がある……手順を間違えてはならない」
予定よりも早かったが、かねてより想定していた事態だ。
王子が主導となって水面下で画策していた計画で十分対応可能だ。
「関係各所からの返答は、どうなっている?」
「はい。既に受け取り済みです」
俺は頭の中で状況を簡潔にまとめて反芻した。
「自由の翼からは五部隊派遣。ロイヤル・ハンドからも三部隊来るそうです。それと冒険者ギルドからは百数人が覆面での参加を表明。それに、マジカル・ビーナス・ファンクラブは参加者多数……特にプレミアム会員は完全武装で全員参加するそうです」
「それだけいれば、陽動には十分だろう。いい流れだ」
リオンは満足そうに頷き、俺の目をジッと見た。
「後はお前に掛かっている。頼んだぞ、ハリー」
「一命、しかと承りました」
俺はリオン王子に深々と一礼した。
□
リオンには半年前に、俺の裏の顔――内偵調査室の一員である事は打ち明けていた。
最も、これは自分の判断ではなく、そうするように上司に命令されたからだ。
どうやら、彼の秘密活動は、内偵調査室の上にいる御方のお眼鏡に叶ったらしい。
俺の話に対して、特に驚いた様子はなかったから、ある程度は事前に予測していたのだろう。
ただ、それ以降、俺の“仕事”はかなり増えた。
リオンは傲慢ではあるが、決して無能な王子ではない。
俺が既に持っている内偵調査室の連絡網をリオンは大いに利用した。
傀儡の王太子にとって、老獪なローレンツ家の監視をくぐり抜け、関係各所と通ずる手段は何より必要であり、俺の存在は彼の野望を成し遂げる第一歩だった。
今回の作戦が決行可能になったのも、彼の王族としての天性の手腕による所が大きい。
俺の任務は、リオン率いる義勇軍がローレンツ家の私兵と衝突している間に、監禁場所に潜入して、既にいる内通者の協力の元に、バーナード皇子を救出する役目だ。
この騒動が無事に収まる所に収まれば、国内事情も格段に落ち着いたものになるだろう。
そうすれば……俺も時代の要求に応えた民主的な王太子を支えた立役者として、国内情勢の不安定さを懸念する中立派の両親を説得し、エンジェル伯爵家にサラとの婚約を打診することが出来る……。
今の俺は、それだけを願っていた。
□
バーナード皇子が囚われている場所は、ローレンツ領の辺境にある古い砦だ。
前王朝であるマリナー王朝時代の要衝の要で、現在は一見すると自然に埋もれた廃墟のように見える。
しかし、公爵家はその内部を秘密基地のように改築した結果、様々な悪事の温床と化していた。
長い間、権勢を欲しいままにしていたローレンツ家を快く思わない者は非常に多く、敵味方双方の予想を超えて、多くの協力者と内通者が至る所に存在している。
俺は彼らの手引きで裏口から容易く潜入に成功した。
□
皇子が監禁されている部屋は事前に調査済みで、俺は最短ルートである、通気口を這っていた。
途切れずに発生する地響きと爆発の振動と音によって、砦の正門前での戦闘の激しさが、ここまで伝わってくる。
リオンたちは相当派手にやっているようだ。
現在砦の兵士は陽動部隊の応戦に総動員しているおかげで、内部の警備は極めて手薄だ。
俺は目標である部屋の真上に到達し、天井から部屋に侵入した。
窓の無い手狭な部屋に着地すると、バーナード皇子は足を組んで椅子に腰掛け、こちらを眺めている。
「ほう。一番乗りは君だったとはね。これは予想外だ」
もう少し、驚くかと思ったが……彼は意味ありげな笑みを浮かべ、こちらを値踏みするように見る。
「主君の命により、お迎えに参りました」
俺はそのまま跪き、臣下の礼をもって、そう言うと、彼は大きく頷いた。
「手際といい、動員数といい、僕の想定より王太子は有能だったようだ……悪くない」
……。
一体全体、彼がどういう考えを持っていたのかは疑問を感じたが、この混沌とした状況を楽しんでいる表情をみると、答えを知るのが怖くなる。
しかし、質問しない訳にはいかなかった。
「……他に助けが来る予定が、あるのですか?」
もし、そうだとすると、俺達の行動は完全に勇み足だ。
「予定というか……予測だな。ローレンツ家を打倒したい勢力は複数ある。僕の救出に託けて積年の恨みを果たしたい人間は多いだろう」
考えもしなかったが……彼は、そこを見越してワザと捕まったのだろうか……。
だとすると、この余裕のある態度も理解できる。
「ローレンツ家は今日で終わる。彼らはこの運命を避ける術を持たない」
彼の断定口調に自然に頷く。
奴らは完全に超えてはならない一線を超えた。
最早ローレンツ家の没落は、民衆の総意といっていい。
「ともかく、早く脱出しましょう。殿下が人質のままでは作戦が成立しません」
俺の促しに、彼は無言で応え、腰を浮かせて立ち上がろうとした。
――ガチャガチャ、カチッ
その時、鍵の解除音がして、扉は大きく開いた。
「お迎えにあがりました!殿下……っ?!は、ハリー……!?」
部屋に入ってきたのは、メイドの格好をしたサラだった。
予期せぬ状況での遭遇に俺達は、双方驚きで動きが固まった。
「どうして貴方が……ここに……」
「君こそ……どうして……」
お互い見つめ合っている中、バーナード皇子だけは平静を保っていた。
「やはり来たね。てっきり一番乗りは君だと思ってたけど……まぁ、概ね予測通りだ」
「……」
サラは警戒気味にバーナード皇子を見つめる。
この様子だと、二人は顔見知りという訳では無いようだ。
だとしたら、どうして彼は、彼女がここに来ることを予測していたんだ……?
バーナード皇子は、俺達が驚きで身動き出来なくなっている傍を歩いて通路に出た。
「さて……せっかくだから、土産でも貰ってから帰ろうか。君達もタダで帰る気はないんだろ?」
□
俺達は、この砦の隠し部屋に潜入した。
ここには公爵家の裏帳簿や闇社会との契約書等、表沙汰にできない書類があるとの、内通者からの情報だ。
「へぇ……暗黒魔石を使った魔石の再生技術の研究ねぇ……これだけでも、協定違反で国際裁判所から強制招集出来るな」
「それ、完全に禁忌じゃないですか……」
暗黒魔石は通常の魔石よりも高出力のエネルギー源だが、使用の際に高濃度瘴気の副産物がある。
通常濃度の瘴気でも、一定濃度に達すると周囲は不毛の地となり、上位魔獣や突然変異体が発生し易い環境に変化してしまう。
現代の人間の力では高濃度瘴気の浄化は出来ないので、一度でも発生を許せば、その地に結界を貼った上で百年単位の間、不可侵領域にするしか対策はない。
よって、暗黒魔石の利用は、如何なる理由をもってしても、国際協定で固く禁じられている。
「こっちは奴隷売買の契約書と、人体実験の報告書ね。まったく、どれだけ罪を重ねたら気が済むのかしら」
サラも次々に出てくる真っ黒な書類を流し読みしては顔を顰めて、手当たり次第に小型のマジックバックに詰め込んでいる。
「そろそろ、脱出しましょう。皇子が無事に脱出出来なければ、元も子もありません」
俺は夢中になって不正の証拠を漁る二人に脱出を優先するように促した。
「そうねぇ……さっき、偉そうな令息に絡まれて、軽く捻っちゃったし……面倒な事になる前に撤退しましょう」
……聞き捨てならない事を聞いた気がするが、どう考えても今は脱出するのが先だ。
彼女を問い詰めるのは、安全を確保した、その後だ。




