豹変――ハリーの視点
流血描写があります。
――しかし……
その後、俺達は、令息らしき人物が率いる傭兵集団に囲まれている。
俺は以前より、感覚的にサラが日常的に嘘をついているのではないかと、心のどこかで疑っていた。
先ほど、『軽く捻った』と彼女は言っていたが、令息――公爵家嫡男ケイン・ローレンツの状態を見るに、とても“軽く”だとは思えなかった。
彼の顔は青黒く腫れて、腕は三角巾で吊るされ、松葉杖をつき、心なしか内股気味に歩いている。
何が起きたのか、一目見ただけで明らかすぎる……。
「見つけたぞ!この暴力メイドがぁああぁぁぁ!」
稀代の女好きで、品性の下劣さに定評がある、誰もが認める最低令息はキレまくっていた。
父親のローレンツ公爵は息子の醜聞を揉み消すのに、毎年、莫大な額の予算を事前に組んでいるという、信憑性の高い噂が貴族の間で囁かれており、年頃の令嬢がいる真っ当な名家では、目を付けられないように強い警戒をしている程だ。
「この国の未来の実質支配者である俺様に対する不敬行為!許さんぞ!!!これから貴様を死ぬよりも悲惨な目に合わせてやる!生まれてきた事を後悔する程のなっ!!はっはっはっ……くっ……痛たたた……」
ローレンツ公爵は本気で、こんなクズを後継者にするつもりなのか……?
俺は公爵に対する評価をさらに下方に修正した。
それにしても、背後にいる傭兵達は練度は高そうだが、相当ロクでもないならず者のようだ。
こっちを下劣な目つきでニヤニヤしながら見ている事から、普段からこうした汚れ仕事は慣れた物なのだろう。
俺は同行しているバーナード皇子を横目で見ると彼は怯える様子もなく、相手を虫でも見るような冷たい目で平然と佇んでいる。
サラは……俯いて表情ははっきり見えない……。
が、口元に薄く笑みを浮かべると、顔を上げ、ニッコリ微笑んだ。
「ねぇ……貴方達……一つ聞きたいことがあるんだけど……?」
彼女の質問に、その場の全員の動きが止まる。
「貴方達は……メシア様を信じているかしら?」
その唐突な問いかけに、虚を突かれるが、男達は下品に笑い飛ばした。
「何を馬鹿な事を言ってる。そんなモン信じている訳ないだろうが、間抜けが!」
傭兵達の大半は、そのようにゲラゲラ笑っているが、その中で一人だけ顔色がどんどん悪くなっていく奴がいた。
「……まさか……あ、あああ、お前ら……やめ――」
「いいから、大人しくしろよ!たっぷり可愛がってやるからな!!」
仲間の制止も聞かず、傭兵の一人が無遠慮にサラへ手を伸ばした。
――ガゴッ
彼女の腕を掴もうとした傭兵は、日常生活では聞くことのない打撃音の後、全ての動きを止めた。
傭兵の頭には、何かが減り込んでいた。
それは、いつの間にかサラの手に握られていた鈍器――鈍く光る金属製のメイスだった。
傭兵達の笑いが凍りつく中、頭を凹ませた男はその場に倒れ、床に血溜まりが広がり、サラは恍惚とした表情で溜息を吐く。
「アッハァ……」
……男は、どう見ても絶命している。
「アハハハハハハーーー!!」
傭兵達が沈黙に包まれる中、返り血を浴びたサラの笑い声が辺りに響き渡る。
「本当に良い音がするわねぇ!背教者の空っぽの頭は!」
そこにいるのは……
学園の人気者ではなく……
中流階級の伯爵令嬢でもなく……
鮮血を見て狂ったように笑う……
「異端審問官……」
青ざめた男は呆然として呟く。
――異端審問官。
かつて、この大陸において、異教徒狩りの嵐が吹き荒れたが、現在ではすっかり風化して歴史上のエピソードの一つとなっている。
技術革新がもたらした進歩的な新しい時代精神が幅を利かせる昨今、世間では知識人ですら実在を疑う、前時代の産物だ。
しかし、忘れられた狂信者は、決して滅んではいなかった。
彼らは、偽りの仮面を被って市井に溶け込み、我々の隣人として……日常に潜んで、爪と牙を磨いていたのだ……!
「い、いや、それでも!公式の審問裁判なしで処刑執行など出来る筈がない!こんなの違法だ!!」
事情通らしい男は急に我に返って、必死に抗弁する。
「あらぁ、貴方、私達の事、少しは詳しいのねぇ。でも……私は特別な存在なの」
彼女は実用性が高すぎる金属製の重いメイスをバトンのように片手でクルクル回し、楽しそうに宣言する。
「私は聖教皇の代行者……『七冥』の一人『守護聖人スワップ』」
「はぁ……!?」
傭兵達とケインは顎を落とさんばかりに口を開いて目を剥いた。
「猊下に全権委任で派遣されているの。つまり、今の私は裁判官兼死刑執行人であるから……」
彼女はカッと目を見開く。
「貴方達のようなゲスな上にクズの審問なんて……さっきの略式裁判で十分よ!」
「ひぃぃぃぃ――!!」
青ざめた男は己の命運が尽きたのを他より早く悟って頭を抱えて崩れ落ちた。
彼女は白く輝く整った歯並びを見せて微笑み、陶酔の表情を浮かべる。
「はぁー、久しぶりの討伐任務だから、張り切っちゃうわぁ。貴方達、私をたっぷり楽しませてちょうだい!ふふふ……」
地獄に咲く毒々しい花のような凄みのある笑みに、歴戦の筈の傭兵達は身震いしている。
「加勢するかい?」
バーナード皇子は、この状況に全く動じる様子はない。
彼の言う“予測”とは、どういう情報源から機密を得て、如何なる考察を経た結果の推理だったのか……。
「護衛対象のお手は煩わせません。殿下は護身に専念なさって」
「了解」
両手にメイスを構える彼女はバーナード皇子の申し出を丁重に断る。
ケインは顔面蒼白で後ずさりし、傭兵達は四方からサラに飛びかかるも、彼女の身体性能は、魔術で強化されているのか、明らかに人外の域で、強者達は次々に一撃の元に撲殺されていく。
俺は目の前で繰り広げられる惨劇の光景が信じられず、唖然としていたが、我に返って、バーナード皇子を見ると、背後に敵が迫っていた。
「殿下――!」
危ない――と、呼びかける間も無く、彼は振り向きざまに、長い足を高く振り上げ、敵の頭頂部に踵を叩き込み、その意識を一瞬で刈り取った後に、こちらに対して命令する。
「伏せろ!!」
俺がとっさに身を屈めると、彼は敵が持っていたナイフを投げ、俺の背後にいた敵の眉間に刺す。
要人救出に来たのに、護衛対象に守られてどうするんだよ……。
俺は自分が情けなく感じたが……この三人の中で、一番非力なのは自分であるのは、認めなければならない事実だった。
「さぁーて、年貢の納め時ねぇ!ケイン・ローレンツ!」
配下の大半を、あっという間に狩られた御曹司は生き残りの僅かな手勢に守られブルブル震えている。
「……わ、わ、我がローレンツ家の私兵はこれだけではないわ!ま、まだ、先鋭の親衛隊が残っておる!たたた、たった一人で軍隊に勝てる訳が……」
公爵家嫡男としてのプライドか、家名を最後の拠り所として、かなり無理のある虚勢を張っているが、その命運は風前の灯だ。
「あらぁ……おバカさーん、ちゃんと話を聞いてなかったのかなぁー?」
サラは出来の悪い子供に言って聞かせるように、わざとゆっくり話した。
「あのね、『七冥』っていうのはー、七人いるからー『七冥』って言うのよー?分かるー?」
ケインは相手が何を言いたいのか飲み込めず困惑し、周囲の護衛は言葉の意味を理解したのか絶望の表情を浮かべる。
「貴方達ローレンツ家に連なる人間は、この大陸において好き勝手な所業を積み重ね、その結果に猊下は大変ご立腹なの、だから……」
彼女は、血まみれのメイスを突きつけて無慈悲に宣告する。
「今日は『七冥』全員で来ているんだから!逃げ場はないわよ!観念なさい!!」
無骨な傭兵達は、形振り構わず四方に散らばって逃げ出そうとするが、暗がりからの強い圧に弾き飛ばされる。
闇から浮かび上がるように、複数の人影が現れた。
「はい、只今ご紹介に与りました、『七冥』です」
「ふわぁ……だっる……さっさと皆殺しにして帰りましょう……」
「仕事雑っ!でも猊下ってば、普段は禁止事項を細かく並べるのに、今回は『ローレンツ家は本日、滅ぼします。徹底的にやりなさい』だけだなんだよねー。よぉーし、久々に暴れるかー!!」
「いい加減にしろ、お前ら。賓客もいるんだ。守護聖人として恥ずかしくない振る舞いをしろ!」
音もなく現れたのは、黒ずくめの四人組で、各々その手に持った武器は明らかに強力な古代遺物だ。
全員サラに劣らない超人揃いなのだろう。
守護聖人であるサラは軽装備にも関わらず、たった一人に熟練の傭兵が束になっても手も足も出なかったのだ。
それが、完全武装で他に六人もいるなら……常識レベルの軍隊で抗える訳がない。
傭兵とケインは腰が抜けて、その場にへたり込む。
「あー、今日の罪人はお前らか。言っておくが、我々には買収も脅迫も命乞いも無意味だからな。大人しくお縄について沙汰を待て」
リーダー格らしい地獄の獄司のような容貌の大男の一睨みで、敵は少女のようなか細い悲鳴をあげて、気絶した。
□
バーナード皇子は“ラルフ”と名乗った七冥のリーダーと握手を交わし、社交辞令の挨拶を交わしている。
俺は緊張の糸が切れて、床に座り込み、今しがた目の前で起きた出来事を消化しようと必死に頭を動かそうと試みる。
……しかし、担った使命の責任感以上に、受けたショックが大きすぎた。
結局、今まで彼女の何を見ていたというのか……。
微かに感じていた違和感を慎重に吟味していれば、予測出来たとまではいかなくても、これ程の衝撃は受けなかった筈なのに……。
しかし、今更言っても、どうしようもないことだ。
最後の気力を振り絞って、俺は真実に向き合う覚悟を決めた。
それは、俺の人生において、男として、避けては通れない道であった。
生涯で最後の……砂糖菓子のように甘い……見せかけの恋を失う事になると分かっていてもだ。




