サマーキャンプ(2)――ハリーの視点
「……」
「なぁ……」
子供のお使いレベルの簡単なイベント……の筈だった。
それに、ペアの相方サラ・エンジェル伯爵令嬢は学園の人気者で優等生。
俺だって王太子リオンの側近候補、決して無能なんかじゃない。
二人が組んだら、大抵の問題は解決出来る……そう、思っていた。
「……やっぱり、さっきの道、違っていたんじゃないか?」
目的地への道の途中にある分かれ道で、標識が何者かに破壊されていた。
ここが人里離れたキャンプ地であることを考えると、原因は野生動物だろうか。
そうでないとしたら人為的となるが……少し離れれば敵性ではないが魔獣の生息地があるので、いたずらにしても悪質である。
あまり考えたくないが、害意のある不穏分子が紛れ込んでいる可能性が頭をよぎる。
もしくは、旅行先で酒を持ち込んだ生徒が羽目を外して事件を起こし厳罰を食らうというのも、よく聞く話ではある。
ただ、規律に厳しい事に定評があるジョセフ先生引率のグループで、そんな迂闊な行動を取る者がいるとは考えにくいが……。
俺は一旦拠点に戻って先生に報告しようと提案したが、彼女は先に祠に行こうと主張し、自信を持って、分かれ道の一方を進んだ。
その後、気がつくと俺達は森の奥深くへと迷い込んでしまった。
「うっ……ハ、ハリー様こそ『多分、こっちが近道だ』と仰って獣道に進みましたよね?」
「あっ……い、いや、そもそも君はなぁ……!」
それから、お互い見苦しく相手に責任を押しつける口論に小一時間費やした。
「大体、ハリー様は自信家な割に、少し優柔不断なのではなくって??場を仕切りたいなら、中途半端で曖昧な態度ではなく、最初から主導権を握って頂きたいですわ!」
「君こそ、もっと周囲との協調を心がけるべきだろ?集団行動においては自分一人の問題じゃないんだ!以前のヒドラ討伐の時だって……!」
「はぁっ??今この状況で何ヶ月も前の事を蒸し返します?!……あっ……?」
突然、彼女は急に押し黙って、人差し指を口に当てて、俺の言葉を制した。
彼女は耳に手の平を添えて聞き耳をたてる。
「あちらの方から、波の音が……恐らく湖だと」
□
彼女の先導で付いていくと、森を抜けて、湖のほとりに出た。
周囲を見渡すと、廃墟一歩手前の小さなコテージが見つかり、俺達は朝までそこで待機することで合意した。
このキャンプ地周辺で、敵性魔獣の目撃例は無いが、それでも通常の野生生物や繁殖期で獰猛になっている中立魔獣はいてもおかしくはない。
体力を温存する為にも、無駄な消耗は避けた方がいいだろう。
「……ごめんなさい……私のせいよね……」
殺風景な室内にあったボロボロのソファに腰掛け、やっと一息ついたタイミングで彼女は謝罪した。
「あなたの判断の通り、最初に引き返していれば、こんな事には……」
「いや、君の言う通り、僕がもっと強く主張するべきだった。こうなったのも自分が立場を忘れて浮かれていたせいだ」
「そんな……私が早く帰ってバーベキューを食べたかったばかりに……」
「ぷっ、ふふっ……!」
俺は思わず吹き出してしまった。
何でも完璧に熟す彼女が、ただ焼いただけの肉を心待ちにしていたというのが、愛らしくて仕方なかった。
「わ、笑う事ないじゃない!」
「あ、ああ、ごめんごめん」
俺が微笑ましい暖かな気持ちに浸っていると、彼女の様子が変わった事に気がつく。
「失望しないの?」
サラは暗い表情で、俺の顔を見つめている。
「私は……あなたが思っているような娘じゃないわ……我儘だし、いい加減で協調性もなく負けず嫌いで方向音痴……全然完璧な淑女じゃない……」
彼女を包む闇が深くなったように感じた。
「そうだな……最初の頃は、君のことを女神のようだと思っていた……僕には到底手の届かない女性だと……感じていた」
月明かりが差し込む薄暗い部屋で、まるで世界中から取り残されたみたいな気分の中、俺は彼女の心を闇から取り戻そうと必死に言葉を紡ぐ。
「でも、今まで過ごした日々を通じて……君にも欠点があると知って……より一層、好ましく感じた。君も……一人の等身大の少女だと知り、本気で愛しいと思うようになったんだ」
彼女の昏い瞳の奥に小さな灯火が宿るのを幻視する。
「サラ……君のことが……」
今しかないと告白しようとした時、彼女は俺の胸に飛び込んだ。
思わぬ出来事に、息をするのを忘れるほどに驚いた。
サラは顔を上げて俺を見つめる。
「貴方だけは……素顔の私を忘れないで……」
彼女は、今まで学園生活で被っていた全ての仮面を脱ぎ捨てて、その青い目は置き去りにされた子供のような悲しみを湛えていた。
「今だけで良いの……」
彼女の目から一筋の涙が頬を伝った。
「私を……私だけを見て……!」
ああ……。
夢なら覚めないで欲しい……!
今、この瞬間に、世界が終わってもいい……!
これまでの人生において、最大の幸福の到来だ。
彼女を抱きしめる俺の魂は歓喜の歌の中、喜びに酔いしれていた。
……が、
「ハリー・スパーーーークス!!サラ・エンジェーーーーール!!!どこだぁあああああああーーーー!!!」
静かな湖畔に響き渡る、マック・ガイダンスの渾身の絶叫で、俺達の意識は一気に日常に引き戻された。
■
その後、救助された俺達は、何事もないままキャンプ地に戻った。
結局事の真相は……俺達が壊れた看板の前に到達した頃、拠点では戻ってきた生徒複数が酒気を帯びてる事に気付いたジョセフ先生が厳しく問い詰めた結果、禁止されているアルコール類の持ち込みが発覚した。
名門にあるまじき不祥事発生で、現場では相当な大騒ぎになったらしく、マイクルの話では、その後突発的な持ち物検査が行われ、呑気にバーベキューを楽しむ雰囲気ではなくなったようだ。
責任者のジョセフ先生は温厚で優しい面倒見の良い紳士ではあるが無限に寛容ではなく、特に社会倫理の一線を超えた規律違反者には無慈悲な対応をすることで有名である。
当事者の生徒達は即座に家族と学園に連絡の上で強制送還され、俺達も浅はかな判断に基づいた行動を叱責されたが、何とか、その場限りの小言だけで済んだ。
彼女と二時間弱の間、二人っきりとなっていた事で、男子生徒から下世話な探りを入れられたが、極限状態でそれどころではなかったと言うと、つまらなそうに舌打ちして去っていった。
だが、俺達の関係は確実にステージが上がった。
彼女との仲は表面的には以前とは変わらなかったが、二人っきりの時を過ごす互いの距離感はずっと近くなった。
以前は周囲に人がいなくても他人行儀な敬語だったのが、今では敬称なしで名前を呼び合うほどに打ち解けた。
そして、マイクルを筆頭に身内からの――特に王女クリスティーンとダンの――俺達二人に対する視線が一層生暖かくなった。
ただ、それでも、彼女は学園卒業後、隣国にある本家に侍女見習いとして勤める予定で、上位貴族である俺との関係は学園に在籍する間だけ、と考えているようなのが残念だった。
俺は、サラの為なら全てを投げ捨てられる程に本気だったが、彼女の中では持って生まれた血筋の格というのは、努力では超えられない堅固な壁であるらしい。
彼女に愛を告白して受け入れてもらうには、この国の硬直した社会構造を打破する必要がある。
そのためにも、リオン王太子の無謀な挑戦を後押ししなければ……と、その思いを新たにしたのだ。




