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誘惑――イザベラの視点

 ――今日は父の機嫌が悪い。


 この王国の実質支配者であるローレンツ公爵の娘として生まれた時から、ずっと父の顔色を伺う日々であったが為に、もはや同室した瞬間の空気感で、それが分かるようになっていた。


 理由はだいたいの見当がつく。


 秘密裏に大人数を動員し三ヶ月かけて、苦労して学園ダンジョンの隠しボスを倒したものの、お目当の物は手に入らなかったらしい。

 護衛や側仕えから微かに聞こえる噂の断片を総括すると、そういう話となる。


 王家より長い歴史がある公爵家の家長となると生まれながらに定められた父は、全てが自分の思い通りになって当然であるとして、その事を疑いもせず、主君ですら野望の道具と見なして憚らない不遜な男だ。

 それだけに時折発生するコントロールできないイレギュラーな事態が耐え難き苦痛であるらしい。


 その苦痛こそが、私……いえ、父に従う私達にとっての日常であるのに……。


 この後繰り出されるであろう不機嫌な父の小言を思い憂鬱に感じる一方、父の思惑が外れた様に溜飲が下がり口元が緩みそうになるのを堪えつつ、少し爽快な気分になった。




 普段は学園内の寮に住まう私は、毎週末に王都のタウンハウスに一泊することになっていた。

 最も父は骨の髄まで謀略が詰まった腹黒公爵であるから、この場に親子の情など入る余地などない。


 いや……想定外をとことん嫌う父の事だ。

 実の娘である私も父と同じ思惑を持っていると信じて疑っていないのだろう。


 そんな訳はないのに。




「学園はどうだ」

「問題ありません。全て順調です」

「そうか。王太子の方はどうなっている?」

「特に変わりはありません」

「それは、上手くいっていないということだな?」

「……」

「お前が王太子妃となるのは既に決定している事項だが、最低限の体面という物がある。他の候補者と比べて明らかに見劣りするようでは困る」


 父は、上流階級では影の黒幕……王国の実質支配者として恐れられているが……時々、実の所とてつもなく愚かなのではないかと感じる事がある。

 人の信用や感情を、金と権力と小手先のテクニックで簡単に操作できると本気で考えている節がある。

 そのようなものは……特に人の縁というものは……神の御意志に基づく、人の子には儘ならない物であるというのに……。


 私は、生まれつき愛らしさに欠ける可愛げの無い少女で、彼の好みのタイプではない。

 彼は気位の高い気難しい少年で、嘘や欺瞞を嫌う潔癖な性質だ。

 しかも、悲しいことに彼は決して愚かでも鈍感でもない……。

 それは……お互いにとって、不幸だった。


 現状の私が王太子の信頼を得る事は不可能に近いだろう。


 しかし、この国に表立って父に逆らえる人間はいない。

 一度敵と認識した者は、たとえ血縁者であっても無慈悲に排除してきた男だ。


 非力な十代の少女である私に、父に刃向かうなど有り得ない話だ。


「“それ”については考えがあります」


 私は報われない努力に日々募る徒労に堪えつつも、父の意向に沿うべく現実的な計画を立てるしかなかった。



 私の目下の悩みは、深刻な人材不足だ。


 王太子妃有力候補で国内最大派閥の令嬢ではあるが、学園内において私の手の届く範囲に実務を任せられる水準の人材は少ない。


 周囲に私の側近と自称する“取り巻き”は多数いるが、彼女たちは驚くほど無能で、持って生まれた地縁と舌先三寸だけで上流社会を渡り歩こうという甘い考えの者ばかりだ。


 無能全員一度に切り捨てたいのは山々だが、彼女たちも有力派閥の一員である以上無下には出来ず、隙を見ては徐々に遠ざけているが、肝心の有能な部下の調達が思うようにはいかない。


 これに関しては、自身の不徳の表れでもあるが、家族の問題でもある。


 父は権力者ではあるが頭の固い保守派で、その娘である私も同類だと思われている。

 才気のある若人には避けられている存在だし、私の行動と能力には世間の偏見を跳ね除ける力はない。

 その上、兄のやらかした醜聞まである……父が揉み消したので表向きは問題となってないが……耳聡い有能な貴族なら誰でも知っている事案だろう。


 貴族階級で有能な者の大半は同じ婚約者候補であり、才女の名声が高いナンシー・マグネター侯爵令嬢へと流れている。

 私と彼女との実力の差は、努力だけでは埋めがたい程差がある以上、これは仕方がない。


 それでは平民の成績優秀者を……となるのは簡単な話ではなく、庶民層では辺境伯令嬢のケイトリン・フォスターが圧倒的に支持を集めており、平民を見下している事を隠そうともしない公爵の娘である私などは最初から選択肢にも含まれてはいない。


 市井での自分の評判は、身分違いの純愛を妨害する悪役令嬢でしかなく、それ以上に上がる事は決してないのだ。


 それでも、野心溢れる少数の者が私に接触を試みてくださるが、選民思想の権化たる父は私が庶民と交わる事を決して許可しない。


 ……。


 相性が悪い王太子の信用を得るというだけでも困難なミッションだというのに、あの愚かな男はさらに余計な制約まで押し付けてくる。


 この八方塞がりの状況で、私は溜息を吐くしかなかった。



「お招き頂きまして大変光栄ですわ!」


 私は手入れの行き届いた庭園の片隅にある四阿にて必死に笑顔を作る。


「ローレンツ公爵令嬢様のお口に合うなら幸いですが……」

「この素晴らしいお庭に招かれただけでも一生分の思い出ですわ!それと、どうか私のことはイザベラとお呼びになってくれません?」


 実際、然程も期待はしていなかったが、この庭園は本当に見事なものだった。

 腕の良い庭師を雇っているのか、花の種類も豊富でありながら季節の調和が取れ、植木の刈り方も技巧の限りを尽くされて、小ぶりながら噴水まで設置されている。

 差し出された茶と菓子も上流階級を持て成すのに十分以上な品質で、この家の主は相当洗練された趣味の持ち主であるのが伺える。


 これほどの逸材が何故社交界でこれまで埋没していたのか……不思議でならなかった。


「私ごときが……とても恐れ多いですわ……」

「何を仰るの?貴方のような人気のある方とご縁が持てましたら、私、とっても嬉しいですの、サラ・エンジェル様!」


 彼女は少し困ったように微笑んだ。


「そこまで、仰せられるなら……畏まりました。イザベラ様」



 これまでの悩みを打破する為に、私が考えたのは学園の人気者を身内に取り込む策だった。


 彼女サラ・エンジェル伯爵令嬢は学園内で一二を争う程の人気があり、社交性が高く、成績も優秀な女生徒だ。


 昼は学業と部活動に専念し、夜は派手にパーティを渡り遊んでいる軽薄な女性ながら、意外なほど上流階級との接触は少ない。


 王太子の側近候補のハリー・スパークスが事ある毎に言い寄っているくらいで、それすらも失礼にならない程度にあしらっている事から、玉の輿には興味がないのだろうと学生たちからは思われている。


 今の自分にとって、彼女は喉から手が出るほど欲しい人材だった。


 自分に欠けている社交性と庶民からの人気を補え、尚且つ野心が薄く有能な女性だ。


 それに、彼女をこちら側に引き込む事で、ハリーの協力を得られやすくなり、王太子からの最低限の信頼を得る為の足がかりも期待できる。


 だから、どれだけの代償を払っても、私は彼女を陣営に加えたかった。



 サラ・エンジェルと接触する為、私が主催する茶会への招待状を出した所、その返信で参加を丁重に断った上で、追伸が添えられていた。


 ――『この度は、一身上の都合で参加は叶いませんでしたが、よろしければ、是非一度、我が家の庭でお持て成しさせていただければと思います』


 この一文に、私の取り巻き共は激しく食いつき、口々に彼女を罵った。


「この方、少し人気があるからって調子に乗ってませんこと?!」

「ローレンツ公爵家の令嬢にして未来の王妃たる方を伯爵家に呼びつけるなんて!何様なんでしょうか!」

「そもそも地方の伯爵家令嬢如きが筆頭公爵家のお誘いを断るなど有り得ない不敬ですわ!」


 私は彼女たちの醜い嫉妬に塗れた役に立たない罵声を聞き流しながら思案する。

 打診を断られるのは想定内だが、その上で向こうから接触を図ってきたのは意外であった。


 ――頭ごなしに全てを拒否されている訳ではない。


 恐らく……聡明な彼女の事だ、こちらの意向を理解した上で、私が主人として相応しいか試しているのだろう。


 望むところだ。


 私は彼女の招待を受ける事にした。



 そして今、私はエンジェル家のタウンハウスの庭園に招かれ、サラ・エンジェルと対峙している。


 彼女も私も、二人きりの対話を望んでいたので、連れてきた護衛と侍女は目の届く程度の距離まで離している。


 私はサラに側近候補になるよう軽く打診してみるが、その反応は鈍い。


「私は宮廷勤めが務まるような人材ではありませんわ」

「そうとは思えませんわ……とにかく、私は今、貴方のような方が、どうしても必要なのです」


 私は熱弁を振り絞って彼女を説得するが……


「……」


 サラは意味深な微笑みを浮かべたまま、私をじっと見つめるだけだ。


 その表情の意味を、私は今ひとつ捉えられない。


 胸の内に去来した虚しさに……私はつい、本心を漏らす。


「私に……何か足りないのでしょうか……」


 公爵令嬢として……このような泣き言を面識の薄い人間に零すのは、有り得ない失態とも言えるが……常に私を監視している公爵家の従者から離れた環境で、気が緩んでしまった。


 しかも、結論は最初から分かりきっている。


 私にはあらゆるものが足りていない。


 才能も、魅力も、愛情も……。


 候補者の中で最も王妃に相応しくないのは自分だと……私自身が誰よりも痛感している。


 ふいに、テーブルに置いた私の手が温かいものに包まれる。


 気がつくと、自分の手は無意識に硬く握られていた。

 向かいに座るサラは、その拳にそっと手を添えていた。


 彼女は身を乗り出して私の耳元で囁く。



「本日、お招きしたのは……私、前から貴方と……貴方自身と、友達になりたかったの……()()()()



 その言葉を聞いた時、真っ先に我が身に浮かんだ反応は、“警鐘”であった。



 当初の予定が叶って、彼女を味方に引き入れた喜びでもなく、

 上位の貴族に対して敬称なく名前を呼び捨てにした不敬への怒りでもなく、


 思わずゾッとするような……得体の知れない者に接した危機感だった。


 ――『この女は、私も公爵家も恐れていない……!』


 ……そんな存在が、この国内に存在していたなんて……。


 功を焦る余り、我が身を滅ぼす存在に近づいてしまった事を、感覚的に察したが……既に手遅れだった。


「貴方はとっても素晴らしい人よ。貴方が思っている以上にね」


 彼女の手は私を労わるように、この手に絡みついた。


「友達思いの努力家で、責任感が強く、何より……高潔な魂をちゃんと守っている……」

「それが……それが、何の役に立つというんですっ!何一つ……何一つ大事なモノを守れなかったというのに……!」


 私は必死にこみ上げてくる感情に抗い続ける。


 しかし――


「もう、一人で戦わなくていいのよ」


 ――限界だった。


 私の頬に一筋の涙が伝う。


「貴方の友達に頼まれたの……どうか、助けになって欲しいって」


 込み上げてくる嗚咽を必死に押さえつけるも、彼女は更に言葉を紡ぐ。


「今の貴方は我慢しすぎ。もっとワガママを言うべきだわ……これからは未来の話……希望に繋がる話をしましょう」


 未来……希望……父親の計画に雁字搦めであった自分には、どれも久しく考えもしなかった概念だ。


「……私が貴方の願いを叶えてあげる」


 サラの囁くような誘惑に、私の魂は、彼女の手の内に……ゆっくりと堕ちていくのを感じた。


 第3章、終わりました。


 盛り込む予定だったネタが毎章少しずつ溢れ落ちていて、次章で完結するのかちょっと心配。


 まぁ、何とかなるでしょう。

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