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荒川斎場雪の間1・2・3  作者: 土御門惟愛


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第1話

その日、T病院の5階病棟はいつもより静かだった。

午後2時47分。心電図の波形が平らになり、静かにアラームが鳴った。

「ご臨終です」

医師は聴診器を外した。

看護師長はすぐに院内搬送の契約をしている落合葬儀社の病院近くにある詰め所へと連絡を入れた。

待機していたのは渡部健一、38歳。入社12年目。

淡々とした手際で遺体安置の準備を整え、アルバイトの助手の平塚を伴い病院へと向かった。


渡部が病室に入ると、遺族は息子ひとり。田辺祐一郎、45歳。

スーツの襟がわずかに曲がっていたが、表情は硬く、感情を押し込めたような目をしている。

「この度は……ご愁傷様でございます」

渡部は深く頭を下げた。

祐一郎は小さく頷くだけだった。

「では、準備させていただきますので、病室の外でしばらくお待ちになってください」

渡部と平塚は息の合った手際で遺体をベッドからストレッチャーに移し、白い布を掛けた。

祐一郎を伴い、霊安室へとストレッチャーを押す。

「こちらで少々お待ちください」

渡部は祐一郎を霊安室前の椅子に座らせ、平塚と共に中へ入った。

まずは、故人の着替えを始める。

祐一郎は着替えを持参していなかったので、落合葬儀社が常備している浴衣を用意した。

浴衣を広げ、故人の体をそっと起こした瞬間——

渡部の手が、ぴたりと止まった。

故人の背中から腰、肩から腕にかけて、濃い藍色の龍と波が絡みついていた。

彫りの深さ、線の一本一本に、確かな年季が入っている。

(……これは……)

渡部は息を詰めた。視線を逸らさず、無言で浴衣の紐を結ぶ。

近年、どの斎場も「暴力団関係者お断り」の方針を明確に打ち出している。

もし参列者に組関係者がいれば、取引停止の通告が飛んでくる事例も少なくない。

(……受注したくないな……)

渡部は息を詰めた。視線を逸らさず、無言で浴衣の紐を結ぶ。

その時、ポケットの中で携帯が震えた。

上司の高橋からだった。

「渡部、どう? 状況は?」

「今一件、発生してます……」

「取れそうか?」

「それが……入れ墨あるんっすよ~」

「何言ってんだよ~! 入れ墨あるからってパスしてたら商売にならねえだろ!」

(何言ってんだよ~この人。斎場取引停止になったらどうすんの~)

「そう言われても~、そんな面倒事は俺はイヤっすからね!」

霊安室の中で小声でやり取りを続ける渡部。

高橋の声が一段と大きくなる。

「絶対取ってこいよ。でも東都葬祭系の斎場はダメだぞ! コンプラ厳しいからな!阻止しろよ!」

電話を切った瞬間、渡部は天井を仰いだ。

(……マジかよ……)

心の中で何度も繰り返しながら、渡部は故人の少し伸びた髭を電気シェーバーで剃り、鼻や耳に綿を詰めた。


神妙な面持ちで霊安室の外へ出ると、祐一郎が待っていた。

「お待たせ致しました。ご準備ができましたので、どうぞ」

渡部は神妙な面持ちで祐一郎を霊安室の中へと案内した。

白い布に包まれた故人の姿が、静かに横たわっている。

「改めまして、私、落合葬儀社の渡部と申します。この度は、ご愁傷様でございます」

渡部は名刺を差し出し、深く頭を下げた。

「ありがとうございます。着替えさせて髭まで剃っていただいたんですね」

祐一郎も深く頭を下げ、疲れたような笑みを浮かべた。

「お迎えのご準備の方はいかがでしょうか?」

渡部は祐一郎の表情を窺うように尋ねた。

「何日間くらいここには置いていただけるんでしょうか?」

祐一郎が少し声を落として聞いた。

「ここは、お迎えを待つ間の一時的な安置場所でして、他の方が亡くなられた場合も必要になります。

なるべく早めにお迎えをお願いしております。

事前にご相談されていた葬儀屋さんは……?」

「急な事で準備も何もないものでして……」

祐一郎は困ったように目を伏せた。

渡部は心の中で小さく舌打ちした。

(……来るなよ……来るなよ……)

「では、葬儀屋さんを早急にお探しいただきまして——」

(何としてでも、俺は取らね~からな!)

「渡部さんも葬儀屋さんなんですよね?」

祐一郎が言葉を遮って言った。

「これも何かの縁ですし、渡部さんは誠実そうな方なので……渡部さんにお願いしたいと思うのですが」

「……」

(まずいぞ! まずいぞ! まずい展開……!)

渡部の顔が一瞬、引きつった。

営業用の笑顔を必死に貼り付けながら、ゆっくりと口を開く。

「弊社に葬儀をお任せいただけるという事で……よろしいのでしょうか……?」

「はい、よろしくお願いします」

祐一郎は深く頭を下げた。

(うそでしょー……勘弁してくれよー……!)

渡部は胃がキリキリと締め付けられるのを感じながら、なんとか声を絞り出した。

「承知いたしました。では、まずはお父様のお帰り先ですが、ご自宅でしょうか?それとも斎場等の安置施設をご希望でしょうか?」

「うちはマンションなので、安置できる施設にお願いします」

祐一郎は一瞬考えて答えた。

(自宅は荒川区か……通常なら荒川斎場だな……、東都系じゃん!ダメだ、絶対ダメだ……!)

渡部は頭をフル回転させながら、次の候補を探した。

その時、祐一郎が静かに続けた。

「葬儀はうちの近くの荒川斎場でお願いしたいので、荒川斎場の安置施設にお願いします」

(……荒川斎場……!?)

渡部の表情が、一瞬で凍りついた。


東都葬祭は都内で6ヶ所で火葬施設を備えた斎場を運営している。落合葬儀社にとって、東都葬祭系の斎場は施行件数の8割以上を占める生命線だった。

もし暴力団関係者が参列してバレれば——取引停止になりかねない。

会社が傾く可能性すらある。


「あの……大変申し上げにくいのですが……」

渡部が慎重に言葉を選び始めた瞬間、

祐一郎が察したように口を挟んだ。

「入れ墨のことですよね?父は彫り師でした。引退してからもう20年近くになります。

もうそちらの関係の方とは交流もありませんし、知らせもしません。近親者のみで行いますので」

渡部は黙って祐一郎の目を見つめた。

そこに嘘は見えなかった。

……少なくとも、この時は。

お読みいただきありがとうございます。


今回はブラックユーモアたっぷりに “葬儀という聖域” でのドタバタコメディーを書いてみました。

全7話の短いお話です。

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。


第2話は短めですので、本日17時頃に投稿いたします。

第3話以降は明日から18時前頃に毎日投稿したいと思っております。


よろしくお願いいたします。

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