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約束の妃〜離れ離れになった、元年下夫の溺愛が止まりません〜  作者: 桔梗


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5/8

子供扱いしないで

謁見の間を出ると、重い扉がゆっくりと閉じた。


ーー途端にティアは、詰めていた息を吐いた。


「……はぁ……緊張しました」


思わず口にすると、隣を歩くカリスが顔を上げる。


「……そうは見えませんでした」


「そう見せないようにしていたんです」


「お上手なのですね」


「ありがとうございます」


今、十一歳の少年に褒められたのだろうか?

そう思うと、少しだけ可笑しくなったが、ティアはなんとか堪えた。


「殿下こそ、まだお若いのに、しっかりされていて素晴らしいですね」


カリスの眉が、ぴくりと動いた。

どうやら年齢の話は気にしているらしい。


「……十一歳でも、僕は皇太子です」


「ええ。存じておりますよ」


「来年からは政務にも参加するのですよ!」


「それは、ご立派ですね」


「剣も、五歳の頃より、習っています」


「まあ!」


「馬にも乗れます!」


「本当にすごいですね」


ティアが褒めるたび、なぜかカリスの機嫌が悪くなっていく。

ティアは首を傾げた。


「……殿下?どうなさいましたか?」


「……子ども扱いしないでください」


「していませんよ?」


「しています!」


ティアは、思わず笑いそうになった。

けれど、先ほどまで、あれほど大勢の前で完璧な皇太子を演じていた少年が、今は年相応にむっとしている。

それが、少し嬉しかった。


「では、気をつけますね」


「本当ですか?」


「努力いたします」


「はい、努力して下さいね」


その言い方があまりにも真剣で。

ティアはとうとう、小さく笑ってしまった。


「……笑いましたね」


「ごめんなさい」


ティアは口元を押さえた。


***


しばらく歩いたところで、カリスが不意に足を止めた。


「先ほどのことですが……」


声が、妙に固かった。


「……はい?」


「もう二度と、あのようなことはなさらないでください」


ティアは瞬きをした。


「……あのようなこと、とは?」


「謁見の間で、兄上に言い返したことです」


思ってもいなかった言葉だった。


「ですがーー」


「必要ありません」


きっぱりと遮られる。


「僕は、ああいうことには慣れていますから」


ティアは言葉を止めた。

カリスはまっすぐ彼女を見る。


「ここは、あなたの国とは違います。あなたが思っているより、ずっと恐ろしい場所なのです」


「……」


十一歳の口から出てくるには、あまりにも似合わない言葉だった。


「兄上は、自分に恥をかかせた相手を忘れません……」


ティアの背筋に、わずかな冷たさが走った。


「……だから、次からは、僕が何を言われようと黙っていてください。お願いします。僕のことで、あなたが敵を作る必要はありません」


そこでようやく、ティアは気づいた。

カリスはティアを心配しているのだ。


「殿下……」


「……はい」


「申し訳ありませんが、次も同じことを言われたら、私はまた口を挟むと思います」


「……なぜです?」


「なぜーー、と言われましても……」


ティアは困ったように笑う。


「そうですね……。殿下が笑われるのが、嫌だったからです」


カリスは驚いたように目を見開いている。

ティアは続ける。


「殿下が気にしていないのなら、余計なお世話だったかもしれません。私が勝手に腹を立てただけです。ーーですから、謝ります。ごめんなさい」


「……」


カリスは、それからしばらくの間、言葉を発さなかった。


***


「……こちらです」


カリスに案内されたのは、皇宮の東側にある宮だった。


扉が開かれ、ティアは中へ入るなり、目を見開いた。


「まあ……」


広いーーそれから、明るい。

大きな窓から午後の日差しが入り、室内を柔らかく照らしている。


淡い青を基調とした家具。

窓辺に飾られている白い花。

金の装飾。

どれも華やかだが、派手すぎない。


そして、ところどころに見慣れたものがあった。


「これ……」


ティアは卓上へ近づいた。

薄紫の花が描かれている、白い磁器。

スタンティノ王国でよく使われる茶器だった。


その隣には、祖国産の茶葉。

長椅子の上には、見覚えのある織物まで置かれている。


「スタンティノのもの……ですか?」


「はい、用意させました」


後ろからカリスが答える。

ティアは振り向いた。


「殿下がですか?」


「僕が選んだわけではありませんが……。侍従に、あなたの国のものをいくつか用意するように頼んだだけです」


「……どうしてですか?」


「見知らぬ国で、知らないものばかりだと、不便かと思ったのでーー」


カリスは恥ずかしそうに身体をくねらせた。

ティアは茶器へ指先で触れる。


「……ありがとうございます」


ティアは微笑んだ。


「なんだか、少し安心しました」


ティアのその言葉に、カリスの表情が明るくなったのがわかった。


***


侍女たちが荷解きをしている間、カリスは部屋の隅に立ったままだった。

帰る様子もないので、ティアは少し不思議に思う。


「……殿下?」


「はい」


「何か、私にお話しされたいことでも?」


「……」


カリスはちらりと年配の侍従を見る。

侍従が小さく頷いた。


ーーすると、一人の侍女が、小さな銀製の箱を卓上へ置いた。

蓋を開くと、中には、細長い銀の針。


「……これは?」


ティアが尋ねる。


「お毒見用の針でございます」


侍女が答えた。


「……毒見?」


ティアの声がわずかに低くなる。


「殿下とティア様のお食事には、すべて事前の確認が入ります」


「……」


「基本的には、毒見役の侍女が事前に確認するので問題ないのですがーー。お茶も、お菓子も、果物もーー口に入れるものは、念のために必ず確認をして下さい」


カリスが言った。

ティアは彼を見る。


「……そこまでする必要があるのでしょうか?」


思わず尋ねてしまうと、カリスは、なぜそんなことを聞くのだろうーーそう言いたげに首を傾げた。


「普通のことですよ」


ティアは何も言えなかった。


「それからーー皇宮内でも、一人では出歩かないでください」


後ろ盾の少ない皇太子の婚約者。

この宮殿では、自分もまたーーすでに盤上へ置かれた駒なのだと、ティアは悟ったのだった。


***


「では、僕はこれで失礼します」


一通り説明を終えると、カリスが小さく礼をした。


「ティアは、夕食までお休みください」


「殿下はどちらに?」


「……僕は、授業がありますので……」


「……え、今からですか?」


外を見る。

空は暗くなり、もうかなり遅い時間だ。


「はい」


後ろにいた老侍従が。

ほんのわずかに表情を動かした。

カリスがすぐに彼を見る。


「爺ーー」


「はい」


「余計なことは言わなくていい」


ティアは眉を上げた。

それでは……何かあります、と言っているようなものだ。


「なんですか?」


「……」


カリスは答えない。

十一歳らしくない少年だと思っていたが。

嘘をつくのは、それほど得意ではないらしい。

年配の侍従が小さく咳払いした。


「グレンヴィル嬢ーー本日、殿下は午前の講義を欠席されたのです」


「ーー爺!」


カリスが明らかに嫌そうな顔をした。

ティアは侍従を見る。


「それは、なぜですか?」


「ティア様のお出迎えのためでございます」


「……出迎えですか?」


ティアは首を傾げる。


「けれど、わたくしが到着したのは午後ですよ?」


「はい」


「……?」


侍従は困ったように微笑んだ。


「……殿下は予定より三時間ほど前から、外でお待ちになっておられましたので」


ティアは驚いて、カリスを見る。


「……三時間?」


「……」


「ずっとですか!?」


「……船は、予定より早く到着することもあると聞きましたので……だから待っていただけです。婚約者を出迎えるのは当然でしょう?」


カリスは観念したように話し始めた。

ここで「それほど、楽しみにしていたのですか?」などと尋ねるのは、少し違う気がした。

この少年にとって、おそらく本当に、それは「当然のこと」なのだろう。


「そうですか……」


ティアはただ頷いた。


「殿下、お出迎えしてくださって、本当にありがとうございました」


「……いえ。ではまた後ほど……」


そう言うと、カリスは顔を赤らめながら、部屋を後にした。


カリスが部屋を出て、扉が閉まると同時に、ティアはようやく長椅子へ腰を下ろした。


「……なんだかすごく疲れたわね」


思わず声が出る。

エマが苦笑した。


「お嬢様、お疲れさまでございました」


「あなたもね」


ティアの言葉に、エマは微笑む。


「エマ……」


「はい」


「私たち……思っていたより、とんでもないところへ来てしまったのかもしれないわね」


ティアは銀の針を見ながら呟く。

エマが困ったように笑った。

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