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約束の妃〜離れ離れになった、元年下夫の溺愛が止まりません〜  作者: 桔梗


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4/8

小さくて優しい皇太子

「殿下」


控えていた年配の侍従が、静かに声をかけた。


「そろそろ、謁見のお時間でございます」


「ああ」


カリスは頷いた。

それから一度、繋いだままの手へ視線を落とす。

ティアもつられて見る。

てっきり離すのだろうと思ったが、少年の指は、ほんの一瞬だけ迷うように動いたあと、離れるどころか、もう一度ティアの手を握り直した。


「……殿下?」


「では、参りましょう。皇帝陛下がお待ちです」


何事もなかったように、カリスが歩き始める。

周囲の侍従たちも、わずかに表情を変えている。


「殿下」


後ろから、侍従長らしき男が遠慮がちに声をかけた。


「ご令嬢は我々がお連れいたしますのでーー」


「必要ない」


「ですが……」


「僕の妃なのだから、僕が案内する」


誰も、それ以上は何も言わなかった。


小さな身体のわりに、思ったより足が速い。

ティアも慌ててその隣に並んだが、数歩進んだところで、カリスがふいに足を止めた。

どうしたのだろうと思っていると、少年はちらりとティアのドレスへ目を落とした。

それから自分の足元を見ると、何かを考えるように黙ったあとーー今度は、先ほどよりずっとゆっくりと、再び歩き出した。


ティアは瞬きをする。

どうやら、ティアが歩きやすいように、歩幅を合わせてくれたらしい。

そんな些細なことが、なぜだか妙に可笑しかった。


カリスは前を向いたまま、ふいに尋ねた。


「船旅は、辛くはありませんでしたか?」


「あ……はい。船に乗るのは初めてでしたので、少し船酔いはしましたけれどーー大丈夫でしたよ」


「船酔いですか……」


カリスが、心配そうにこちらを見る。


「今も気分が悪いですか?」


「いいえ。もう大丈夫ですよ」


「本当に?」


思いのほか真剣に尋ねられ、ティアは少し笑った。


「本当です」


「そうですか」


カリスは安心したように前を向いたが、しばらくすると、またこちらを見た。


「お食事は?」


「え?」


「船の中で、食べられましたか?」


「ええ。食べましたよ」


「そうですか」


「殿下」


「はい、なんでしょう」


「もしかして、心配してくださっているのですか?」


カリスは足を止めて、ティアを見上げた。


「当然でしょう?」


何をおかしなことを聞くのだ、という顔をした。


「あなたは僕のために、この国へ来てくれたのですからーー僕には、あなたが困らないようにする責任があります」


そう言うと、カリスはまた歩き始めた。

ティアは一拍遅れて、その隣を歩く。


二人とも、繋いだ手だけは、離さなかった。


***


やがて、巨大な扉の前でカリスが足を止めた。

近衛兵が左右から扉を開くと、眩い光が差し込んだ。


ーー謁見の間。


その最奥の数段高く設けられた場所に、二つの玉座があった。

片方には、壮年の男。

その隣には、金髪の美しい女性が座っている。

皇帝と皇后だろう。

そしてーー、玉座へ続く左右には、六人の青年や少年たちが並んでいた。

ティアは一目で理解した。

カリスの兄たちだ。

第一皇子から、第六皇子。

年齢も、容貌も、纏う雰囲気も違うけれどーー共通していることが一つだけあった。


皆、カリスを見ていた。

ティアは無意識にカリスの手を握った。

すると、少年の指が、すぐに握り返してきた。

まるで、「大丈夫です」とでも言うように。


「カリス」


玉座から声が降ってきた。

皇帝だった。


「いつまで手を繋いでいる」


「失礼しました」


すぐに手が離れーーティアは、なぜだか少しだけ寂しく感じた。

カリスは数歩前へ進み、片膝をつく。


「皇帝陛下。ティア・グレンヴィル公爵令嬢をお連れいたしました」


ティアも、ドレスの裾をつまんで深く礼を取る。


「ティア・グレンヴィルにございます。イオスフィア帝国の太陽と月に、ご挨拶申し上げます」


「顔を上げよ」


ティアはゆっくり顔を上げた。

皇帝がじっとこちらを見る。


「よく来たな、グレンヴィル嬢。歓迎しよう」


「ありがとうございます」


「話には聞いているぞ。王家にも連なる公爵家だそうだな」


「恐れ入ります」


「我が国との結びつきが、両国に長き安寧をもたらすことを期待している」


完璧な外交辞令。

ティアがどう答えるべきか考えていると。

皇帝の視線が、カリスへ移った。


「お前には、過ぎた相手だ」


ティアの瞳が僅かに動く。

カリスは慣れているようだった。


「承知しております」


「……」


ティアはカリスの横顔を見る。


「ティア嬢」


今度は皇后が口を開いた。


「カリスはまだ幼いでしょう?」


優雅な微笑みだった。

けれど、なぜだろう。

ティアには、先ほどの皇帝よりも、この女性の方が恐ろしく見えた。


「ティア嬢は確か、十八だったわね。カリスとは七つ違い……。夫というより、可愛い弟が一人増えたような心持ちではなくて?」


ティアは目を見開いた。

ここで初めて、カリスの年齢を知ったのだから、無理もない。


(……七つ違い……。ということは、カリス殿下は……十一歳なの!?)


皇后が笑うと、続いて小さな笑い声がした。

皇子の誰か、あるいはーーその後ろに控えている貴族だろうか。

ティアにはわからなかった。


だが、カリスにはわかったらしい。

海青の瞳が、声のした方へ動いた。

表情は変わらない。


「母上」


第一皇子と思しき青年が口を開いた。

二十歳を越えているだろう。

濃い金色の髪に、堂々とした体格だ。


「そのようにおっしゃっては、カリスが可哀想ですよ。まあ、でも確かにーー年上の御令嬢をお迎えして、どちらが面倒を見る側なのかわかりませんがね」


今度は、はっきりと笑い声が起こった。


「兄上のおっしゃる通りです」


カリスが答えた。


「僕はまだ幼く、至らないことばかりです」


「なんだ?今日は随分と素直だな」


「事実ですから」


「それでも皇太子だろう?」


第一皇子は笑う。


「神がお選びになったのだからな!」


カリスは何も言わない。

言い返せないのではない。

言い返さないのだ。


こんなに幼いのに、もう理解しているのだ。

どう対応すれば、これ以上、相手を喜ばせずに済むのかを。

そのことが、たまらなく悔しかった。


「陛下」


気づけば声を出していた。

室内の視線が一斉にティアへ向く。

カリスが驚いたようにこちらを見た。


「何だ?」


皇帝が尋ねる。

ティアは微笑んだ。


「先ほど陛下は、カリス殿下にはわたくしが過ぎた相手だとおっしゃいましたがーー訂正させていただいてもよろしいでしょうか?」


周囲が静まった。


「ほう、申してみよ」


ティアは一度、カリスを見る。

少年が目を見開いている。

それから、ティアは再び皇帝へ向き直った。


「わたくしにとっても、カリス殿下は過ぎたお方でございます」


周囲は静寂に包まれた。


「海を渡り、見知らぬ国へ参りましたわたくしを、殿下は自らお迎えくださいました」


皇帝の目が僅かに細くなる。


「それだけではありません。長旅で私が体調を崩していないか、食事はできたのかーー。初めてお会いしたばかりのわたくしを、心から気遣ってくださいました」


ティアはちらりと第一皇子を見る。


「年齢だけを理由に、その方の器まで幼いと決めつけるのは――少々、もったいないことかと存じます」


そう言って、ティアは微笑んだ。

第一皇子の笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。


(……ちょっと言いすぎたかしら)


海を渡って一日目。

早くも外交問題を起こしたかもしれない。

けれど、不思議と後悔はなかった。


皇帝だけがしばらくティアを見つめて、低く笑った。


「なるほど。美しいだけの娘ではないらしい」


玉座へ深く背を預ける。


「スタンティノ王国は、ずいぶん胆の据わった娘を寄越したものだ」


「お褒めにあずかり光栄です」


皇帝は再び低く笑った。


「よかろう。カリス」


「はい」


「せいぜい、その娘に見限られぬよう励め」


「はい……心得ております」


「ティア嬢、長旅で疲れただろう。今日は休むがよい。正式な歓迎宴は明晩開くことにしよう」


「お心遣い感謝致します、陛下」


ティアが礼を取る。

話は終わったらしい。

ティアは再び頭を下げ、二人は謁見の間を後にした。

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