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約束の妃〜離れ離れになった、元年下夫の溺愛が止まりません〜  作者: 桔梗


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3/8

夫になる人

ティアが後になって知ったことだが……。

十一歳のカリス・シュレースヴィヒは、その日、彼女を迎えるために三時間も宮殿の前で待っていたらしい。


もちろん、ティアを迎えるために、宮殿には侍女や、近衛騎士たちが揃い、正式な出迎えの準備が整えられていた。

けれど、彼らが所定の位置につくよりもずっと前からーーカリスだけは、そこにいた。

『イオスフィアの皇太子ともあろうお方が、外で待ち続けるなどなりません』、と何度も侍従に諫められていたそうだ。

それでも少年は、宮殿へ戻ろうとしなかった。

それでも少年は、待ち続けたのだ。


ーーこれから出会う、ただ一人の“妃”を迎えるために。


***


海を渡る船の上で、ティア・グレンヴィルは何度も同じことを考えた。

ーー本当に、これでよかったのだろうか。

だが、最初から答えなど必要とされていなかった。

ティアはグレンヴィル公爵家の長女である。

そして今回の婚姻は、ティア個人の幸福のために決められたものではない。

二国間に新たな同盟を結ぶため、その証としての駒となるーーそれだけの話だった。


「お嬢様。間もなく港へ到着いたします」

 

侍女の声に、ティアは窓の外へ目を向けた。

青い海の向こう。

霞んでいた陸地が、少しずつ近づいてくる。

 

白い石造りの街。

いくつもの尖塔。

そのさらに奥、丘の上には巨大な城壁に囲まれた宮殿が見えた。


「思っていたより、ずっと大きいのね」


「……ええ。そのようですね」


侍女のエマは、不安そうに微笑んだ。

ティアも笑い返した。

自分まで怯えた顔をしてはいけない。

この国へ連れてきた侍女たちは、ティア以上に不安なはずなのだから。

 

言葉こそ通じるが、文化も習慣も違う。

そして何よりーーティアは、これから夫となる男の顔すら、まともに知らない。

知っているのは、名前だけだった。

年齢についても、父から詳しい説明はなくーーただ、『かなり若い皇子だ』そう聞かされていたので、せいぜい十五、六歳だろう、とティアは思っていた。

自分より少し年下で、まだ社交界にも慣れていない少年なのかもしれない。

だからこそ、年上である自分が支えればいい。

そんなふうに考えていた。


――この時までは。

    

***


港では、帝国の外務官と皇宮から派遣された侍従たちがティアを迎えた。

形式に則った挨拶を済ませ、帝国の紋章が刻まれた馬車へ乗り換える。

そこから皇宮までは、およそ一刻。

帝都の中心へ近づくにつれ、道幅は広くなり、建物は壮麗さを増していった。


宮殿へ到着すると、すぐに、一人の少年が見えた。


(……子ども?)


年齢は十歳を少し過ぎた程度だろう。

淡い銀色の髪をきっちりと整え、黒地に金糸の刺繍が施された礼装を身につけている。

その両脇には、騎士が二人整然と並んでいた。

階段の前には侍女をはじめ、帝国の高官たちが控えているようだった。


少年の前で、ティアは足を止めた。


(……まさか)


少年と目が合った瞬間ーー、公爵の言葉が、頭の中に蘇った。

『イオスフィア帝国で崇拝される守護神は、果てなき海そのものを宿したような青い瞳を持っていたとされる』

ーーティアは、その瞳に釘付けになった。

 

少年が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

そしてティアの前で立ち止まる。


「長旅、お疲れ様でした。イオスフィア帝国へ、ようこそお越しくださいました」

 

声変わりもしていない、幼い声だった。

それでも言葉遣いには迷いがない。

その瞬間、ティアはようやく理解した。

この少年こそーー自分が嫁ぐ相手なのだ、と。


「あなたの夫になる、カリス・シュレースヴィヒです」


そう言って、少年は右手を差し出した。

ティアは瞬きをした。


(お父様……!)


心の中だけで父を睨みつける。


十五、六歳どころではない。

どう見ても、子どもだ。

帰国したら絶対に文句を言ってやる。

ーーいや。

帰国する予定など、もうないのだけれど……。

 

ティアが黙り込んでしまったからだろう。

カリスは差し出していた手を、ごくわずかに引いた。

その動きで気づいた。

彼の指先が、ほんの少し、震えている。


ティアは少年の顔を見る。

表情には何も出ていない。

まるで大人の皇族のように、完璧な微笑みを浮かべている。

だが、まだ子供だ。

 

(……彼も、緊張しているのね)


考えてみれば、当然のことだった。

年上の外国人を婚約者として与えられたのは、カリスも同じなのだ。

ティアばかりが見知らぬ国へ連れてこられたと思っていた。

けれどーー、目の前の少年だって、今日初めて会う女を、これから自分の妻として受け入れなければならないのだ。

ティアは、小さく息を吐き、そしてーー差し出された手を取った。


「ティア・グレンヴィルです」

 

カリスが、わずかに目を見開く。

ティアは優しく微笑んだ。


「これから、よろしくお願いいたしますね。殿下」


少年の手は、思った以上に小さかった。

ティアの手の中に、すっぽりと収まってしまいそうなほどに。

けれど、カリスはすぐに力強く握り返してきた。


「……こちらこそ」


そう言ってから、カリスは少しだけ顎を上げた。

そして、まるで用意していた台詞を言うように告げた。


「ようこそ、僕の妃」

 

周囲から、小さなどよめきが起こった。

婚約者に対して「妃」と呼ぶのは、ずいぶん気が早い。

だが本人は気づいていないらしい。

真剣な顔をしている。

ティアは思わず笑いそうになり、慌てて唇を結んだ。


「……はい」


それだけ答えた。

すると、カリスは安心したように見えた。

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