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約束の妃〜離れ離れになった、元年下夫の溺愛が止まりません〜  作者: 桔梗


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2/8

突然の政略結婚

「ティア。お前には、イオスフィア帝国の皇子のもとへ嫁いでもらうことになった」


父にそう告げられた時ーー、ティア・グレンヴィルは、手にしていたティーカップを静かに受け皿へ戻した。


「……イオスフィア帝国、ですか」


「ああ」


父ーーグレンヴィル公爵は、いつになく険しい顔をしていた。

書斎にはティアと父の二人きり。

窓の外では、庭師が薔薇の枝を剪定している。


午後の日差しも、壁際で時を刻む古時計の音もーー昨日までと何ひとつ変わらない。

ただ、自分の人生だけが大きく動いた瞬間だった。


ーーイオスフィア帝国。


海を隔てた大国だ。

歴史も古く、領土も広い。

軍事力に至っては、周辺諸国が束になっても敵わないとまで言われている。

ティアの祖国にとっても、決して敵に回したくない国だった。


その帝国との婚姻。

驚きはしたけれど、公爵令嬢として生まれた以上、いつかは政略結婚することになるのだろうと、覚悟していた。

むしろ、相手が隣国の伯爵でも、国内の老侯爵でもなく、大国の皇族だと聞けばーーこの上ない縁談なのだろう。


ティアは一度息を整えた。


「承知いたしました」


公爵が顔を上げた。


「……いいのか」


思わず、ティアは笑った。


「お父様が、それをお尋ねになるのですか?」


「……それもそうだな」


「公爵家の娘ですもの。いつかは、こういう日が来ると思っておりました」


恋をして、好きな人と結婚してーー。

そんな人生を思い描いたことがないわけではない。

けれど、それは夢と現実を混同するほど幼い頃の話だ。


「それで……、私は、どの皇子様に嫁ぐのでしょうか?」


確か、イオスフィア帝国には七人の皇子がいるはずだ。

さすがに、皇太子ではないだろう。

第二皇子、もしくは第三皇子あたりだろうか……。

頭の中で候補を思い浮かべていると、父が妙に言いづらそうに口を開いた。


「……第七皇子でありーー皇太子でもある、カリス・シュレースヴィヒ殿下だ」


「第七皇子で……、皇太子……ですか?」


「ああ」


「第七皇子が、皇太子なのですか?」


思わず聞き返してしまう。

普通に考えれば、第一皇子が最も皇位に近い。

もちろん国によって継承法は違うだろうが、七人いる皇子の末の一人が皇太子というのは、どうにも不自然だった。


「ちなみにーーカリス殿下は、おいくつですの?」


そこで、公爵が黙った。

ティアは首を傾げる。


「お父様?」


「……かなりお若いそうだが……、まあ、お前ならうまくやれるだろう」


「……?」


それから、公爵は少し考えるようにしてから、口を開いた。


「《マティ》という言葉を聞いたことはあるか?」


「……マティですか?いいえ、聞いたことがありません」


ティアが首を振ると、公爵は静かにいった。


「イオスフィア帝国で崇拝される守護神は、果てなき海そのものを宿したような青い瞳を持っていたとされる。ゆえに、皇族にごく稀に現れるこの瞳はマティと呼ばれ、その瞳を持つ者は神に選ばれたものであるとされているそうだ」


「では……カリス殿下は」


「あぁ。七人の皇子の中で、ただ一人、マティを持って生まれたそうだ」


父は静かに告げた。

しばしの沈黙の後、ティアが口を開いた。


「……ところで、お父様。なぜ、私なのでしょうか?イオスフィア帝国ほどの大国なら、殿下のお相手など選び放題でしょうに」


父は机の上で指を組む。


「今回の婚姻は、帝国側から申し入れられたものだ」


「帝国から……ですか?」


「ああ」


それは意外だった。

公爵は続ける。


「いやーー、正確に言えば、先に同盟を申し込んだのは我が国だ。我が国は今、イオスフィアとの同盟を必要としている。もしこの交渉がまとまらなければ、数年先には国そのものが立ち行かなくなる可能性さえある。そしてーーイオスフィアは、同盟を結ぶ条件として一つの要求を出してきた」


「……それが、皇太子カリス殿下との婚姻関係なのですね」


「あぁ。同盟を確かなものにするための婚姻――そう言えば聞こえはいいが……、彼らが望んでいるのは、同盟のための人質ーーとでも言った方がいいのだろうな」


(だから、お父様は険しいお顔をされていたのね……)


ティアはわずかに目を伏せた。


「……ええ。理解しました」


ティアがそう答えると、父は苦い表情を浮かべた。


「……今回の婚姻は、両国の同盟を形にするためのものだ。本来であれば、王家から姫君を嫁がせるのが最も望ましいのだが、我が国には王女がいない」


ティアは頷いた。

確かに、この国には王子しかいない。


「ーーとなれば、次に求められるのは王家に近い血筋と、それに見合う家柄の娘というわけだ」


父の視線が、まっすぐティアへ向けられる。


「そして我が国で、それに該当する家はそう多くないだろう。中でも我がグレンヴィル公爵家は王家との縁も深く、家格も申し分ないからな」


「ええ、そうですね」


ティアは納得したように頷く。


「……それから、カリス殿下には、後ろ盾がないそうだ」


ティアは父を見る。


「後ろ盾ーーですか?」


「ご側室だった母君は、殿下が幼い頃に亡くなられたそうだ。そして、母君は元々、皇后陛下の侍女だったそうなのだが……そのせいで、宮殿でカリス殿下はこれまで、随分と肩身の狭い思いをしてきたそうだ」


「……そうなのですね」


「カリス殿下は、マティを持って生まれた。ただ、それだけで皇太子になったのだからーー仕方のないことだろうがな。第一皇子から第六皇子まで、皆それぞれ母方に有力な家門がついているらしい。長く皇位を期待されていた皇子もいたのだろう」


その中へーー第七皇子が、ただ一つの瞳を理由に割って入った。

ティアにも、それがどういう立場なのかくらい想像できた。


――カリス・シュレースヴィヒ。

まだ顔も知らない未来の夫を、ティアはその時初めて、ひとりの人間として想像したのだった。

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