八.帰郷(1)
赤や黄に色づいた木々が城下を温かく彩っている。晴れた空の下、城の庭園では使用人たちが忙しく動き回り、芝生にテーブルや椅子を並べ、秋の草花や木の実を飾りつけていく。ルディオはエリサの私室で書棚の整理をしながら、窓越しにその様子を眺めていた。開いた窓から涼風に乗って微かに届く手際のいいやりとりに、大きなため息が重なる。
「わたし、頭が悪いのかしら……」
手を止めて振り返る。ため息の主は書棚脇の机に向かうエリサだ。びっしりと文字の書かれた紙を広げて睨むように見下ろしながら、赤い髪紐で束ねた髪先に指を絡ませている。右手で構えた羽根ペンの先はすっかり乾き、星白鳥の美しい羽が細い指に弄ばれて規則正しく揺れていた。もう昼時だが、今朝からずっとこの調子だ。
「そんなに難しいのか?」
「全然分からないの。一生懸命勉強しているはずなのに、ちっとも覚えられない。こんなことじゃ、国交をお任せしていただけないわ……」
紙に書かれているのは、今朝教師に出してもらったばかりの地理学の課題である。一月前——王国の地下に眠る秘密を目にして以降、エリサは作法の講習や勉学にこれまで以上に真剣に励むようになった。壁の外へ出るときに備え、王女という立場に恥じない知識や教養を身につけるという目標ができたようだった。しかしなかなか思うような成果が出ず、焦っているのが傍目にも分かる。
「ねえ、ルディオ」
エリサは溜息をついて机に突っ伏し、王女らしからぬ姿勢のまま口を開く。
「式典の日に、言ってくれたでしょう。大きくなれば、今よりもっといろんなことをできるようになるって。少しずつできることを増やせばいいって」
「ああ」
「今のところ、全然、全く、なんにもできそうにない。自分の勉強も、お姉様のお手伝いも、結果が出せたことなんて一度もないもの。異国に行くのはまだ先のことだって分かってはいるけれど……」
焦らなくていいと何度伝えても、懸命に走って、躓いては落ち込む。女王に使命を託されたあの日から、エリサの姿を見ていると時折胸が締めつけられるようになった。心配や不安とは、似ているようで少し違う気がする。書棚に勉強の参考になりそうな本を見つけてルディオは背表紙に指を掛けたが、思い直して手を離した。
「しばらく勉強漬けだっただろ。一息に詰め込みすぎてもかえって覚えられないぞ。今日はせっかくの感謝祭なんだから、たまには羽を伸ばしたらどうだ」
「そうね……」
エリサは頭を切り替えるように首を振った。ペンをインク壺に立て、小走りで窓辺へ寄る。庭を見下ろせば、花飾りはすっかり整えられ、籠に盛られた果物や食器が並び始めている。宴の準備は着々と進んでいるようだ。
「二年ぶりに会えるんだものね。たくさん話したいわ。早く帰ってこないかしら」
「もうすぐだ 」
実を言えば先程から、徐々に城へと近づいてくる独角鹿の蹄の音が聞こえている。じきに到着するだろう。
今日、国境視察団が城へ帰ってくる。
数日前に先触れの報せが届いてからというもの、皆が働き通しで、王城は忙しないながらもどこか心地良い活気に包まれていた。
七年に一度、氷壁やその付近の村々に異状がないか、王国を一周して見回るのが視察団の務めだ。王命を受けた魔法学者数名と、護衛の騎士数名が派遣され、視察には丸二年を要する。そして帰城の日には、始祖の加護への感謝と視察団の労いのための宴が開かれる。ちょうど実りの季節とも重なり、城下では酒や料理がふるまわれるため、王都の内外から大勢の国民が集う賑やかな祭りとなるのだった。
城門の軋む音が届いた。エリサはぱっと顔を輝かせ、大窓を開いて露台に駆け出す。独角鹿に跨った騎士と学者たちが、使用人の歓声に迎えられつつ跳ね橋を渡ってくるのが見えた。
「帰ってきたわ!」
すぐさま踵を返し、エリサはルディオの手を引いて部屋を飛び出した。小走りで廊下を抜け、マーチェルに見つかれば説教間違いなしの二段飛ばしで庭園へと続く階段を駆け下り、城門前の広場へ走る。
「お帰りなさい!」
純白の独角鹿に跨った壮年の騎士がこちらを向いて顔を綻ばせた。歓迎の声に丁寧に応えながら広場まで進むと、部下たちに先に行くよう指示し、鹿の背から下りる。エリサはその胸の中へ飛び込んだ。あまりの勢いに笑い混じりの呻き声を発しながら、騎士は小さな身体を抱きとめた。
「エリサ様! また大きくなられましたな」
近衛騎士団団長ザウロ・ガルデロイ。王国最強と名高い騎士であり、陰では王女たちの父ではないかと噂されている人物でもある。
オリヴェルダ王国では、「始祖オリヴェルダの血」こそが最も尊ぶべきものとされている。王家の血には始祖の魔法が溶けており、代々生まれるのは女のみ、当然王となるのも女である。王は生涯婚姻をすることはなく、守護竜と四領主の承認を得た上で、信頼する臣下と内密のうちに関係する。相手は王室には入らない。それどころか公になることもなく、表向きには話題にあげることすら禁忌とされる。全て、始祖の血を引かぬ者に権力が渡らぬようにするためだという。
そういう事情で、ザウロが本当にエリサたちの父なのかは定かではない。しかしたとえ違ったとしても、長年にわたり王家に仕えてきたこの騎士がエリサにとって父のような存在であることには変わりない。ルディオにとっても近しく、頼りになる存在であった。
「御役目お疲れ様でした」
労いの言葉をかけるとザウロはこちらを見上げてにやりと笑う。
「元気そうだな。お前も背が伸びたか?」
「二年程度じゃ変わりませんよ」
「視察は無事に終わったの?」
エリサが訊ねつつ独角鹿の背を撫でにいく。ええ、と答えたザウロが一瞬眉根に皺を寄せるのを、ルディオは見逃さなかった。ザウロは気づかれまいとしてかすぐに笑みを浮かべる。
「それよりエリサ様、お土産がございますよ」
「本当?」
白い毛並みに手を滑らせながらエリサが目を輝かせる。渡された紙包みを開くと、中身は片手に収まるほどの小瓶だった。黒く艶めく、とろりとした液体が詰まっている。
「何が入っているの?」
「北領で採れる黒苺のジャムです。果実は酸味が強いですが、蜂蜜と合わせて煮詰めると美味いんですよ。パンに塗ってもいいし、茶に合わせても、パイで包み焼きにしても」
「すっごくおいしそう」
さすがと言うべきか、エリサの喜ぶものをよく心得ている。
「北領は……ヒルグ山の麓では黒苺がたくさん採れるし、独角鹿の放牧も盛んで、入り江では鮭や鱈が獲れるのよね」
「よくご存じですな」
「さっきまで勉強していたの。でも食べ物のことしか覚えられなくて……」
エリサは顔を曇らせかけたが、すぐに笑顔に戻り、大切そうに小瓶を両手で包んだ。
「素敵なお土産をありがとう。大事にいただくわ」
「お気に召されましたら、また買ってきますよ。こいつの足なら一日もかからない」
愛鹿の背を軽く叩き、ザウロは一礼して手綱を引いた。
「では、調書をまとめねばなりませんので、失礼します。また後ほど――」
「待って、ザウロ」
エリサが呼び止めた。振り返った騎士の前へ進み出ると、姿勢を正す。
「お願いがあるの。明日からしばらくは城にいる?」
「しばらくは遠征の予定はありませんが……いかがされましたか?」
改まった切り出し方に、ザウロは僅かに身構えている。負けず劣らずルディオも狼狽していた。何を言おうというのか一切の心当たりがない。エリサはひたとザウロを見上げて口を開いた。
「わたし、剣術を学びたいの。あなたに教えてもらえないかしら」
「ほう」
驚き混じりの笑みを浮かべたザウロとは対照的に、ルディオは胸に何度めかの重苦しさを覚え、眉をひそめた。エリサは気づくこともなく、身振り手振りを交えて懸命に説得しようとする。
「勉強じゃなくて、身体を動かすことなら上手くできる気がするの。怪我をしたって構わないから、試しに一度学ばせてほしくて」
「いけません」
苦しさに堪えかねて、声を発していた。エリサの目の前に身体を割り込ませ、目を合わせる。
「それは貴方の領分じゃない。お守りするのは守護竜の役目です」
ザウロの手前、丁寧な言葉遣いで諭したが、内心は穏やかでなく口調は厳しくなった。エリサは傷ついたような表情でルディオを見上げる。その顔を見ると心が揺らぐが、マーチェルやエクシオスロの言葉を思い出し、間違っていないはずだと己に言い聞かせる。
――主君の望みであろうと斥けるべき時もある。
「でも、いろんなことに挑戦するのはいいことだって」
「自分のすべきことだけやればいい。姉君も仰ったはずです」
「剣術だってそうだもの。いつか異国へ行くときのために」
「それなら他にもやることが山ほどあるはずだ。お前はあの男の子の真似事がしたいだけだろ」
思わず強くなった声に反発するように、エリサがこちらを睨み上げた。
「だってわたしたち、あの人のおかげで助かったじゃない。もし危ない目にあっても、あの人くらい剣が使えれば」
「必要ない、俺がいる」
すぐに分かってもらえるだろうと思っていたのに、エリサの表情は険しくなる一方だ。
「もちろん頼りにしてるわ。でもルディオだって、いつも元気で本気の力が出せるとは限らないでしょう」
「だとしてもお前の助けは必要ない、そんなに俺が頼りないか」
「ちが――」
「そこまで!」
よく通る声が言い合いを制した。落ち着かせるようにエリサとの間に手を翳しながら、ザウロが優しく説く。
「二年ぶりに帰ってきた身には分かりかねるお話が多い。続きは祭りの際にゆっくりと。よろしいですか」
エリサは得心のいかない表情で渋々頷いた。ルディオとは目を合わせようともせず顔を背け、足早に元来た階段を昇っていく。その背を見送りながら、ザウロは暢気な顔で笑っている。
「お前とエリサ様が喧嘩になるのは珍しいな」
「面白がらないでください」
「悪い悪い。お前の言い分も後でたっぷり聞かせてもらう」
全く悪いと思っていなさそうな口調で詫びると、軽やかに独角鹿の背に跨り、愉しげに声を低めて囁いた。
「『あの男の子』ってのが誰なのかってこともな」
陽が傾き始める頃、感謝祭は緩やかに始まった。視察団の無事の帰城を祝う式典の後、城門が開放され、城の敷地はすぐに人で溢れる。貴族も平民も分け隔てなく、大いに食べ、飲み、歌い騒いだ。
女王は式典にのみ出席し、視察団に労いの言葉をかけた。容態は安定していると聞いていたが、久々に拝した姿は心なしか更に痩せたように見えた。マーチェルも初めのうちは宴に参加し、ザウロや視察団の面々と言葉を交わしていたが、薬の研究に関することで薬師から呼び出しを受け、エクシオスロを連れて病院へ向かっていった。
ザウロは部下たちと久闊を叙した後、祭りに行きたがっていたエリサを城下へと連れ出してくれた。当然ルディオも随行したが、昼間の諍い以降エリサとは一言も口をきいていなかった。王女と守護竜との絆、かつ長年の慣れによって、口をきかなくても意思の疎通が可能なため和解の機会が生まれなかったのだ。
湖畔の広場には踊りの輪ができていた。黒い布地に鮮やかな刺繍の映える伝統衣装を着た子どもたちが、焚火を囲んで跳ね回っている。透かし彫りの美しい角灯がずらりと吊られた大通りを歩けば、楽団の演奏に花冠作り、羊の丸焼きの解体、蜂蜜酒の品評会など多様な催しがあり、どこを見ても賑やかで飽きることがない。
射的をやってみたいと言い出したエリサに、ザウロが弓の扱いを教え始めた。ルディオは木陰に並んだ見物用の丸椅子に腰かけて、ぼんやりとその様子を見守っていた。矢はなかなか真っ直ぐに飛ばず、ザウロが手本を見せるようだ。放たれた矢は的の中央を狙い違わず貫く。周囲から歓声があがる。エリサは目を丸くして手を叩き、もう一度見せてとねだる。
なぜあれほど頑なに反対してしまったのだろう。
数刻前の己の言動を反芻すればするほど、浮き彫りになっていくのはあまりに身勝手な感情だった。自己嫌悪がじわじわと胸の裡を蝕み、無意識のうちにため息をつく。
「少しは頭が冷えたか」
いつの間にかザウロが隣に立っていた。エリサは他の客たちと楽しげに言葉を交わしながら、初心者用の大きな的に挑戦している。ザウロはルディオの隣に腰掛け、傍を通った売り子に声をかけて蜂蜜酒を二杯頼んだ。竜が酒に酔うことはないが、味は楽しめる。ありがたく厚意を受け取り、よく冷えた銀の酒杯で乾杯をした。
「それで、昼間はどうしたんだ」
ザウロは酒を一息に半分以上飲み下して笑う。「いつもエリサ様全肯定のお前にしちゃ頑なだったじゃないか」
そんな風に思われていたのかとばつが悪かったが、確かにエリサと口論して意見を曲げなかったのは初めてかもしれなかった。
「話してみろ。俺のいない間にいろいろとあったんだろう」
ザウロの声は優しさ半分、野次馬根性半分といった響きだったが、敢えて後者を露わにするのも彼なりの思いやりであると分かる。ルディオは酒を少しずつ飲みながら語った。十歳の式典で判明した、エリサの魔力のこと。女王の薬を探すために異国へ行ったこと。そこで初めて知った王国の立場。出会った少年。マーチェルとエクシオスロからの叱責。氷に鎖された不死者の存在については話していいものか分からず言葉を濁してしまったが、ザウロは察したように言葉を引き継いでくれた。
「見たんだな。大聖堂の地下の化け物」
躊躇なく化け物と呼んだ声は厳しかった。ルディオは静かに頷く。
「見ました」
「陛下も、お前たちにいつまでも秘めておくわけにはいかないとお考えだったんだろう」
一つ息を吐き、ザウロは眉根に深く皺を寄せた。
「氷壁はもう長くは持たん」
ルディオは黙り込んだ。女王から既に聞いていたことではあった。しかし実際に間近での調査を終えてきたばかりの者から聞くと、また違った重みが腹の底にのしかかるようだった。
「今回の調査で、新しい罅やら亀裂やらが大量に見つかった。ざっと三千以上、学者たちの話では魔力の反応も薄れているらしい……現に、氷壁の表面に直に触れて調査できたのは今回が初めてだ」
ザウロは顔を上げ、街の屋根屋根の遥か先、朱に染まる空を映して聳え立つ壁を見やる。
「氷壁が消えれば、『英雄』の存在を知る国が奪還のために攻め入ってくる可能性は充分ある。いや、封印が解けてあれ自身が暴れ出すかもしれん……そうなればどんな惨状になるか見当もつかん」
彼と対峙した際の感覚が呼び起こされ、ルディオは身震いした。己の矮小さを嫌というほど思い知らされる、圧倒的な力の塊。同じ世界に存在することが信じ難いほどの異物の気配。動き出せばどうなるのかなど考えたくもない。
「万が一に備えて身を守る術を学んでいただくのも、悪くない選択肢だと俺は思うがな」
言うことは理解できる、納得もできる。だが。
「……魔力がないと分かる前」
ルディオは杯を傾け、波打つ黄金色の液体に目を落とす。
「エリサ様は仰っていたんです。人と戦うような魔法はいらない、幸せになれる魔法の方がずっといいって。どれだけ食べてもお腹いっぱいにならない魔法だの、花をすぐに咲かせる魔法だの、自分に都合のいい暢気な魔法ばかり欲しがって」
容易に想像できたのだろう、ザウロが微笑む。あの日の記憶が胸に棘のように刺さったまま抜けない。これからエリサは本人の望みとはかけ離れたことをさせられようとしている。魔導使を憎む異国人の前にその身を晒しながら、人を殺す術を探すことになる。敬愛する女王のことを、ルディオは初めて少し恨んでいた。
「エリサ様はこの国のために変わろうとしてる。でもあの方はまだ十歳ですよ。悪意と戦う術も、不死者を殺す方法も、知るのが俺一人で済むのならその方がいい。そうじゃないですか」
「どうして剣を学びたいのか、さっきお訊ねした」
思わぬ返答に顔を上げると、ザウロは優しい眼差しで前方を見つめている。目線の先にはまだ弓を上手く扱えず、他の客に教わりながら真剣な顔で的と向き合うエリサがいる。
「異国でのことを聞いた。お前が怪我をしないか怖かったと、仰っていた。『あの男の子』のように、お前を助けられるようになりたいと。お前が頼りないのでも信じられないのでもなく、ただ、見ていることしかできないのが嫌なんだと」
胸を衝かれ、すぐには言葉が出てこなかった。ザウロは口の端に笑みを浮かべたまま、こちらへ向き直る。夕陽を浴びて明るく輝く茶色い髪が、榛色の瞳が、エリサによく似ていることに今初めて気づく。
「俺が言うのはおこがましいが、陛下のお心も察して差し上げてくれないか。人間ってのはお前たちより生が短いから、早いうちから考えるものなんだ。いつか自分が居なくなるときのことを」
式典で目にした、痩せ細った女王の姿を思い返す。どんな思いで幼いエリサに国を託したのか、彼女の立場も胸中も、想像しようともしなかった。
「いつまでも手を引いてはやれない。世界がどんなに厳しくても、現実をありのまま受け止めて、一人で立てるようにしてやらなきゃならない」
「……俺は居なくなりません」
「お前にだって何があるか分からんぞ」
ザウロが冗談めかして口角を上げる。「ただまあ、お前はまだまだ若いから、大人の側の心情なんぞ想像がつかなくても無理はない。守護竜ってのは大変な御役目だな」
「子ども扱いしないでください。これでもザウロ殿の三倍は生きてます」
言い返してしまってから己に失望する。竜の寿命に照らし合わせれば若造であることに変わりない上、この幼稚な反論こそ子ども扱いが正当だという証左にしかならない。案の定ザウロは声を立てて笑い、揶揄うように肩を叩いてくる。
「そいつは失礼した、先輩」
「その言い方は馬鹿にして——」
つい喰ってかかったそのとき、視界の隅に何かの気配を感じ、ルディオは空を仰いだ。ザウロも気づいたのだろう、笑みを消して視線を上げる。夕焼けの真中、聳り立つ氷壁の上空を、小さな影が通過するのが見えた。
「なんだ……?」
ザウロが杯を置き、剣の柄に手をやりながら腰を上げた。ルディオは咄嗟にエリサの立ち位置を確認し、もう一度空へ目を戻す。鳥ではない。真っ直ぐにこちらを目掛け下りてくる。その影が何の形をしているのか、認識した瞬間ルディオは人化の術を解き、エリサへ飛びかかるように覆い被さった。ザウロが傍にいた人々を素早く背に庇うのが目の端に映ると同時に、一瞬で迫った影が大通りの石畳に激突した。
衝撃で地面が跳ね上がった。テーブルや椅子が宙を舞ってひっくり返り、角灯と皿の割れる音が人々の悲鳴をかき消す大音量で響く。割れた角灯から火が燃え広がり、草の焦げる匂いが立ち上り出すとともに、嗅いだこともない悪臭が鼻をついた。
「ルディオ、無事⁉」
翼の下から聞こえるくぐもった叫びに唸り声で応える。
「今のは……?」
エリサが翼の陰から僅かに顔を出し、落下してきたものの姿を見て言葉を失う。
巨大な青い竜が、ひび割れた石畳の上に蹲っていた。




