想定外の部屋割り変更
「ないわぁ~……。マジ無いわぁ……。」
イルシュが窓辺にうなだれながら愚痴を溢している。
「……。」
キルトランスも同じような事を思っているが、彼女のようにわざわざ口に出したりはしない。
ここは先ほどキルトランスがいた客室である。だが、今この部屋には二人きりであった。
それは先ほど食堂でカタン大佐が提案した事に起因していた。
「今後、帝都にいる間はキルトランスさんはイルシュと常に一緒にいてもらいたい。」
その一言が原因である。理由は正論であり、特に強く反対する理由もなかった。
今回の帝都訪問、そして皇帝への謁見の条件が、ドラゴンがバラージ家の管轄下で安全に行われている事が条件だからだ。
表向きはイルシュ中尉がドラゴンとの安全な意思疏通に成功した、という理由があった。だからこそ、キルトランスが自由に歩き回っていてはその前提条件が崩れてしまう。
護衛と称してバラージ家の敷地内には数多くの兵士が配置されており、何人かの帝国騎士団も交代で配置されている。彼らの目にキルトランスがイルシュの言うことを聞いて大人しくしているというように見せなければならないのだ。
もちろん裏には単に皇帝への覚えを良くしたいバラージ家の策略しかない。しかし、村の四人だけではいかんともし難い状況だったのは確かなのだ。その為の取引だったのだから、こうなった原因の一端は自分達にもある。その程度の事が理解できないキルトランスではない。
だが、問題はキルトランスはイルシュが苦手だという事だ。
原因は単純である。静謐を好む彼からすれば、彼女は少々五月蝿いし愚か。それだけだ。
タタカナルの生活の中で彼女のその性格は十分に理解していたが、他の者がいれば、その声の中の一つとなりそこまで苦痛ではない。
しかし謁見が済むまでの数日であれば仕方なく我慢すれば良い、とある程度キルトランスも覚悟はした。
「いやいや、オヤジのバカよ。何も二人きりじゃなくてもいいじゃんかよ。」
前言撤回。やはり苦痛だ。
口数の多さで言えば、イルシュとレッタは良い勝負であろう。だが、イルシュの口から出る言葉には多分に愚痴や文句などの後ろ向きな発言が多いのだ。
レッタは理知的で話していても、なるほどと納得出来る事が多い。だから気にはならなくなっていたのだが、イルシュのそれは他者からすれば無関係の単なる愚痴である。そして話すと馬鹿である。
そもそもこの状況の発端は彼女と彼女の父親の策略が発端なのだ。彼女も元凶の半分なのだから、それに対して文句を言うのは筋違いにも程がある。
キルトランスは黙って彼女がうなだれている窓の隣の窓に歩いて行き、外を眺めた。
彼はイルシュとは違う。今のこの状況も結局は打算の果てに自分が選んだ結果なのだ。苦痛な事には変わりはないが、それを口に出すほど愚かではない。
二階の窓から見下ろすと正門に向かって広がる庭園が見えた。
整然と手入れされた不自然な自然はキルトランスに不思議な感覚を与えた。確かにタタカナル村にも植林された木や生け垣などは無くもなかった。だが、この庭園のように行き過ぎた感覚になる程ではなかった。
魔世界のドラゴン達は意味もなく自然を破壊する者はいなかった。暴れた結果として自然が破壊される事は無くはなかったが、自然を破壊する事を目的とした行動はしない。だが、それと同時に自然の形を変えようとする者もいなかった。樹を植える者はいなかったし、育てる者もいなかった。キルトランスの住んでいた樹の虚も長年の中で自然になったものであり、自分で空けた穴ではない。
だからこそ、眼下の庭園はある意味ではアルビの人間らしい文化なのだろうと考えることにした。それを謙虚に観て学ぶ事が彼がこの世界に来た理由なのだから。
ゆっくりと庭園を見回すと二ヶ所に篝火が見えた。その周囲には小さな家のようなものが立てられている。どうやら屋敷の警備兵の詰所のようだ。
先ほどから廊下の方でも時折兵士らしき金属音をたてて歩く者がいるのは感じていた。
食堂でカタン大佐が言っていた事は嘘ではないらしい。
ゆっくりと意識を集中すると緩やかな魔力が感じられた。どうやらこの屋敷全体にうっすらと魔術結界が展開されているようだ。恐らく自分が魔力を行使しようとした時に封じ込めるためのものらしい。皇帝とやらはそんなに自分を恐れているのかと少しおかしかった。
だが、キルトランスは思い違いをしている。うっすらではない。帝国の魔戦部が十五人がかりで展開している強力な三重魔術結界なのだ。この中で攻撃魔術を使っても外部に出る被害を二割程度まで落とせる高性能なものだ。人間のそれですら、布の幕程度にしか感じない彼と人間との魔力の差がいかほどか、この事例だけでもわかるであろう。
キルトランスとしては何やら四六時中監視をされているようで気分の良いものではなかったが、監視されるのも致し方ない立場なのも十分に理解できるので、甘んじて受け入れるしかなかった。
その視点をさらに庭園から外へ向けた。
屋敷の外には広大な帝都の街並みが見えた。低い家の屋根の向こうにさらに家が見え、所々に高い家が存在している。その多くの窓からは灯りが漏れ、人間の営みが想像できるのは村の時と変わらない。ただ、その数が膨大なだけだ。
だが、昼間に門からここまで来る間に兵士以外の人間を見ることは出来なかった。それがキルトランスにとっては不満である。壮麗な街並みを見るのはもちろん楽しかったが、人が織り成す様相こそがアルビに来た意味だからだ。
彼はふとタタカナル村に来た日の事を思い出した。
今思えばそれは、死に絶えたように静まり返った広場。
廃墟のように散らかった物。
そして一人佇む黒髪の少女。
(やはり最初はそこから始めねばならぬのか……。)
「ふん……。」
明日からまたあの気苦労をしようと決意する自分を多少自嘲気味に笑った。
「何よ、気持ち悪い。」
隣を見ると一人の少女が居た。残念ながら当然イルシュである。
「……気にするな。」
少々不機嫌そうに答えると、キルトランスは一人ベッドに向かった。
ゆっくりとベッドの上に丸くなると静かに目を閉じる。軋みの少ないベッドは快適だ。
「ちょっと待てよ。私まだ着替えてねえんだけど。」
イルシュは五月蝿くてもベッドは静かである。
「それがどうした?」
目を閉じたまま答える。
「え?!ここで着替えろってか?」
イルシュは今だ軍服であった。確かに人間は寝る前に服を変える場合がある事は当然キルトランスですら承知である。イルシュもこれから寝るのに服を着替えてもなんら不思議ではない。
「何か問題でもあるのか?」
「あるだろ!」
そう口に出してからキルトランスもふと心当たりがあった。そういえばアリアもレッタも服を脱ぐ場所には気を使っていた。キルトランスも事あるごとに部屋から追い出されたり目隠しされたりしていた。
異性の前では裸にならないという文化が人間にはある事は重々承知していたつもりではあるが、ふとそれを失念していたのだ。
「……お前が部屋の外で着替えればよい。」
レッタに言われたり、アリアに気を使う分にはそこまで腹は立たないのだが、この人間に言われると少々苛つくキルトランスは静かに無視を決め込んだ。
五月蝿い小娘が何か阿呆な事を言っているが気にしない。彼女は絶対にキルトランスに暴力を向けないからだ。それは単に絶対に勝てないと分かっている上に臆病だからだ。もっとも、もし人間で彼につっかかってくる者がいるとすれば、それは勇気ではない無謀な蛮勇である。少なくとも今のアルビに彼に勝てる可能性のある人間はいないだろう。
イルシュの罵詈雑言を聞き流しつつ目を閉じていると、ふと昨日の夜の事が思い出された。
それは銀の光に照らされて踊る水面に佇むアリアの裸体であった。
レッタがいる時には絶対にキルトランスの前で着替えることは無いが、彼女がいない日でもアリアは着替える際に同じ部屋ではしなかった。
もちろんあの湖畔では隠れると言ってもせいぜい木の後ろに行く程度が限界であり、初めて来た場所で彼女が一人で移動するには少々不安がある。そう考えれば彼の前で水浴びをしたのは仕方ないことなのかもしれない。
それでもあの時のアリアは少し違った気がした。そしてあの時の自分も何かが違った気がしたのであった。
キルトランスはふと隣にいるはずのアリアに会いたくなった。事情があるとはいえ、イルシュと二人きりよりもアリアがいてくれたらどれだけ心が安らぐだろうか。そうキルトランスは思った。
だが今の彼は気がついていない。彼の長い人生において誰かが側に居て欲しいと思うことは非常に稀な事なのだ。
彼が静かに考えていると、扉が開いて五月蝿い女が五月蝿く戻ってきた。
片目を開けて彼女を見ると、先ほどとは服が変わっていた。着替えに行ったのだから、服が変わっているのは当然なのだが。
彼女は自分が着替えに戻った事をぶちぶちと文句を言いながらも部屋の灯りを消していく。部屋が暗くなっていくとキルトランスは落ち着く、やはり少々暗い方が丁度良い。
そして最後の燭台を持ちながらイルシュは自分のベッドに行く。
「こっち見んな。」
「……安心しろ。最初から見てなどいない。」
ベッドの側の小さな机に燭台を置くと、彼女はゆっくりとガウンを脱いだ。薄い寝間着の彼女は眼鏡を静かに外すと大切そうに置く。
そして蝋燭を吹き消す音が聞こえると衣擦れの音がした。ようやく彼女もベッドの中に入ったようだ。
微かに漂ってくる芯の焦げた香りがキルトランスの鼻をくすぐる。どうやらようやく静かに眠る事が出来そうであった。
こうしてキルトランスにとって初めての帝都の夜は静かに終わったのであった。
訂正。イルシュは寝ている時でもそれなりに五月蝿かった。




