束の間の安息
「それではお食事の準備が整いましたらお迎えに上がりますので、それまではしばらくの間こちらの部屋でおくつろぎくださいませ。」
執事はそう言うと洗練された身のこなしで扉から去っていった。
扉がしまると大きなため息を吐きながらホートライドがベッドに倒れ伏す。彼もまたずっと緊張状態を強いられていたのだ。自警団で長時間の緊張状態を強いられる事は数あれど、今回の緊張は少々質が異なる。彼でもかなりの疲労を感じていたのだろう。
彼の様子を見ながらキルトランスもまたベッドにゆっくりと腰を掛けた。だがいつものアリアの部屋のベッドとは異なり木の軋む音は少なく、沈み込んだ柔らかさが別格であった。やはり豪邸に相応しい高級なベッドなのだろう、と彼は思った。
部屋の中を見回すと、見たこともない調度品や巨大な絵画、細工の施された棚などが目を引く。どれも村では見ることの出来なかった人間の創意工夫の結晶であり、それを見るだけでもここに来て意味があったと彼は思うことにした。だが、一番見たかった都市の活気が見れなかった事が一番の不満である。
一通り見回すと彼もまたゆっくりと息を吐いた。やはり慣れない環境は無意識に緊張するものだ。
しかし体から力が抜けていくにつれ、彼本来の知覚が蘇ってきた。当初はもっと厳重に監視されるものだと思っていたが、存外自由にさせてもらえるようだ。だが窓の外に微かな魔力を感じて彼は窓辺に向かう。大きな硝子窓の向こうには入り口と反対側の裏庭が見えた。
探るように魔力を高めて裏庭を探ると、やはり随所に魔力を練った人間の気配が至るところに感じられる。恐らくは入城時に着いてきた魔術兵達であろう。巡回というよりは同じ場所に座って、もし自分が暴れた時に魔力を封じるつもりなのだろう。そう感じて彼は逆に安心した。あの程度の魔力の人間が何人集まろうが所詮は意味が無いからだ。
その時、扉を開く音に振り返った。
「お待たせ。こっちの部屋はどう?」
レッタとアリアが元気そうに部屋に入ってきた。どうやら気疲れしているのは男達だけのようだ。
そして今、彼女達が部屋に入ってきたという事は、この部屋にはホートライドとキルトランスだけであり、少女達は隣の部屋だという事だ。
昨日はホートライドとレッタは隣の部屋で一緒に寝たが、今回はバラージ家側の配慮なのか、男女が別々の部屋に別れていた。別々の部屋になる事に別段不満があるわけではないが、オレガノ邸よりも音の漏れない豪邸で、隣の部屋の動向がほとんど感じられないのがキルトランスにとっては少々不安ではあった。
「そっちの部屋と同じ感じだよ。」
ベッドにひっくり返っていたホートライドがゆっくりと起き上がる。
「椅子だからね。」
レッタはアリアを部屋の椅子に座らせる。長年住んでいるオレガノ邸ではほとんどの物の位置をアリアが記憶しているために、彼女一人での行動にそこまでの不便は無い。だが、初めてのバラージ邸では物の位置が全く把握できていないために、レッタは彼女に付きっきりにならざるをえなかった。しかしレッタの表情は甲斐々々しく笑顔であった。何をするにも自分が必要だと思えば、アリアにとっての自分の存在価値が高くなるからだ。
彼女が成長するに連れて徐々に自分の存在価値が減ってるのではないのか?そう思う節が増えていたレッタにとっては、今のこの状況は久しぶりの幸福感を味わえるものであった。
もちろんレッタはアリアを自分に依存させることで幸福感を味わうような性格ではない。単純に愛するアリアに献身出来る事を楽しんでいるだけだ。
「ここにテーブル。」
アリアの手をとって右手側にテーブルがある事を教える。このように彼女の手の届く範囲に何があるのかを教えることは、彼女の不安を取り除くために大切な事だ。
アリアはその存在を確認するようにゆっくりと手でなぞって高さや位置を記憶に叩き込む。
「……そうか。慣れない場所に一番苦労するのはアリアであったな。」
その様子を窓辺から見ていたキルトランスが呟く。
今も彼女が着ている魔力のマントは、彼女を害そうとするモノに対しての防御しか発動しないものだ。例えるなら、剣で彼女を斬ろうとしても絶対に傷一つ付ける事は出来ないが、彼女が剣を触ろうとしてうっかり指を切ってしまう事は防げない。だからしっかりと彼女の手助けをしなければ、普通に壁にぶつかったり、手を出した拍子に突き指をしたりはするのだ。
「そうよ。だからアンタたちもアリアの事をいつも以上に気にかけなさいよ。」
少しだけ「したり顔」のレッタ。
「いえ、いつもの事なので私に気を使わないでください。」
そう言いつつもレッタの手を握るアリア。部屋に入ってきた時にキルトランスの気配は感じたが、今まで無言だった彼の声を聞いて、ようやく存在の再確認が出来て心が落ち着いたようだ。
ホートライドとキルトランスがアリアのいるテーブルの周りに集まってきた。
「落ち着いた所で申し訳ないけど、これからどうしようか?」
ホートライドが少し真面目な顔で一同に問いかける。
「どうと言えども、今はイルシュの指示に従う他無いのではないか?」
「そうね。こうやってちゃんと部屋も貸してくれて、約束通り安全に帝都の中に入れてくれたんだから、今はこのままでいいんじゃない?」
二人の言もその通りであった。
今回の計画の最初の障害になるはずの「安全に帝都に潜入する」という目的がこうも簡単に達成出来たのは、イルシュとバラージ家の手筈のお陰以外の何者でもない。それを理由もなく崩して騒ぎを起こす道理はないであろう。
「問題はイルシュ……と言うよりは親父さんのカタン大佐の方なのかな?あの人が何を企んでいるのか分からない事だね。」
ホートライドの神妙な声にレッタも頷く。先程初対面だったアリアとキルトランスとは違い、二人は昨日から彼に会っていて、今日の行動を交渉してくれた当事者なのだから、微かな差でしかないが、キルトランスよりはカタンの事を知っているはずだ。
「まあ、イルシュはバカだからあの子が何か企んでいるって事はなさそうね。」
レッタの辛辣な言葉に一同が苦笑する。しかし異議は出なかった。それほど長くはない付き合いではあったが、彼女の底の浅さ……言い換えれば裏表の無い性格は一同が理解しているからだ。それこそ当初、彼女が諜報員であるという事を警戒していた事が恥ずかしくなる程に。
「でも僕らは僕らで皇帝への謁見を企んでいる以上、ある程度はお互いに利用しあうしかないんだろうな。」
「ま、そうよね。でも少なくともさっきの軍といい、この大豪邸といい、普通の人で無い事は確かよ。アタシ達が一から動くよりは、よっぽど皇帝に近いんじゃないかな。」
その通りである。誰の紹介もなく帝国の片田舎から来た平民の彼らが、この帝都で交渉で皇帝、ないしそれに類する権限のある人間にたどり着く苦労と可能性を考えれば、今のこの状況は一足飛びどころか五足飛び以上の短縮になっているはずだ。当初、キルトランスの魔力を盾に交渉しようと思っていた事と比べれば、はるかに穏健かつ有効な状況だと言えよう。
「そのカタンとか言う人間が肩書きを言っていたが、それは何なのだ?」
「大佐、だね。」
人間達の軍の規約など興味もないキルトランスが素直に尋ねる。そもそもあまり身分階級など無いタタカナル村に住んで、彼が知ることが出来た肩書きは「村長」と「団長」くらいなものである。もちろんドラゴンの森にも「族長」や「長老」などがいるために、「長」が付く肩書きは偉いのだろう、くらいの認識は彼にもあった。
「うーん……。でも僕も帝国軍の階級制度にはあんまり詳しくないからね。自警団で噂で聞いたことがある程度だな。」
自警団本部という名の酒場での与太話を必死で思い返しながらホートライドが答える。
「確か、大中少の三段階があって、なおかつもっと細かく別れていたような……。全部で十段階って言ってた気がする。佐って何だっけ……?」
実際にはもう少し細かく別れていて、大中少は二次分類なので彼の記憶は間違っているが、それを指摘できる者はここには居ない。
「そんなもんは『大佐ってどのくらい偉いの?』って聞けばいい事でしょ。」
ばっさりと言って捨てるレッタにさすがのホートライドも苦笑する。
「いや、さすがにそれは失礼でしょ。」
「違うわよ。イルシュに聞くの。」
「あ、なるほど。」
どうやら彼らの中でイルシュ「中尉」に聞く事は失礼では無いらしい。そして彼女が村に来た時には軍曹と名乗っていたが、今朝の時に中尉に変わっていた事に気がついた者は誰も居なかったようだ。
それほどまでに彼女達にとってイルシュはイルシュでしかないのだろう。
その時、部屋の扉が重厚な音でノックされ、レッタとホートライドが悪口でも聞かれたかのように慌てて口をつぐんだ。
キルトランスは少し前に何者かが近づいている音は聞こえていたが、やはりオレガノ邸の様にアリアが自分の部屋を出る音から聞こえていた時の事を思えば、この豪邸が少々不自由に感じた。
静かに扉が開くと、先程の執事であった。
「皆様。お食事の準備が整いましてございます。食堂にご案内いたします。」




