バラージ家玄関にて
「つ、疲れたーー!!」
執事が玄関の扉を閉める音と同時に崩れるように倒れるイルシュ。
それもそうであろう。元々華やかな場にはあまり縁の無く、仕事でも諜報課というあまり陽の目の当たらない部署にいる彼女が、近衛兵や騎士に護衛されて歩くなどという経験は初めてなのだ。その心労足るや察するに余りある。
「おいおい、さすがに客人の前だぞ。最低限の礼儀は弁えよ。」
呆れ顔のカタンであったが、三女がそういう性格だと言うことは昔から嫌というほど理解しているので半ば諦め気味であった。むしろ過去の彼女を鑑みれば、誉めても良いほどの出来と言えるが、さすがにだらしなく床に寝そべっている娘を客人の前で誉める事は家長としては出来なかった。
「そうよ、アンタにはまだ説明してもらわないといけない事が一杯あるんだから起きなさい。」
少々焦れた感じのレッタの言葉に力の抜けきったイルシュがようやく首をあげた。田舎の平民の分際で娘に大層な口を利く小娘ではあるが、昨日のやり取りから十分に友と言えるような関係性になっている事は把握できていたカタンは敢えて何も言わなかった。むしろこの自堕落な娘に有効な喝を入れられる貴重な存在なのだ。もう少し礼儀がなっていれば、今後も友としてよろしく頼みたい気持ちもあるが、それは口に出さないカタンであった。
ようやくアリアから手を離してキルトランスに彼女を預けると、倒れ込むレッタの腕を引っ張り上げて無理矢理立たせるレッタ。そんな様子を横目で見ながらもバラージ家の当主として一歩前に出るカタン。
「それはともかく、まずは挨拶をせねばなるまい。貴殿が件のドラゴンか。名はキルトランスと申したか。」
そう言って軽く頭を下げるカタン大佐。キルトランスは視線をホートライドに送ると、彼は笑って促した。
「大丈夫だよ。もういつも通り話してくれていいから。僕とレッタ昨日もう挨拶してるから大丈夫。」
それを聞いてゆっくりと息を吐くキルトランス。彼もこう見えて城門よりこっち、ずっとある程度の緊張は感じていたのだ。
「お前が何を聞いているのかは知らぬが、確かに私の名はキルトランス。魔世界から来たドラゴンニュート族の者だ。」
「おお、本当に普通に喋られるのだな。先程遠くから姿を見たときにはどうしたものかと思ったが、こうも普通に話せるのなら心強い。」
そう言って驚いてみせるカタン。キルトランスは初めてタタカナル村を訪れた時期を思い出した。当時もやはり村人達に似たような反応をよくされたものだ。新しい場所に来れば、またあのやり取りを繰り返さねばならないのかと思うと、少々憂鬱であったが。
「いや、だから散々普通に話せるって説明してたじゃん。信じられなかったの?」
無理矢理起こされたレッタによさり掛かりながらもイルシュの口調には自慢の色が見えた。
「いやいや、信じなかった訳ではない。ただ、やはり驚いてしまうものでな。」
そう言って悪びれる様子もないカタンであった。
「そちらの事情は知らぬが、まずは帝都に安全に入れるように手配してくれた事については礼を言おう。」
頭を下げるキルトランスにやはり驚くカタンをもはや意に介さぬようにした。人間と接する以上、一連のやりとりは避けがたいものなのだから。
「そしてその見返りは何を求めているのだ?まさか厚意でやっている訳でもあるまい。」
そう淡々と続けるキルトランスに舌を巻くカタンであったが、それを表情に出すことはしなかった。
「もちろんだとも。だがその辺の話をここでするには少々長くなりそうなのでな。まずは部屋の方で落ち着いてほしい。その後昼食を兼ねてゆっくりと続きを話すとしよう。」
キルトランスはその言葉に少々苛立つ。今朝からこちら、ずっとバラージ家の人間に真相を隠され続けているのだから、その苛立ちもいたしかたないだろう。
だがキルトランスはふと自分の傍らに立つアリアの存在を思い出した。初めての場所で不安だろう彼女が何の文句も言わずに自分に寄り添っている事を思えば、彼女を少し休ませてやりたいという気持ちもあった。
「分かった。それではまた後で会おう。」
そう答えると主の影に寄り添っていた執事がやおら進み出て腰を折る。
「それではバラージ家執事の私がこれより皆様をお世話させていただきます。よろしくお願いいたします。」
彼の言葉にキルトランス達四人は集まる。そして彼に着いて行こうとした時にカタンがふとアリアに気がつき声をかけた。
「おお、君が報告書にあった盲目の魔女ーー」
「魔女じゃない!!」
キルトランスの苛立ちよりも速く激昂したのはレッタであった。
「アリアは普通の女の子よ!!何も知らない他人が勝手に決め付けて罵倒しないで!」
アリアに寄り添うレッタの瞳は苛烈であった。カタンはその怒りに戦いた。彼とて管理職とは言えども軍人であり、迫真の気合いや明確な殺意に不馴れな一般人ではない。だがその彼をして彼女の視線には恐怖を覚えた。
「いや、すまぬ。そういうーー」
「お父様!ほんとやめて!マジやめて!!」
父親の言葉よりも速く娘のイルシュが父親に飛びかかり脇に腕を回すと、もの凄い勢いで二階へと引きずっていった。少女達のあまりの行動にカタンは目を白黒させながらも成すがままに連行されていったのであった。
「レッタ。いいのよ。私は気にしてないですから……。」
状況の分からぬアリアは狼狽しながらも努めて笑顔でレッタの機嫌をとりなそうとする。
「良くない!アタシが気にするの!」
憤懣やる方無いレッタではあったが、言った当人が居なくなり当事者であるアリアに取りなされ、他人の屋敷の中で一人憤慨する訳にもいかず、とりあえずの溜飲は下げる事にした。
「それではお部屋にご案内させていただきますので、こちらへ着いてきてください。」
顔色一つ変えずに淡々と話す執事に毒気を抜かれた一同は、仕方なく着いて行く他はなかった。それでも各々の胸中には様々な思いが渦巻き、決して晴れやかなものではなかった。
キルトランスも早くも帝都に来たことを後悔したい気持ちであった。
もちろんすんなりと皇帝に謁見出来るなどという甘い観測はなかったが、まさかタタカナル村で体験した事を一から追体験する羽目になるとは思ってもいなかったからだ。




