ドラゴン入城の儀 その2
数歩前に出ると、イルシュは剣を眼前で構え一度捻った後に戻してゆっくりと納刀する。陸戦部の式典用敬礼だ。一列に並んだキルトランス達四人にはその意味など知るはずもなかったが、少なくとも形式的なものである事だけは理解できた。
そしてレッタが口を開こうとした瞬間に小さな声でイルシュが早口に言った。
「絶対に危害は加えないから、とにかく私を信じて着いてきて。」
姿勢を崩さずに静かに言う辺りは、何らかの事情がある事は誰にでも把握はできた。しかし相手はあのイルシュ・バラージである。無条件で信用しろという事はなかなかに用意ではない。
「だってさ、どうする?」
一応はリーダーであるホートライドに小声で確認するレッタ。しかしホートライドはあまり思索せずに小さく答えた。
「それしか無いんだから従うしかないんじゃないかな。ここまで出てきて今さら帰る訳にもいかないし。」
その意思表示としてホートライドも一歩前に出ると、胸の前に右拳を、左腕を後ろに回して胸を張る。こちらは自警団の敬礼である。
その様子に一瞬破顔しそうになるイルシュであったが、高らかに鳴り響いた楽器の音に慌てて気を引き締め直す。双方の敬礼が交換されて挨拶成立とみた指揮者が歓迎のファンファーレを合図したからであった。
儀杖兵が先頭に立つと、軍楽隊を引き連れて城門の中へと編隊を組み直しつつ向かい始める。
そしてそれに続いてイルシュが歩き出した。作法は分からないがとりあえず着いていく一行。レッタはすかさずアリアの脇に立ち、肩と腕に手を回しながらの誘導をする。ホートライドは二人の側にいながらもキルトランスが視界の隅にいる位置を維持しながら歩き始めた。
キルトランスも事情が判らぬままにとりあえず着いていく事にした。事情が分からない不安も無いわけではないが、それ以上に今の彼の興味はその門の向こうの光景に向いていたからだ。以前、上空から少しだけ見た都市が間近で見られる事に興奮を隠しきれない。
彼らが城門に入る時に彼らを緩やかに囲むように兵士達が随行を始める。なるほど警備と言えば聞こえは良いが、外部の敵から来訪者を守る警備ではない。この警備は来訪者から帝都を守るための随行なのだ。
キルトランスは何となく感づいたが、この八方を囲む兵士は人間にしては強い魔力を感じられた。その実態は八名の帝国騎士団である。
眼前の興味も尽きないが、ゆっくりと首を動かし前後を確認すると、前後を囲む兵士も魔戦部の精鋭に囲まれていた。もちろん制服でキルトランスが気付くはずもない。ただ全ての兵士に魔力の高まりを感じられたためにそう推測しただけである。
もっともそれを全く意に介さないキルトランスではあった。理由はもちろん、その程度の魔力に傷一つ付けられないだけの自信があるからだ。
行進に着いて城門を潜る。そして眼前に広がる光景にキルトランスは思わず喉を鳴らした。
タタカナルとは比べ物になら無いほどの建物が広い石畳の大路の両脇に並ぶ。二階建ての建物はオレガノ邸と村長の家を含めて数件しかないタタカナルに対して、沿道の建物は二階・三階建てが当たり前のように列び、中にはもっと大きな家も散見された。
(これが人間の都か……。)
そう感じたと同時に三人は違和感を覚える。沿道には一人の人間も居なかった。初めて訪れた時に目が回るほどの人混みに溢れていた大路は閑散としている。
「イルシュ。これは戒厳令かい?」
ホートライドが小声で尋ねると、彼女は小さく頷いた。軍がキルトランスの訪問に合わせて近隣の住民に外出禁止令を出したのだ。一つはドラゴンが暴れた時の被害を抑える目的であり、もう一つは野次馬が殺到して混乱することを防ぐためである。
だが三人はすぐに気がついた。立ち並ぶ家々の窓からこっそりと覗いている人々の視線に。もちろん自分達が珍客である事は自覚しているが、遠巻きに見られると言うのはあまり気分の良いものではない。そして戒厳令が出ているとは言えど、人間の興味が抑えられる訳でもない事も理解している。だが、これならまだ正々堂々と出てきて好奇の目に晒される方が幾分マシだとレッタは思った。
「キルトランス。アンタが村に来た時の気分が分かった気がするわ。」
そう小さく笑うと、キルトランスも鼻を鳴らした。
「まあ、珍しいモノがあればそうなるのも仕方あるまい。立場が逆だったらドラゴンの森でも同じようになっていただろうさ。」
活気のある空気を期待していたアリアも、閑散とした空気に少々残念がりながらも、耳で街の様子を少しでも感じようとしていた。幸いな事に軍楽隊の演奏は大路の家屋に反射して、大路の広さと家の高さをアリアにはっきりと伝える役目を果たしていた。
四人は監視下にありながらもそれなりに帝都を見物しながら歩いてゆく。
一行はしばらく軍の先導に従って大路を進み、やがてバラージ家の門に辿り着いた。
「あれ?ここイルシュの家じゃん。」
門構えを見てレッタが尋ねる。イルシュが気まずそうな表情をしながらもようやく振り替えって必死に目配せをする。
「ほんと、あとでちゃんと話すから今は話を合わせておいて。」
小声で言うイルシュにレッタが少々呆れ顔で肩を竦める。
「アンタ、さっきからそればっかりね。ホントにちゃんと説明してくれるんでしょうね?適当にごまかそうとしたらお仕置きだからね。」
その言葉からどんなお仕置きを想像したのかは分からないがイルシュの頬が少し染まる。
そんなやり取りには耳を貸さず、キルトランスは眼前のバラージ家の佇まいに感心していた。オレガノ邸は村では一番の屋敷ではあったが、眼前の屋敷と比べれば小屋である。
しっかりと手入れされた庭は美しく、人間の文化の細やかさが伺えた。村にいる時は単なる馬鹿軍人の小娘だとしか思っていなかったが、どうやら彼女、正確には彼女の家はかなりの力がある事は門外漢のキルトランスにも十分に理解ができた。
玄関前まで来ると軍楽隊が演奏を止めて撤退を始める。それと同時にキルトランス達を囲んでいた兵士達が包囲を解いて距離を置く。
玄関の前には一人の男が立っていた。イルシュの父、カタン・バラージである。登城用の正装は凛々しくも厳めしく、人間の文化に疎いキルトランスですら、それなりの地位の人間だと言うことは理解できる。
「皆の者、護衛ご苦労であった。これよりそのドラゴンと他三名を皇帝陛下の名の下に、正式に当家の客人として招き入れる。保証人はイルシュ・バラージ中尉。責任者カタン・バラージ大尉の名に掛けて陛下の名を汚さぬようしっかりと管理することをここに誓おう。」
その宣言に周囲の兵隊が舌打ちをする。キルトランス達の直近で護衛していた兵士の正体は帝国騎士団である。皇帝の代理人と呼ばれる彼らからすれば、バラージ家など普段は接することもない下の存在である。そのような小役人に皇帝の名を語られるのは忌々しいものだ。そしてそれ以外の兵隊も御三家から派遣された帝都防衛の近衛兵で選りすぐりの精鋭達である。彼らもまた、普段接することの無い前線兵程度の三流軍人に命令されるような物言いに内心面白くない様子であった。
「やれやれ、アタシ達はお荷物って事ね。」
そんな兵達の様子を観察しながらもレッタは苦笑する。
「まあ、今回の主役はキルトランスなのは間違いないから仕方ないんじゃないかな。」
ホートライドも念のための警戒はしつつもレッタの毒舌を嗜める。
キルトランスとアリアは黙って様子を伺っていた。状況が状況だけに、自分が無為に話せば周囲に要らぬ緊張を呼ぶであろう事は用意に推測できる。とりあえずこの状況が終わるまでは沈黙を貫いていた方が楽そうであった。
「それではこれより一時散開とする。各自、警備の方をよろしく頼むぞ。」
カタンの言葉で兵士達が速やかに散開する。敷地の外に行く者、庭に設営された巡回詰所に行く者。それぞれは役目はあるが、彼らの目的はやはりキルトランスへの警戒である事に変わりはない。本来来賓への警備は外部からの攻撃を警戒するためのものだが、彼らの警戒はやはりドラゴンへのものなのだ。
「お疲れ。とりあえず家の中に入ってよ。」
ようやく少し緊張の溶けた表情のイルシュが手招きする。四人は大きな玄関の扉をくぐってバラージ家に入っていったのだった。




