第二章 煙草の煙
「また」とは言ったものの、それから数か月は再開する機会を得られなかった。というかなんなら季節的に生暖かい風もとうの昔に過ぎ去り、ジメジメと打ち付ける太陽と、コンクリートらに反射する照り返しのダブルコンボで肌が美味しく調理される頃合いになっていた。
通学中も下校中も、なんなら移動教室中も体育の授業中も、煙草臭い職員室ですらも無意識にその御身を探してはいるのだが、全くもって見つからない。影一つ、痕跡一つ見当たらない。……自分の嗅覚を疑い始めた頃には自己嫌悪で心がミチミチだった。
学校生活開始始早々の学力テストで忙しかったし、謎のレクリエーションだの強制部活動参加で一通り見学だの、古臭い謎文化が足枷だと言ってやりたい。だが、それだけじゃない。
そこは、煙草臭い職員室。
「……あの、帰っていいですか」
「ダメに決まっているだろう」
俺は、毎放課後にこの面倒な教師と顔を合わせる羽目になっていた。職員室一番奥の角台、パーテーションで囲まれている場所がそこだ。
何故かは知らないが、天井と壁に設置されたクーラーの冷風はそこを経て窓へ向かう様になっていて、酷く寒い。
だが、流石悪魔の末裔と言ったところか、この教師はそんな状況を我関せず、平気な顔でふんふん鼻息荒く俺を見上げている。
んで、そんな感じで俺の前にて偉そうに鎮座するこの人の名前は『宇都宮 椛』二十八歳の熟れかけたオバサンだ。綺麗な輪郭に切れ長の目と痙攣する不機嫌そうな口元は見るもの全てに畏怖を抱かせる。黒く艶のあるロングヘアは珠玉だが、真後ろにある扇風機の風を直に浴びて大暴れしている。それら全てを統合して余りある程、現在着用の背広が凄く似合うカッコいい大人の女性だ。ただ、ヤニの匂いが酷い。職員室の煙草の臭いの正体はこの人ただ一人。それに、とんでもなく性格が腐っているから一生バツも付かない独身なんだぞコノヤロー!
とかなんとか、心の中で吠えまくっていると、宇都宮先生は足を組み替えながら軽い口を開きやがる。
「――さて、本日の活動報告を聞こうじゃないか」
「……今更なんすけど、活動報告って……俺は一体何の過ちを犯したしたんすか? 更生を促すにしても、やり方を変えた方がいいですよ」馬鹿が。
「お前のその自覚の無さがこんな面倒ごとを招いているんだ――」
「ッタ!」
左横腹に鈍い痛みが走る。その原因となった塵芥の上では『鏡の一日』と書かれたプリントが風を受けてのたうち回っていた。
あれ……俺っていつ動物園の演者さんになったんですかね。食事とか睡眠時間とか含め健康状態まで監視されちゃうんですか? 環境保全って大変すね。
「そもそも、お前が呑んだ条件だろうが――『生徒会支援奴隷無用長物奉仕奉公勤仕部門』に入る代わりに部活動に参加しないってな。上にもそう説明してあるんだ」
そう、この頭の悪そうな謎の部門。コイツが一番の原因と言っても過言じゃない。今日部門なんて単語プロゲーマーとかでしか聞かねぇよ。組織的且つ労務的なら部署って言ってくれよ……あとあれな、レーベルとかあの辺。なんかカッケェんだよ。あれ、聞く度に痺れるし憧れる。俺もいつかはartworkstudioとか持って肩風切って歩きたいもんだ。
「あの、まぁ……いや、それはそうなんすけど。名前だけ何とかならなかったんですか? 八割くらい同じ意味の単語だし、意味も分かり辛いし、奴隷とか道徳的じゃ無いし、無用長物とかただの悪口だし……目的が掴めないってか、なんかそれっぽい部活名の設定、どこぞのビックタイトルで聞いたことあるし――」
「喧しい」
「ッダ!」
今度は角で股下を――! おい、教師のやる所業じゃねぇよ! 忘れ物した時とかに「あ、重力がー」とかあるけど、あれってミスに対しての自責で許容できているだけで、今回に限っては俺悪くないからね⁉ あと、暴力で分からすの、俺には通用しないんだからなっ! 屈してあげないんだからねっ! 自分で名付けたからってムキになっちゃって! ムキ―!
「そら、早くしろ。時間が勿体ない」
「それって俺の時間とか加味されてます? だったら――」
「次余計な事を喋ったらこの火を押し付ける」
「ヒェ!」
ライターをカチカチーって、怖いから普通に辞めて欲しい。あと押し付けたらガスの出どころ無くなって消えるんじゃないの? 知らんけど。
そこまででようやく、今日の出来事を思い返してみる。けど直ぐに脳内は白一色で満たされた。俺の今日の記憶より水墨画の方が色味も情景もあって尊いまである。
う~ん。言えることってなんかあったっけか……。
「……えー。今日はまず、朝一で教室の鍵を開けました」
「嘘だな」
「はい。そうするよう前日お願いしました――あとは、えー。スマホにて大音量で動画を流していたので注意して、廊下に捨てられていたゴミを拾い、教室の隅で消しゴムいじっていた子に話しかけました」
「……間に事実を織り込んだところで、噓八百は目立つからな? あと、最後のやつに関してはお前自身の話だろ」
「何で嘘だって決めつけるんですか!」
「お前が人と話している所を見た事がないからだ。お前如きにそんな胆力があるとは思えん」
「はい。嘘です」
クソっ! 何で毎度毎度嘘だけは見抜かれるんだ! あと消しゴムはいじってないし、俺の座席は教室のど真ん中だ! んなこと言いだした奴絶対許さん!
――ハッ!
「……どうした。どうせくだらん妄言だが聞いてやる」
「ひょっとして先生、超能力者?」
「よし。お前はギャグ線までド三流っと」
はい失言~。一大人として今の発言を恥じた方がいい。ド三流だって出る番組次第で面白く調理されるんだからな! 一流より平場は強かったりするし! 材料だって自分が生きる場所があるんだゾ! あと俺のは考察であってギャグじゃないし、ド三流でもない!
にしても『鏡の一日』にデカデカと今日もおもんない! って書くなよ。それ、メモでも何でもないから。只の嘆きだから。ツボって人によって違うし、主観で語ってんじゃねぇ!
「あと、までってなんすか」他にもあるみてぇじゃねぇかよ。
俺のその追及に、宇都宮先生はあからさまに視線を逸らしてブツブツ呟くように続ける。
「あぁ、いや……それを言うのは教員としてはいささか汗顔の至りというかなんというか――お前、モテないだろ」
「何だそれ」
言葉の繋がりがおかしいだろ……なんか最後に悪口言ってたし。事実が一番刺さるんだからやめろよ。そう言う事に限って良く聞こえるのは、昔からそうだった。これイジメじゃん!
「とにかく、だ。繰り返しにはなるが、お前には自覚というものが足りない」
「……生徒会なんとかこんとか、みたいなやつのですか?」
「『生徒会支援奴隷無用長物奉仕奉公勤仕部門』だ。それと、私が言っているのは所属の自覚では無く、どうしてそれを課せられたかについて、つまり罪の意識ってやつだ」
「はぁ」
……人差し指立ててんなこと言われても、分かってねぇんだもんな。空っぽの無責任ボックス漁っても産み出てくるものでもないだろうに、あんたも俺の時間奪ってる自覚持てよ。
ってなことを言わないでも伝わっているかのように、宇都宮先生は顔を漬け梅みたく歪める。まだ若いんだしボトックス打ったら? 俺、その辺に関して偏見とか無いからさ。
「お前、どうしても殺されたいみたいだな」
「教師が殺すとか言わない方がいいですよ?」
最近は録音されたりとかあるからね。口は災いの元とはよく言ったものです。
ふんす。と鼻息荒く注意すると、宇都宮先生のこめかみからプチっと音が聞こえてきた。
「……いいだろう。本来なら問題になり兼ねないが、お前を目の前にして良心の呵責など弾けて混ざって満月になってしまった」
「……そのネタももう古いですよ? 今やDAIMAとかなんとかって言ってGTと比べられてたりするんですから……そもそもサイヤ人編やってたのって俺が生まれるよりずっと前だし、結局無意識に出ちゃってるんですよねそのングッ――」
「歳が」と言いかけた所で思いっきり唇を抓まれる。それも結構痛い。キムチ食った後にレモンかじったみたいな感じ……よく分かんねぇか。
「いいか、お前は明後日の土曜日、町を飛び出して太平洋沿いにある、巨大な複合商業施設へと行くことになった。今、この瞬間にな」
パっと唇が解放され、たらこと化した口が子音発声の自由を得る。
「嫌です」
「ダメだ。決まっちゃったんだもんっ」
「えぇ……」
もんっ、じゃねぇよ…………油断すると涎が溢れてくるじゃねぇか。この人、ちょっと可愛いんだよな。ダンゴムシ的なちょっとした愛嬌がある。一瞬、サッと見るくらいがちょうどいい、あれね。岩捲っていっぱいいた時鳥肌止まんなくなるけど。人混みもそう。
てか、複合商業施設って何なんだ……ショッピングセンターとかとは一線を画す何かなのか……? 新しくも陽キャの集うネオンライトバチバチのクラブハウス的な……⁉ ……くっ、普段なら絶対に行かないし、そもそも案に浮かんでこない机上の空論の筈なんだが……。
だが今年、俺にはある目標というか、イベントが控えている……それこそはまさしく、オタクの祭典の一端である『冬コミ』だ。……俺が生まれて直ぐの頃から応援し続けて来たエロゲ企業が初めてブースを構える、記念すべき日になるんだ……行くしかない、行くしかないのは分かっている……だが、ネットでの下調べを見るに、コミケは生半可な気持ちで行くべきでは無いらしい……それは人混みや待機列もさることながら、ルールや熱気に押し殺され、コスプレ撮影なんぞは一種、血みどろの戦場と化すという……て、ことはだ。普段家から出ない顔面蒼白陰キャオタクのアニメイトで人酔いするような俺が、一発勝負の乾坤一擲に出たとこで生きて帰れる保証もないのだ……。ワンチャン来年だろ、これ。
と、まぁ長ったらしい言い訳を並べてみて出た結論は一つ。
行ってやってもいい! だ。
「……まぁ、それは行くとしても。どこなんですか、その複合商業施設って」
「はぁ?」
「ん、え? いや……」
そんな睨まれても……さっきまでの二枚舌が冷めちゃったじゃん。それにまるで、俺が社会を知らない情弱人間とでも言いたげだが、知らないものは知らないんだもん。グラビアとかコスプレ垢見るために必死でアカウント作ろうとして普通に無理だった俺を舐めないでいただきたいものですねぇ。
てか、この歳にして大きい買い物とか行くか? 普通。俺なんてもんはバイトしてる訳でもあるまいし、親の金で買うのはエロゲだけで十分。ただ、ネットで買うのは当たり前の時間指定玄関前待機は当然だけど……。まぁ、それは置いといて、服なんてしまむらで良いしスマホなんて型落ちで事足りる。意外とアニTあるし、やってるソシャゲは動くしね……。最近の若者は贅沢が過ぎるんだよ。うん。俺が引きこもり体質とかそんなんじゃない。大概のことは世間の方が歪んだ思想しているんだし、俺そのものに異常はない。
と、不満たらたらで宇都宮先生を見ていると、心底呆れたようなため息の後に続ける。
「『イッパイモノアルヨ』だぞ……さてはお前、私みたいなババアが何でそんなナウくてヤングでサイケなノリ場を知っているんだって、馬鹿にしているんだろ、絶対そうなんだ!」
「いや……してないですよ」
ツッコミどころ多すぎてパンクするわ。……今なんて言った? 『イッパイモノアルヨ』って聞き間違いだよね? んな名前じゃ客、一人も来ねぇだろ。あまりにも長ったらしい異世界転生物のタイトルを見習えよ。今日質より量だから。あと宇都宮先生の言い回しが年増過ぎて分り辛い。
が、そんな追撃を打ち込める訳も無く。
頬をぷくぅと膨らませているいたたまれない宇都宮先生と無言で見つめ合う。
……何、この時間。美少女ならまだしも、憎き教師兼時間泥棒a.k.aぷくぷくオバサンと見つめ合うこの時に何の利益も見いだせないんだけど。
俺が目を細めて視線を誤魔化しつつ意識を飛ばしていると、口内の空気を吐き出しながら宇都宮先生が机に向き直った。腫れあがった唇を撫でながらその一挙手一投足を見守る。
そして、宇都宮先生が引き出に肘まで手を入れて取り出したものは――
「テレレテッテテー!」
「ガラパゴス、携帯……?」
略してガラケー。今の若人は知らないかもしれない、オーパーツ的な古の文化だ……おかしい。連絡先の管理とか山ほどしてる筈の教員が、ガラケー……? 確かにグループ化とかはあった気がするし、当時としては革命的だったが。いやいや……無理無理。んなもん、下の方にスクロールする頃には腱鞘炎確定だよ。音ゲーできなくなっちゃうよ……?
と、無意識に細む目が見つめるぼやけた宇都宮先生が不思議そうに俺を見上げて口を開く。
「んあ、何だ。そんなに珍しいか、ステンレス耳かき」
「そっちじゃねぇよ」
「あ?」「あ」
いや、仕方ないだろ。何でガラケーとの二択で隣に置いてあったステンレス耳かきの方を挙げるんだよ。ちょっと珍しいけど! あと、使用済か知らんが裸で置いておくのはどうなの……?
「なんだ、こっちか?」
宇都宮先生はガラケーをわざとらしく胸の前でぶらぶらさせる。
よく見ると、可愛く装飾が施され、名の知らないキャラのデカい人形まで付属していた。世に言うデコ電とかいうヤツだろうが、どう考えても邪魔だとしか思えない。それ、電話の時とか捲って持ち上げんのかな……それと先生。出てるよ、世代。背面のバッテリーカバーだけ色違うんだけど、裏にプリクラとか貼ってんのかな……。
なんて考えつつ、透視できねぇかなぁと目頭に力を入れていると、その背後で宇都宮先生は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて何か言いたげだ。
「あのスマホとかいうチカチカ電子板、一時期使ってはいたんだがなぁ……」
と、聞こえるか聞こえないかの声量で呟いて宇都宮先生は口を噤む。……あれ、今この人って周りから蛍光灯の光バチバチに受けてんだけどなぁ……顔に影がかかって表情が見えなくなるの、アニメでしか見た事ねぇよ。
てか、そこまでの出来事って……なんか怖いんですが。何か、暗い過去が――
「エッチなサイトの、というかフィッシングサイトとやらに騙されてな……高額請求を鵜呑みに、それが原因で色々と問題が……」
クソしょうもねぇや!
「中学生なの⁉」
宇都宮先生はこめかみをおさえ、ため息を溢す。
「……いやはや。情報社会というのは恐ろしいな、鏡」
「えぇ……」
同意を求めるような潤んだ目が痛々しく哀れだったが、その下で激しく躍動する親指がガラケーのボタンの上を押し滑っているのを見て、そんな気持ちもどこかに吹き飛んで行く。そもそも考えなくても自業自得の至りだし、俺に関係ないし……それから学んでその道を選んだんなら立派なもんだ。
にしても……やっぱこの人超能力者だろ。画面もろくすっぽ見ずにネットサーフィンできます? 普通。ブラインドタッチくらいなら出来るけど、難易度が違い過ぎる。というか、その技術があれば情報社会でもドン張れると思うんだよね……だってハッカーとかクラッカーなんかよりずっと指が運動してると思う。見た事無いんだけど。
あぁ、この人は一体幾歳をガラケーと共に過ごしてきたのだろうか。その膨大な時間を考えるだけで、涙が溢れそうになる。宇宙誕生から生命の誕生まで、そんな動画を寝る前に見た時みたいな荘厳さが心中膝栗毛を妨げてそれ以上前に進めないし眠れない。
良い子の皆は寝る前に見るのをやめておいた方が良いゾ! あと、膝栗毛って単語、堪らなく好きなんだけど分かる?
なんて関係ない事をボーっと考えながら超人的な動きを眺めていると、目的の場所へと到着したのか宇都宮先生はガラケーを裏返して前に突き出してくる。
その画面パンパンに、見慣れた地形の地図が表示されていた。国道だか県道だかに緑色の線が走りルートを示していた。そして目的地の赤いピンは海沿いの広い土地に刺されている。
が、ふふんと鼻息を荒くした宇都宮先生は何も喋らない。
自慢気な姿はとても麗しいのですが、反応に困るんでやめて貰えますかね。今時、調べれば直ぐ出るんで……俺ってば全然一人で行けますよ? ちょっと離れてるけど地元だし……。
だが、ガラケーの裏から顔を出した宇都宮先生が発した言葉は、俺の想像だにしない、素っ頓狂なものだった。
「と、いう訳で。私が連れて行ってやる」
「…………はぁ」一体、どういう訳なんだ……?
「御礼かつ幸甚に伏せ、凡人よ! 私はナビが使えるし車も運転できるッ! ガキとは違うのだよ、ガキとは!」
フハハハ! と続けざまに笑う大人の姿は大変に滑稽だよ! ただし、大きめの胸を強調する姿は俺の目を挙動不審にさせるには十分過ぎるお姿だった。
「いや……あの」
「そうだよなぁ。敬服、しちまうよなぁ。いいんだいいんだ、慣れてるから」
何だコイツ、めちゃくちゃウゼェ!
目が合わないと分かると、ここぞとばかりに自慢話が繰り広げられそうになる。嫌な年増上司のいい例がそこにあった。
「これは私が若い頃の話だがな――」
「あの、すみません。俺、ひとりで行けますよ」
そう俺が話を遮ると、宇都宮先生は「むっ」と言いながら眉を八の字に曲げた。申し訳ないなという気持ちが顔を覗かせたが、長話を聞かされるよりはマシだった。
そんな俺の態度にお冠の宇都宮先生は説教モードに切り替える。
「だがな、お前はまだ学生という身分なのだ。何でもかんでも一人でやれると考えるのは、殊勝な志ではあると思うし敬畏ではあるが……一教員としてやっぱり保護者は必要だと考える――お前、はじめてのおちゅかいって知っているか?」
「……いや、まぁ、はい。でも俺、こう見えても十六歳なんで、違和感モロ出しのバッグにデカいカメラが仕込まれているなんてこと知ってますよ?」
「あぁ、あれな……。分かっちゃうよなぁ……嫌な大人になっちまったよなぁ……」と、宇都宮先生はため息交じりにこめかみを押さえる。
あとここだけの話、サンタさんが実在している事も知っていたりする。ネッシーはなんなら琵琶湖にいるしツチノコはその辺の森にいるんだよ? あんま、声を大にして言えないんだけどね。中学の時真顔で言ったら引かれたし。
それと単純な疑問なんだけど、好奇心旺盛な子供があんなデカいバッグに目線合わせないなんてことがあるの? 俺の幼少期なら絶対ガン見してたと思う。俺ってば小っちゃい頃から天才なので、リュックの紐とかよくクルクルしてたし。まぁでも、最近ならカメラの性能上がってるから見つかったりする心配も無いのかな。でもそうなると犯罪とか怖くない?
と、いらん事を幕間にチラホラ考えるという悪い癖を繰り出していると、宇都宮先生はゆっくりと口を開く。
「私はそれを持ち運ぶ人たちをみまもるさんと呼んでいてな。彼らの仕事は過酷ながらも鮮烈。見るに堪えない苦行の末、待っているのは孤独な家庭。その上直近のあれこれが四重苦となり……」
「あの、何の話をして――んっ」
今度は長い人差し指が唇に添えられて口が結ばれる。体温が馴染み、仄かな温かみが移ろい、脳が揺れる。そして急に何も話せなくなった。考え出す言葉が全て飛んでいく感じだ。
指から鼻へと名前も知らない花の匂いが流れ込んでくる。
「入学してから今日までお前の様子を見ていたが、どうもひとりでやり切ろうとする精神が見られる。それが悪い事だとは言わない。それを出来ない人間が多くいる中で、自分を信じ切れる事は良い傾向だとも思うからな。誰もが他人に嫌われるのを恐れるし、罵倒されることそれを嫌う。それに、だ。正直な話、社会に出てしまえば誰しもがそういう風にさらされ、気がつけば馴染み、救う事も救われることも無くなる。皆、ひとりぼっちだ」
うんうん。と、一人で納得して頷く宇都宮先生。それ、マジなの? 社会って怖い。
……だけど、何を伝えたいのか言葉の真意が読み取れない。頭の中は疑問符で満たされる。確かに俺はひとりぼっちと言えばその通りだ。教室で誰と話すわけでもないし……する意味が分からないから。故に俺は、宇都宮先生のいう社会に出た人間と同じ佳境に自らを落とし込んでいる。稀に教室内外で体操服や教科書の忘れ物の貸し借りをするやり取りを何度か見た事があるが、自分もそうなりたいとは思わない。そんな事よりも、ここ数か月は冬萌冱雪を探さなきゃなって、そればかりだったし。
そんな考えが伝わったのか、宇都宮先生の人差し指は俺の唇を離れ、忘れかけていた『鏡の一日』を持ち上げて振った。
「――こんなもの、私の性分じゃ無いしな」
「……」何も言えない。唇の自由は得られた筈なのに、どう答えれば正解か、分からない。
「だが、今のお前を見ているとどうもみまもるさんの姿が重なってな……中腰で重い物を大切そうに持ち、世間からは馬鹿らしいと大した評価も受けずに冷や飯を食い常に一人ぼっち――」
そんなの、どうして宇都宮先生が知っているのか、んなことはどうでもいい。それに、その答えは聞かなくても直ぐに分かる気がした。それよりも、俺の姿がその人達とどう重なるのか、それを知りたかった。
「そういう人を放置して、私は後悔した。だから、お前を気にかけてしまうのかもしれないな…………」
そう言って宇都宮先生は目を伏せる。何を思い返しているのか、唇を噛み締めていた。
俺はそれを見ながら、次の言葉を待つしかなかった。無意識のうちに同じく唇を噛み、心拍数と体温が上がっていた。
ジリジリとした長い数秒の後、観念したみたいに宇都宮先生が口を開いた。
「――――似ているんだ。私の父にな」
小さな嘲笑は誰に向けられているのか。そもそも、その笑みは哀れみにも似ていたから、裏面や影は察する事さえ出来ない。
ただこれだけは言えるが、今の俺はその答えを持ち合わせていない。宇都宮先生の過去に関して何か言える訳でもない。今までの言葉の意味を汲もうとした所で、それは噛み砕く以前の、それでいて成型前の物で、俺の確かな答えとは言えず、大切な疑問も拭えていない。
「だが、まぁ……ソイツとお前とを重ねるのは私の身勝手だな――すまない。今回の件は無かったことにしよう」
『鏡の一日』を片付け、改めて向き直った宇都宮先生の瞳は静かに俺を見据えていた。
……なんかなぁ。
「よし。帰っていいぞ」
「え」
「明日からは報告にも来なくていい」
「えぇ……」
一気に突き放されてまぢヤバい。心臓がろっ骨を押して動きを速める。
……何なのこの気持ち。頭の中がこの人のくぐもった顔面で満たされたんだけど。助けたいって思わされる、キュンって恋しちゃう感じ……これが、依存⁉ 一時期流行ってた、どしたん話聞こか? 的な? ごめんね! 私が悪いから叩かないで!
と、まぁ冗談はさておき。断れる訳が無いというのが現在の心境である。だってねぇ。急なカミングアウトもそうだが、宇都宮先生だって悪気があってやってたってか、全面的に俺が悪いし。だからこそわざわざ毎日来ていた訳で、今更どうのこうのと言ったところで――、
「俺、行きますよ」
「――よっしゃあぁい! 言質取ったッタで!」
「……え?」
急な事に宇都宮先生の咆哮+両腕伸ばしガッツポーズを唖然と見つめることしか出来ない。と、いうか、意識外の左フックが過ぎて脳が思考をやめている。
「あとさっきまでの話、普通に嘘な~。私がお前を束縛したいからやってるぅ」
「んだそれ!」
「ふぅぅー!」と宇都宮先生は再び喜びを剥き出しにする。
脚本家になれるし演技派だったよ! 流石三十路リーチ! 今までこんな事をやり尽くしてきたんだろうなぁ!
しかしそんな当の本人は、さっきまでの態度が嘘みたいに、直ぐに切り替えて公務員が如く淡々と手続きを進めようとする。てかこう見えても公務員な訳で。
引き出しを開くと、メモ用紙を数枚取り出して押し付けてくる。
あらかじめ用意してたってことは、こうなることも読めてたってこと……? 俺ってばチョロい? そうでなければやっぱり超能力者なのか……? まぁ、何にせよ元気そうで良かったね! ただ、束縛したいとかいう恐言だけは聞き逃せないんだけど。
だが、俺の開いた口から言葉が出るよりも早く、宇都宮先生が口早に続ける。
「そこに『イッパイモノアルヨ』までのルートと使用する公共交通機関。もう一枚には欲しい物が書いてあるから。じゃ、よろしく~」
そう言ったきり、机の方を向いてしまった。
何をするでもないが、「話しかけてくんなよ」的なオーラだけはひしひしと感じる。
俺の口はパクパクと虚しく動作する。
おい、連れていく話はどこ行ったんだよ。そっちの方が気楽でいいけど。
ただ、実に難儀な事にマジの本当に金がない。恐る恐る冷たい横顔に話しかける。
「移動費って、俺持ちなんですかね」
「当たり前だろ」
つらっと言い切りやがった……絶望のあまり声が喉に引っかかって口から変な音が出た。
勘弁してくれよ……俺、万年金欠なんだよ。バイトしてないし、お小遣い少ないし。まぁそれについては前者の理由から文句は言えないんだけど、この件だけは別件で文句しかない。
「いいか、まず前提としてだが――あくまでお前はプライベートで行くんだ。そのついでに、おつかいをする。私は保護者じゃ無いし、お前は自由……さっきお前が宣誓しただろ」
宇都宮先生は言いながら椅子を回して改めて俺を見上げた。その瞳の冷たい事冷たい事……改めて、教師だなぁって思わされる。
どうしてこんなに厚い壁があるんでしょうね。看守と囚人みたいな関係みたいだから、学校がプリズンみたく見えて、いつかタトゥーまみれの弟とかが現れてお兄ちゃんとブレイクしちゃったりするよ?
なんて考えていると、宇都宮先生は腕を組んで呆れた様な表情でため息を吐いて続ける。
「そもそも、私だって交通費なんて長物は煙草の燃えカスくらいしか貰えないんだ。それなのになんでお前のプライベートのお遊びに出資してやらにゃいかん。私とお前に何の差がある」
「いや……」
義務と不本意の差があるだろ、って言い返したいけど。一枚壁が出来た教員を前にすると声、出ねぇんだよなぁ……こうなる前に話を済ませるのが吉だったんだが。こういう時に言い返せるやけに明るい奴ってどうなってんの? 強心臓過ぎでしょ……羨ましくないけど、羨ましい。このキョトン顔に、言い返してぇ。
あと、普通に店員とかにもどもるから、俺が弱弱心臓なだけかもしれない。赤特持ちはベンチ行きで。そんなの無いけど。というか仮にそうなると俺ってば赤特持ちすぎだろ。お中元でおすそ分けできるレベル。
「さぁ、分かったらさっさと去れ、目障りだ」
「えぇ……」
この言いようである。
「……あの、明日から報告に来なくていいってやつは――」
「来い」
「あ、はい……」
ですよねー。だってこの人身勝手の極意習得してるんだもん。ジレンといい勝負できそう。俺はジレンマで動き出せないけどね!
煙草を取り出し、火を付ける所作からは、今度こそ消え失せろという気概を感じた。
なんかさ。職員室出る時って、特段悪いことをしてなくても、罪悪感みたいなの芽生えるのって俺だけなのかな。最後の何でもないやり取りも痛いわ。
もうちょっとマシなオチを付けて欲しい。あ、平場弱いから無理か。さすが一流気取り!
……まぁいいや。煙たいし、眠たいし、帰ろ。あ、でも、エロゲの続き消化しねぇと……。
肩を落とし、踵を返す。
「おい、ちょっと待った」
そんな俺に声をかけ、宇都宮先生は引き留めてきた。
何だよ。去れって言ったじゃん。今時ツンデレもモテないよ? 因みに俺のトレンドはおねショタと純愛の二択。逆転は抜き、愛はマシマシで。なんかラーメン屋みたいな言い回しで良いね。
振り返ると、長い脚を組んだヤニカスが口から煙草を離し、煙を吐きかけてきた。
生涯初となる記念すべき殺意の芽生えと悦びを感じ取りつつ、神妙な顔の宇都宮先生と視線を交わす。
タールの臭いを纏う煙が痛く自然と目が細まるが、その向こう側に隠れた顔の特に頬が朱色に染まっていくのが分かった。言い出そうにも言い出せない、葛藤に似た何かを感じる。
……なんだよ。こっちまでまどマギするから早くしてくれよ。あ、ドギマギか……。
煙が充満して来た頃、宇都宮先生はようやく口を開く。
てか、これだけ風が来てて換気されないのは何で? シックハウスウーマンなの? この例えもちょっと違うか……。
「…………お前、最近セックスしたか?」
「はぁ⁉」
変な事を考えていただけに、前触れも無く訪れた下ネタは俺の脳をハンマーで叩いてどっかに行ってしまった。それと同じく、ガタガタっという音が周りから聞こえてくる。
「いやな。入学当初から気になっていたんだが、お前だけ他の生徒とは違った、何とも形容し難い匂いがしていてな――」
何、俺ってばハチャメチャに臭いの? 自分では気付かないけど的な? おいおい……冗談はよせやい。
クンクンと腕を持ち上げて自分の脇の匂いを嗅いでみる。
「違う、体臭の話はしていない。あくまでも概念的な話だ……臭いけど」
「ん?」
なんか最後に聞こえた気がする……だってこんなにも心が痛いんだもん。よし、明日にでも親父の未開封デオナチュレ借りパクしよう。あれ、いんだよ。
あと人の事言えないからね? 煙草も普通に臭い残るし、何ならあんたはそこそこ広い部屋の臭いまるごと抑えてるからね。一時期のマー君なの? 今年も頑張ってね! と、このように、非喫煙者的に喫煙者は一瞬で分かるもんなんです。
「最近その匂いってのが妙に変わった気がしてな……とびっきりの最強対最強が激しい絡み合うセックスでもして脱バージンしたのかなってな」
「なんすか……脱バージンって」
脱サラみたいなもん? 何歳になっても夢って追いかけたいもんね……俺、夢とか見つかってないんだけど、大人になってからでも遅くないのかな……。あと言い回しキッショ。
将来に忽然と怯えていると、宇都宮先生が椅子を鳴らして煙草の灰を灰皿に落とす。
「だってお前、童貞だろ? ……いや、今回の質問的には、だったになるのか」
「意味は分かってますよ」
改めて言うなよ。教員に面と向かってセクハラされてます! 誰か助けて! と背後を見てみても、見えるのはパーテーション越しに目を背けるモザイクの教員たち。
なっさけね! と脳内で唾を吐きつつ、向き直る。
すると、間が悪くなったからか、宇都宮先生は煙草を一吸い、艶めかしく組んだ脚を解く。その一連の仕草が、今の質問からの流れでとても心臓に悪い。
「まぁ、なんだ。冗談は置いておいて――」
置いとけねぇよ。また拾われたら困るからそんな危険物はカタパルトでも使って遠くの方に飛ばしてくれ。
「恋は、しているのか?」
そう言った宇都宮先生の湛えた微笑は、薄っすらとだが、大変大人びて見えた。
「…………人並みじゃないですかね」
「そうか」
……何だこれ。何この雰囲気。職員室の中でこの一角だけ銀座のホステスみたいな雰囲気になってるんだけど。行ったことないから知らないけど、そんな感じ。薄暗いけど落ち着けて居心地いい、みたいな? バーボンく一杯ください、呷って嫌なこと忘れたいから。
「鏡……恋は良いぞ。一時的とはいえ、嫌な事から目を背けられる」
「……はぁ」
パーテーションに弾かれた煙草の煙が薄く周囲に残り続け、視界をぼやけさせる。臭いは直ぐに気にならなくなったが、それらに相対して宇都宮先生の存在が強く強調されたように感じる。鋭い視線から目を逸らせず、質問からは逃げられない。月夜の中の獣みたいだ。
「では、質問を変えよう――」
宇都宮先生が最後の煙を吐き、煙草を灰皿に押し付けた。その音が鮮明に、耳に残り続けた。
照明が朧に揺れ、遠くの窓から射す夕暮れが巨大な壁となり、外の世界と隔絶した。その一連の情景が、今日の最後を告げている気がした。
「門叶。お前は、冬萌冱雪を知っているな?」
「…………知らないです」
顔と名前と、匂いと体格くらいは知っている。裏を返せば、知っているのはただのそれだけだった。それ以外、何も知りはしない。依然他人同士というのは変わらない。
人間関係は何処を境に踏み出せるのだろうか。しばらく生きてきて、なお分からない。何なら、年々その議題は難題へと変貌していく。人との関わり合いは、難化していく。
そしてそれは直ぐに、疑問へと変わっていく。
「……どうして」
今、冱雪の名前が出てきたのだろうか。話の突っかかりは全くなかった。突然現れて降り積もる、二人に共通した積雪のようだった。
「いや――」
宇都宮先生の表情は伺えないが、瞳が満足そうに揺れると、俺から視線が外れた。その瞳は今どこを見ているのか、煙に巻かれて見えなってしまった。
「単純な疑問だった。気にしないでくれ」
椅子が鳴り、煙草の煙と共に宇都宮先生は机に向いてしまった。完全に俺に興味を失ったのか、『鏡の一日』を片付け、別の書類を取り出していた。
既に声をかける気力が無い俺は「失礼します」と言ってその場を後にする。
正直、何も考えられなかった……いや、考えることが多すぎて、一旦処理仕切れていなかったと落とし込んでおく。心に残ったモヤモヤが気持ち悪かったが、どうしてか、その理由すら考えられない。
パーテーションの外に出ると、窓から吹き込む風が肌を撫でて通り過ぎて行った。煙草の臭いも、変な汗も体温も鳥肌も、表面上だけで言えば、何もかも攫われてしまったような気がする。その直後だけは完全に別の世界に来たような感じだった。
夕暮れの朱陽はそんな世界を照らし、家々や地平線が燃えている。傍から見れば、きっと俺もその一部だ。
時差の様な眩暈でこめかみを押さえ、立ち止まり、考える。
煙草の煙は周囲の世界を隔絶し、その場に居る全ての人の気持ちを煙に巻く。その煙は長い時間をかけて肌に染み付き、そうして行ったものはしばらく経っても離れることは無いんだと、身をもって感じた。
外の世界に出てみても。あー、あの時こうしておけば。とか、言っておけばよかったとか。後になって言い訳することはとても簡単で……気がつくとそれらが癖になって依存しているのかもしれない。
実際、今パーテーションの中で過ごした時間は、凄く気が楽だったように思うし、連れて行ってくれと言えばよかったと後悔もしている。
とかく、あの空間ではそこで起こる事だけ、聞かれたことについてだけ考えればよかったし、何より、狭い世界だったから周りの目も気にならなかった。
自分の本心にも、目が行かなかった。————でもそれは、素の俺自身でもあった。それは、純粋とも取れる。無垢な、人間になり得た。普段の素行を考えると、自分でも信じられない。
……ほんの数分過ごしただけだし、全部が想像に過ぎないんだけど――。
背後を振り返ると、モクモクと揺蕩っている煙が天井にぶつかり、空気と馴染んで溶けていく。故に、メンソールの匂いは強く職員室内に立ち込めていた。……っぱあのクーラーと扇風機、意味ねぇよな……。
その下の、半透明のパーテーションの奥で頬杖をついて悩みこむ宇都宮先生が見えた。あの人は今、何を考えているのだろうか。去り際、俺の事なんて気にもしてなかったけど。
まぁでも結局、あの人にとって俺は関わり合いになる生徒のほんの一部でしかない。そこまで感情を込める理由も無いのだろう。あの人も言っていたが、保護者では無いのだ。
俺の為に訳のわからん組織を立ち上げて、雑用事までこなさせようとする様は、他の教員から見たって異質な事だろう。そんな事をする理由が知りたい。が、勇気の無い俺にそんな事が出来る訳も無い。
いつか、自発的に答えが分かると良いな。なんて他人事くらいに留めて置くのが精一杯だ。
それに、言われた事だけしとけばいいなら、これ以上に楽なことは無い。問題は起きづらく双方に利益があるし、何より責任が少ない。前者は言い訳で後者は本音。だけど、本当のことだ。
社会に出たら、とか言われるけど……俺、高校一年で始まったばっかりだし。社会とか知らねぇし。未来に目を向けたくない。
あと、こんな関係が長続きするとも思わない。
いつか呆れられて、リードを離されて、野生に放たれる日が来るはずだし。その時の宇都宮先生の目が楽しみだったりもする。歴代のそんな目を思い出すと、背筋が震えた。
職員室を出ると、より一層の爽快感と共にパタパタという急ぎ足の音が長い廊下に反響して聞こえてきた。
いつもならそんなものに興味も湧かないはずなのに、どうしても背後を振り返りたくなるという、知的好奇心が顔を覗かせた。
そうするとどうしてもその衝動には抗えないもので、階段を正面に体を向けた時、顔だけで俺の来た方を見やり、その正体に注視した。
しかし、時すでに遅く。見覚えの有るような無いような、艶やかなペールベージュの髪があわめきたつ煙を裂いて、姿を消していくところしか見えなかった。
前を向き直し、家路に就く。
大丈夫。俺の未来は、きっと明るい筈だ。
煙草の煙は今も尚、脳の中を渦巻いている様な気がした。




