南の島の探検
「君に見せたいものがたくさんあるんだ!」
食堂を出て、黒髪の竜人が意気揚々と歩き出す。
少年のような張り切りっぷりに、思わずツムギも笑みをこぼす。
「そうだ、トイレは行かなくて大丈夫か?」
「え、あるの? お外でするのかなって思ってた!」
ツムギは、ほっと息を吐いた。
「代々、色んな竜人と花嫁が暮らしてきたからな。神気で手直ししてるから、古いけど綺麗だろ?」
ギルターが真っ白な壁をなぞる。
「綺麗すぎるくらいだよぉ」
「なら、よかった。お姫さまにふさわしい宮殿にしようと、ちょっと頑張ったんだぜ」
「んもぅ……キザすぎぃ」
ツムギは照れくさくて笑う。
ギルターも楽しそうな笑顔になった。
彫刻のように整った顔立ちだけに、それが綻んだ破壊力は大きい。
流行りのアイドルなんかよりずっとハンサムだ。
トイレは便座のあるタイプだったので、ツムギでも問題なく使用できた。
下に水が流れているようだ。
さすがにトイレットペーパーは無いが、くったりとした柔らかな葉っぱが用意されていた。
「──表の出入り口はさっき使ったから、今度は裏から出るか」
洗面所の使い方なども一通り案内されてから、白いアーチをくぐり外へ出る。
ヤギに揺られてゆっくり景色を楽しみながら進むと、すぐに畑と果樹園が見えてきた。
「ゼータご自慢の植物園だ」
「すごいねぇ」
色とりどりの植物を見回す。
木々にはたくさんのフルーツが実っている。
爽やかな風が吹き抜け、たくさんの蝶や蜂たちが飛び回っていた。
島の大半は自然のままだが、ところどころこうして開拓され、道も整えられているらしい。
「いつでもミルゥと散歩してくれ。道沿いなら凶暴な生き物も出ないからな」
島はやはり、村とはまるで違う生態系だった。
ツムギは興奮して、あれこれと生き物を指差す。
ギルターはその度に、名前と特徴を丁寧に教えてくれた。
やがて、小高い丘に差しかかる。
ヤギがそれを登りきった瞬間──
「ほわぁ……」
思わず小さな息がこぼれた。
海だ。
光が海底から湧き上がっているかのように、波の一つ一つが淡く白くきらめいている。
ツムギはギルターの手を借りて地面に腰を下ろし、足を伸ばして潮風を全身で受け止めた。
ヤギはピョコピョコ跳ねていたかと思うと、草を食べ始める。
「そいつの一番の好物だ。ウキツメクサ」
茎からクローバーのような葉っぱがたくさん生えている草だ。
ツムギはそれを一つ摘み取ってヤギの口元に差し出す。
草は瞬く間にその口の中に吸い込まれていった。
ヤギはモゴモゴしながら、甘えて頭を寄せてくる。
のんびりとした穏やかな時間だった。
広がる緑と風。
海。
可愛い生き物。
そして隣には、優しい目をした人。
(ニライカナイ──神々の世界かぁ……)
昨日まで一人で部屋にこもっていたのが、遠い昔のことのようだ。
食事を持ってきた母のお小言。
どすどすと階段を上がってきて、酒臭い顔を覗かせる父。
(……イオリ、どうしてるかなぁ)
子どもの頃は毎日のように、一緒に海で遊び回っていたのに。
いつしか心は離れ、家が離れ、ついには世界まで離れてしまった。
ギルターがこちらを見てぽつりと尋ねてくる。
「……家族のこと、考えてるのか?」
「……当たりぃ」
ツムギは肩をすくめた。
気遣わしげな視線に、わざと明るく言葉を続ける。
「あたしだけ全然別の場所に来ちゃったなぁ、ってねぇ」
ギルターは何も言わなかった。
ただ、静かな目でツムギを見つめていた。
涼しい風がツムギの髪を揺らす。
しばらくして、ギルターが口を開いた。
「ツムギが帰りたいなら……止められないけどさ。でも俺はいま、君が隣にいてくれてほんとに幸せなんだ。いままで生きてた中で、一番目か二番目くらい」
ツムギは大袈裟な竜人を見つめ返す。
「俺にできることは何でもする。……だからもう少し、一緒にいてくれたら嬉しい」
ひどく真摯で温かかな言葉だった。
「ここにいろ」ではなく、「ここにいてほしい」と望まれたのは初めてかもしれない。
不思議な感覚だった。
(……帰りたい気持ちも、帰れる場所も無いけど……)
けれど、この美しい世界に、何もできない自分がいていいのか。
故郷ですら、血の繋がった家族とすらうまくやれなかったのに。
ここでも自分は、やはり邪魔な存在なのではないのか──。
けれどツムギは迷った末に、ゆっくりと頷いた。
自分もこの優しい竜人のそばにもう少しいたかった。
いつか本当に何もできないことがバレて、追い出されてしまう時が来るかもしれなくても。
「やった……。ありがとう、ツムギ」
ギルターが息を吐いて微笑む。
しばらくの間、二人はただお互いを見つめていた。
(……食べられるんじゃなくて、良かったなぁ)
初めてそう思った。
(どうかここで、あたしにも何かできることがありますように……)
神々の海に、そう願いをかけた。
やがて日が傾いてきて、光り輝く猛禽が飛んできた。
ツムギは笑顔でそれを見上げる。
「ヒカンドリだ!──じゃなくて、カガリちゃんだっけ」
「おう。きっと夕飯ができたんだな、ゼータが探してる」
「ゼータが?」
意味がわからず首を傾げる。
「カガリは竜人と視界を共有できるんだ。あの鳥が見てるものを、俺たちも見られる」
「ほぇー、すごい!」
「君を探す時も力を借りたんだぜ」
竜人が花嫁を探すために遣わす霊鳥。
そう聞いて、ヒカンドリがツムギを選んだのだと思っていたけれど──実際には、ギルター自身がツムギを選んでくれた、ということなのか。
(あたしなんかのどこを気に入ってくれたんだろ……)
それはわからないが、じんわりと胸が熱くなり、少しだけ自信のようなものが生まれるのを感じた。
「さぁ、家に帰ろう」
「……うん!」
ツムギは竜人の手を取った。
✳︎✳︎✳︎
日の落ちかけた真珠宮の廊下には、大きなヤドカリのような生き物が、さかさか音を立てて歩いていた。
「“ハヤシガニ”だ。夜の間に宮殿を掃除してくれる」
「あらぁ、ありがとう」
ヤギの上から頭を下げる。
蟹たちはハサミで器用に落ち葉などをつまんで、背中の殻に入れている。
仕事の報酬は、なんとゼータの手料理だという。
「ゼータ飯は生き物たちにも大人気なんだぜ」
ギルターが誇らしげに言う。
使用人の代わりに、生き物たちと助け合って暮らしているらしい。
食堂へ向かうと、銀髪の竜人がテラスに皿を並べていた。
柵にカガリがとまっていたので、ツムギは笑顔で手を振る。
霊鳥の目は、今は青じゃなくて金色だった。
どうやら、竜人さまが一緒に見ている時だけ青色に見えるらしい。
「夕食は軽めにしましたよ」
その竜人さまが、せっせと皿を運んでいる。
(今さらだけど、竜人さまに料理を作らせて、給仕までさせていいのかなぁ……)
とんでもなく罰当たりなことをしている気がする。
幼い頃、竜の祠のお供え物をこっそりつまんでハナリの老婆に大目玉を喰らった記憶が蘇った。
(……おばぁとヤシロさんも元気かな)
美しく整えられたテーブルに意識を戻すと、並んでいる皿はまたも十数枚ある。
しかも昼間とは全く違うメニューだ。
「ぜんぜん軽めじゃねぇよな」
ギルターがこっそり耳打ちしてくる。
ツムギはうんうん、と頷いた。
潮風が心地よい。
夕陽とトーチの炎に照らされた料理はどれも美しくて、自然と食欲をそそる。
また一つ一つ、丁寧な説明を聞きながら舌鼓を打った。
ヤギがモシャモシャとサラダを食み、ゼータは手際よく皿を運び、ギルターが余計なことを言って小言をもらっている。
ここに来てまだたった半日なのに、それが日常の風景に感じられた。
「ごちそうさまでしたぁ」
手を合わせ、満ち足りた気持ちで伸びをする。
「全部美味しかったけど、特にシーフードのパスタが好きです。イカさんは柔らかくて、エビさんはプリっとしてて!」
手伝いは昼間失敗してしまったので、せめてものお礼に感想を伝える。
ゼータは無言で頷いたが、その口角が少し上がっている気がした。




