新たな居場所
竜の島を離れた翌日、ツムギはすぐに実家を出た。
「おばぁに衣装を返しに行く」とヤギに乗って玄関を出て、そのまま帰らなかったのだ。
村の巫女、ハナリ。
老婆の職業は、単に占いや伝統の儀式をするだけではない。
一番の役割は「人と竜の橋渡し」なのだと、あの嫁入りの時に聞いていた。
(何もできないあたしに、つとまるのかわからないけど……)
ツムギはそれを目指すことにした。
少しでもあの兄弟と、これから生まれる子どもたちと繋がっていたくて。
そして、その役に立ちたくて。
突然やって来てヤギの上で頭を下げるツムギを見ても、老婆は驚かなかった。
「ようやくお出ましかい」
ニヤリと笑って迎えてくれた。
ツムギは苦笑いする。
「昨日の今日だよぉ。せっかちなんだからぁ」
「お前がのんびりすぎるんだ。ババアの命は短いんだよっ」
老婆の住む家は、海のすぐそばの平屋だ。
ツムギには海のよく見える一室が与えられた。
捨てられたはずの図鑑とビデオテープが、そこにあったのには驚いた。
「捨てるところに出くわしたから、貧乏根性で貰ってきただけさね」
とぼやきながら、老婆はふわふわヤギに頬ずりをした。
そして四年間伸ばした髪を肩までにばっさり切ってもらい、ツムギの新たな生活が始まった。
華やかな桃色の作務衣に身を包み、老婆の部屋を覗く。
「おばぁ、おはよう!」
竜人の財宝は、両親には内緒のまま老婆に渡した。
弟子入り料のつもりだった。
老婆はそれを祭壇に祀り、毎朝ブツブツと拝んでいる。
ツムギは呆れて言う。
「とっとと売り払ってさ、好物でも買いなよぉ」
老婆は眉を吊り上げる。
「竜人さまからのありがたい贈り物を売るだなんて、バチが当たるよ!」
「その竜人さまに『売れ』って言われたんだよぉ」
「ごちゃごちゃ言っとらんで、早う祠の掃除をしてきんしゃい!」
「はぁい」
かごを持ってヤギに乗り、玄関のスロープを下る。
陽の光がまぶしくて、目を細め額に手をかざした。
ゆらゆら道を進むと、作業をしていた村人たちが手を止めてこちらを見る。
「おはよう!」
彼らに向かって元気よく手を振る。
「やぁ、ツムギちゃん」
「今日も朝から可愛いね。ミルゥちゃんもおはようさん」
最初は遠巻きに見ていた村人たちも、挨拶を返してくれるようになった。
不思議生物のミルゥがどう扱われるか不安だったけれど、意外とモテモテだった。
「『可愛い』はやっぱり正義だねぇ、ミルゥ」
「くぅん?」
老婆の家を出たらまず、一人と一匹は神域にある竜の祠へと向かう。
そびえ立つ竜の石像にも元気に挨拶して、掃除をして持ってきたお供え物を置く。
(どうか心優しい竜人さま二人と、チビちゃんたちが元気でありますように……)
お祈りをしてごにょごにょと祝詞を唱え、祠を後にする。
そのあとは、畑で植物のお世話だ。
ミルゥの好きなウキツメクサの種も、隅っこに植えさせてもらった。
他にもヤギの毛や糞に混じった種があったらしく、村にはないはずの草が芽を出していた。
不安になって老婆に相談すると、
「それも竜人さまからのお恵みだからね」
と言われたので、そういうことにする。
畑から戻ると、お待ちかねの朝食だ。
ヤギとツムギは勇んで居間に向かう。
「ヤシロさぁん、お腹空いたぁ!」
「これっ、お行儀のなってない娘だね!」
叱る老婆と対照的に、ヤシロはニコニコして料理を運んでくる。
筋骨隆々の体に割烹着と三角巾、という姿がミスマッチで可愛くて、ツムギは見るたびにくすくす笑ってしまう。
「引きこもり娘は知らんだろうが、ヤシロは村で一番人気の男でな……」
老婆はことあるごとに自慢してくる。
実の子ではないが、幼い頃から老婆が面倒を見て、巫女の世話役として育てたらしい。
海の男らしい浅黒い肌と彫りの深い顔立ちの上、体格も良く力持ちで、何より優しい。
女の子にモテるのも納得だった。
老婆の家はもともと段差が少なく整備されている上に、ミルゥがいる。
おかげで歩けなくても不自由はほとんどなかったが、何かあればこの人がすぐに助けてくれた。
おまけに料理も上手なのである。
ゼータのような派手さはないけれど、素朴で温かい食卓だ。
和室なのに大きなダイニングテーブルの上に、郷土料理がずらりと並ぶ。
ふわふわヤギもテーブルの下で、こんもり分けてもらった料理と草に満足顔だ。
それを目を細めて見やりながら老婆が告げる。
「今日は祝詞の練習だよ」
「うへぇ」
修行の間は車椅子を借りることにしたので、ミルゥは畑の周りで自由に遊んでいる。
畑のすぐ隣は神域で村人は近づかないので、ミルゥだけでも安心だ。
老婆が元々飼っているヤギとも仲良しのようで、
並んで丸まって眠っているのを見つけた時は、ツムギは尊さに思わず叫んだ。
そのせいで二匹は起き上がって、見逃した老婆は年甲斐も無く盛大に地団駄を踏み、翌日には使い捨てカメラ“写ルンだよ”を仕入れてきた。
「いいかい、あんたの一番大事な仕事だよ!」
ビシッと指差されてヤギの写真を撮りまくることを厳命され、ツムギは目を瞬いた。
ヤシロにポシェットを編んでもらい、それに入れてカメラを持ち歩くことにした。
夕方、再び祠で片付けをしたらようやく業務終了、夕飯の時間だ。
箸を進めながら老婆が眉をひそめる。
「さっきな、またあの男が来たよ」
「……あ、お父さん?」
ツムギは海ぶどうをつまんでいた箸を止める。
「ヤシロに放り出させたがね。村長に言いつけたし、ま、当分は来ないと思うさ」
父はツムギが何も言わずに家を出たことが不満らしく、度々怒鳴り込んできているのだ。
元々、老婆と反りが合わなかったせいもあるのだろう。
ツムギは息を吐いた。
「ありがとねぇ」
「あんたのためじゃないよ。ババアは、ああいうしょうもない男が我慢ならないんだ」
「しょうもないかぁ」
「ないよ」
断言されてツムギは笑ってしまう。
逆にちょっと父が哀れに思えてくる。
「他にもとやかく言うやつがいたらぼこぼこにしてやるから、言いつけんしゃいよ。あんたはもう、私の弟子なんだからね。舐められるんじゃないよ」
「……はぁい、師匠!」
ヤシロは別に家があるので、夕飯を終えると帰って行く。
見送りながらツムギはヤギと浜辺に行き、老婆にもらったお古の横笛を奏でる。
吹き方も修行の一環で教えてもらえた。
家に戻るとお風呂の時間だが、さすがに島の温泉よりもだいぶ狭い。
ヤギとくっついて、きゃっきゃとはしゃぎながら温まる。
ほかほかになって居間に戻ると、老婆がすぐさま口を出してくる。
「これっ、ちゃんとフワモコに水はやったのかい。可哀想に、そろそろ腹も空かせてるんじゃないか」
「くぅん!」
「あんまり甘やかさないでよぉ」
その後は二人と一匹でのんびりお喋りタイムだ。
老婆は竜の島の話をやたら聞きたがったので、ツムギは一生懸命話した。
この人にならギルターとゼータも許してくれる気がして(ゼータは怒るだろうけど!)、島のこと、二人のハンサムな竜人のこと、卵のこと、悲しい事故のこと、全て話した。
「ねっ、竜の島は天国だし、竜人さまはハンサムで優しいってわかったぁ?」
「そうさね。……ま、このフワモコが何よりの証拠かね」
老婆は草を反芻するふわふわヤギを優しく撫でる。
しばらく黙っていたが、やがてぽつりとこぼした。
「三十年も前の話だけどな」
「なぁに?」
ツムギは首を傾げる。
老婆は少し間を置いてから言った。
「──私も、竜人さまの花嫁に選ばれたのさ」




