竜人と花嫁の別れ
ワタリガメが村の入江に入った。
ツムギは数ヶ月ぶりの故郷を見渡す。
「じゃあな、ミルゥ。俺の奥さんをよろしく頼むぞ」
「くぅーん……」
ギルターはツムギをヤギの上にそっと降ろす。
「これを持って行ってくれ」
「なぁに?」
小綺麗な箱を手渡される。
中を開くと、やたら高価そうな宝玉や手鏡やらが入っていた。
「何これ? いらないよぉ」
ツムギが正直に告げると、ギルターは苦笑いする。
「適当に売り払ってくれよ。人間が生きてくにはカネが必要なんだろ? ゼータが言ってたから」
「そっか。ゼータが……」
ツムギはふたをそっと閉じて膝の上に抱えた。
ギルターが明るく言う。
「『ツムギは綺麗な貝殻とか小石のほうが喜ぶぜ』って、俺はちゃんと言ったんだけどな!」
「……あたしのこと、よく知ってるねぇ」
ツムギは笑って胸元の祝珠を撫でる。
「……服とこれも、もらっていい?」
「もちろんだ」
ギルターが祝珠を手に取って口付けると、ふわりと淡い光が生まれた。
「神気を込め直した。ちょっとくらいなら、また海の中でも息ができると思う。俺から離れると効果は薄れちまうけど……」
「ふふ、それは別にいいよぉ。あなたの奥さんだった証が欲しいだけ」
ギルターの顔がくしゃりと歪む。
「『だった』とか言わないでくれ。離れても、君はずっと──俺の花嫁だ」
「……」
「俺はそう思ってる。君は嫌かもしれないけど」
「嫌じゃないよ……嬉しい。──それなら、何があっても頑張れそう」
笑顔で告げると腕が伸びてきて、力いっぱい抱きしめられた。
「何かあったら必ず呼べよ。いつだって、一瞬で飛んでくるからな」
「……うん」
「何もなくても、呼んでくれてもいいんだぜ」
涙まじりのウインクにかすかに笑って頷くと、腕がそっとほどかれる。
「行こう。ミルゥ」
ツムギはヤギを促して、家の方角へと歩き出す。
両親がどういう顔をするかも、村の人たちがどう思うかも分かっていた。
でも。
(大丈夫だ……怖くないぞ)
自分に言い聞かせるように深呼吸をする。
もう、何者でもなかったひとりぼっちの自分じゃないのだ。
(あたしはギルターの花嫁。ゼータの家族。そして、三匹の素敵な赤ちゃんのお母さん)
その旦那さんが、背中をずっと見つめていているのが分かった。
それでもツムギは振り返らなかった。
涙を拭って祝珠を一撫ですると、しゃんと背筋を伸ばして帰っていった。
✳︎✳︎✳︎
居住地区に入ると、ざわめきが迎えた。
竜の生け贄になった女が不思議な生き物に乗って現れたのだから、当然だった。
冬の強い風が吹きつけ、ツムギは身を震わせる。
「村は寒いねぇ。ミルゥ、大丈夫?」
「くぅん」
「モフモフが役に立ったねぇ……」
あっという間にあちこちから人が集まり、人だかりができる。
(さて、どうしようかぁ……)
のんびりと考えていると、遠巻きに囲んでいた村人たちが振り返り、何かに道を開けた。
ツムギもそちらに目をやる。
──小さな老婆が、光の速さで駆けてくるところだった。
思わず笑みがこぼれて、ツムギは片手を振る。
「ただいま、おばぁ」
「ツムギ……」
ハナリ──村の巫女の老婆は駆けつけると、ツムギの肩を引っ掴んでがくがくと揺さぶった。
「ほわわわわわわわわわわ、おばぁ」
「幻じゃぁないね……帰って、きたんかい」
「そうだよぅ」
ツムギはくらくらしながらも、老婆を見つめて首を傾げる。
「おばぁ、なんかますます小さくなったぁ? あたしは太っちゃったんだけど」
「まったく、相変わらず減らず口だね!」
老婆の口調も相変わらずだったけれど、少し声が震えていた。
「あんたみたいなお転婆娘──竜人さまも手を焼いて、送り返してきたかね」
「あはは。そうみたい」
ツムギが肩をすくめると、老婆はようやく笑ってヤギに目を落とす。
「で、何だい、このフワフワモコモコしてんのは」
「くぅーん」
ヤギは老婆の足に頭を擦り付ける。
老婆は息を呑んで膝を折ると、恐る恐るといったふうにそれを撫でた。
老婆も生き物が好きらしく、小さく「いい子だねぇ……」という呟きが聞こえてくる。
ツムギはふっと微笑んだ。
老婆はひとしきりヤギを撫でさすると、しゃんと立ち上がる。
「……ま、話は後でまたしっかり聞かせてもらうとしようか。──ツムギ」
「うん?」
「向こうは……悪くない場所だったんかい?」
老婆の問いに、ツムギは胸を張って笑顔で答えた。
「──天国だった!」
✳︎✳︎✳︎
老婆が村人たちを言い含めてその場は何とか解散し、ツムギはヤギに乗って実家にやって来た。
一つ息を大きく吐いて、家のチャイムを鳴らす。
「あなた……」
玄関を開けた母の目が見開かれる。
久々のその姿は、なんだか少し老け込んだようにも見えた。
戸惑っていた母は、やがて絞り出すように口を開く。
「……竜人さまに粗相でもしたんじゃないでしょうね。その羊は何なの?」
「この子はミルゥ。ヤギさんだよ」
開口一番がそれか。
ツムギは相変わらずの母に苦笑いした。
けれどはなから、親子の感動の再会になるとは思っていない。
扉をばたんと閉められなかっただけマシなものだ。
気にせず、玄関に降りて靴を脱ぎながら問いかける。
「お父さん……はいいや。んーと、イオリは元気?」
ツムギの問いに、母は首を横に振った。
「イオリちゃんねぇ。体調があまりよくないみたいなのよ。お母さん、もう心配で心配で」
「えっ?」
靴を脱ぐ手が思わず止まる。
ツムギの大切な妹、イオリ。
完全無欠の彼女は変わらず元気にやっているとばかり勝手に思っていた。
そんなことになっていたとは……。
「様子を見にお見舞い行ってこようかなぁ」
「あなたが行っても、向こうのお家の人が困るだけよ」
「うん……」
ツムギがうつむくと、母はツムギが持ってきた二つの包みに目を留める。
「それは何?」
「あっ」
先ほどはバタバタしていて、老婆に渡すのを忘れていた。
その花嫁衣装の包みと、竜人たちからの贈り物。
ツムギは一瞬、視線をさまよわせる。
「……おばぁに借りてた衣装とかだよぉ」
「明日、お礼と一緒に返しに行きなさい」
母は頷いて、再びミルゥへと視線を落とす。
「……羊を家に入れるなら、ちゃんと洗うのよ」
「ヤギさんだってば」
ツムギは結局靴を履き直し、外の水道でヤギの足を洗うことにした。
「ミルゥは、ばっちくなんてないよねぇ」
「くぅーん?」
ぶつぶつ言いながら、ホースをつつく。
竜の島ではモチウミ頼りだったから、水道が懐かしくも新鮮だ。
玄関に置かれていた雑巾でヤギの足を拭いてやり、またがって家に上がる。
長い階段は初めてなので不安だったが、ミルゥはツムギを落とすことなくしっかりと登ってくれた。
ドヤ顔のヤギを褒めながら、自室に辿り着いて扉を開け、中を見渡す。
久しぶりの自室は、以前にも増してがらんとしていた。
図鑑もテレビもビデオテープもすべて片付けられて、この家の長女は最初からいなかったことになっている。
寂しく思うと同時に、何となく納得する気持ちもあった。
ツムギも、一日中ここで過ごしていたあの自分をもう思い出せない。
「居間に遺影とか飾られてたりしてぇ」
自分で言って自分で吹き出す。
老婆の弁によると、竜人の花嫁になった女は公的には海で行方不明の扱いになるらしい。
それからツムギは少しカビ臭い空気を大きく吸い込んだ。
「ミルゥ、窮屈じゃなぁい? お外に行きたくなったら、言ってね」
「くぅーん?」
「ここではね、一人で出かけちゃダメだよ。誰かに食べられちゃうかもしれないからねぇ」
ヤギの耳先をかぷっとやさしく噛む。
異世界に来たふわふわヤギは、ぶるぶるっと顔を振った。
✳︎✳︎✳︎
しばらくして帰宅した父は、ツムギの姿を見ても何も言わなかった。
しかめ面で、すぐに外に出ていく。
それからは色々な人が部屋に訪ねてきた。
(足を怪我した時を思い出すなぁ……)
妹の嫁ぎ先の人もやって来た。
妹を診察した医師曰く、妹の不調はストレスが原因の心因性のものらしい。
さらには、姉が帰ってきたと聞いて無理に起き上がり、貧血を起こして倒れたという。
(イオリ……大丈夫かな……)
じっとしていられない気持ちになったが、ツムギにできることはない。
もどかしかった。
そうしているうちに夜になり、来客も途切れた。
風呂で以前のようにシャワーだけ浴び、母の寝巻きを借りる。
部屋に戻ると、久しぶりの母の料理を口に運んだ。
真珠宮での食事に比べると圧倒的に量が少ない。
良いダイエットになりそうだ。
「ミルゥ、ゴーヤー食べれる?」
ヤギは好き嫌いせず口を動かしていたが、量が少なくて少し不満そうだった。
食事を終え、ツムギは布団にごろんと寝転ぶ。
(明日から何をしようかなぁ……)
図鑑もビデオももう無い。
(でももう……この部屋に閉じこもってなくてもいいのかぁ……)
頼もしいヤギだっているから、どこにでも行けるのだ。
ふと花嫁衣装の包みが目に入り、あの小さな老婆の顔が浮かんでツムギは目を瞬く。
そこへヤギが大きくあくびをして、ナイトキャップをつけた頭をごしごしと押し付けてきた。
「そうだね、寝ようかぁ」
布団をかぶると、ヤギがそそくさと上に乗ってくる。
だいぶ狭くて、ツムギはできるだけ端っこに寄った。
(……おやすみ、ツムギ)
目を閉じようとするとあのひたすら優しい声と手を思い出して、涙がみるみるにじんだ。
「くぅーん……?」
「……大丈夫だよぉ」
ふわふわの温もりがありがたかった。
洗われたりして疲れたのか、ヤギはすぐにぷぅぷぅと寝息を立て始める。
「……別の世界って緊張するよねぇ」
自分があちらに行った時のことを思い出す。
この温かな毛玉に、どれだけ救われたか。
「今度はあたしが守ってあげるからねぇ。……おやすみ、ミルゥ」
──それから。
(おやすみ、ギルター)
心の中でつぶやき、祝珠を握って目を閉じた。
✳︎✳︎✳︎
ツムギは食べ物の匂いに目を開けた。
眠っている間に、まぶたににじんでいた涙を拭う。
服を着替えると寝ぼけ眼のヤギに乗って、顔を洗って台所に顔を出した。
トントンと包丁を扱っているのは──
ゼータでも、母でもない。
「おはよう、ヤシロさん」
ツムギが手を振ると、無口な男はゆっくり微笑んだ。




