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ニライカナイの花嫁 〜引きこもり少女、竜の島で三食ヤギ付き花嫁生活始めます!〜  作者: 望月冴子
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22/25

自分にできること

 夜は更けている。


(二人はそろそろ、使命の時間かも……)


 そう思いながらも食堂の前まで来て、ツムギははっとする。

 ドアは開いていたが、また──二人の争う声がしていた。

 ツムギは息を詰めてそっと中を覗く。

 腕を組んで壁にもたれるゼータと、その前で何かを力説しているギルターが見えた。


「──だから、俺はもうツムギに隠し事しないって決めた。竜の姿も全部見せて、それでも俺といたいか決めてもらうんだ」


(……えっ?)


 ツムギは息を呑む。 

 ゼータの静かな声が続く。


「……それであの女に拒絶されて、兄上は耐えられるんですか?」

「そりゃ、死ぬほど辛いに決まってんだろ。けど……仕方ない。そもそも、騙して連れてきた俺がいけなかったんだ。今度こそあの子の気持ちを尊重したい」

「……では、言い方を変えます」


 ツムギが自分の存在を知らせようと口を開きかけた時──

 ゼータが、うっすらと笑っているのが見えた。


「あの女が私たちを拒絶したら──私は耐えられない」


 ツムギは思わず息を止める。


「私の料理を食べて微笑んだあの唇から、私たちを罵る言葉を聞いたら、私は耐えられない。その言葉を止めるために──また、殺すしかなくなります」


(ゼータ……!)


 自分が動揺しているせいだろうか。

 ツムギには、またゼータが泣いているように見えた。

 ギルターにもそう見えたのかもしれない。

 彼の声も震えていた。


「またって……なんだよ。ずっとそんなふうに思ってたのか? 母さんのあれは事故だ!」

「あの時はね。確かに事故だったかもしれません。でも今度は──今度こそは、確実に私の意思で殺すことになる」


 ゼータが目を伏せて笑っている。

 笑っているのに、泣いている。


(……泣かないで、ゼータ……)

 

 立ち聞きはいけない。

 声をかけなきゃと思うのに、呼吸がどんどん浅くなり、声が出なかった。


「そうなってもいいんですか。あの女を失っても、兄上は耐えられるんですか?」

「……そんなことにはならない。俺が止める。兄ちゃんが止めてやる!」

「止められませんよ。兄上は子を成して、永遠の命を失った。──いまはもう、私の方が強い」


 ゼータの体から風が巻き起こる。

 いつの間にか、ゼータの目はツムギをひたと見つめていた。


(聞いてるの、バレてた……!)


 ツムギはミルゥの上で思わず身を引く。


「試してみますか?──その女を守れるか」

「⁉︎──ツムギ!」


 ギルターもツムギの存在に気づく。

 ゼータが左手を指揮のように振り、その指から放たれた旋風が襲ってきた。


「ほわ……っ」

「やめろゼータ!──ミルゥ‼︎」

「くぅーん!」


 ヤギが大きく跳ね、風を避ける。

 ツムギは必死にしがみついたが、着地の衝撃で崩れ落ちた。

 すかさず駆け寄ってきたギルターが、ツムギたちを背後にかばう。


「怪我ないか、ツムギ、ミルゥ!」


 ギルターの体が青白い稲妻をまとっていく。


(……やめて)


 ツムギは床に足を投げ出したまま、争う竜人二人を呆然と見つめる。


(喧嘩しないで……!)


 この兄弟はあんなに仲が良くて。

 長い間たった二人で寄り添って、力を合わせて生きてきたのに。

 ああ、やっぱり──


(あたしがいるせいだ……!)


「ツムギ、大丈夫だ! 怖くないぞ!」


 再び襲ってきた風を稲妻で受け流し、煽られながらもギルターが叫ぶ。


「ミルゥに乗って逃げれるか?──ゼータ、やめろ! お前だってツムギを気に入ってただろ!」


 ゼータも笑みを作ったまま声を張り上げる。


「目の前から消えてほしいと思うくらいにはね!」

「意味わかんねぇよ。お前は頭いいんだから、バカな俺にもわかるように言え!」

「兄上みたいなお人好しには、私のような捻くれ者の心は一生わかりませんよ!」

「お前マジでそういうのやめろ! 兄ちゃんがちょっとお仕置きしてやる!」


 ギルターの体から青白い光がほとばしる。


(──やめて……)


 世界がぐるぐる回って、もう二人が何を言っているのかすら頭に入ってこない。

 けれど、これだけはわかる。

 これ以上自分がここにいたら、二人はまたひどく傷ついてしまう。

 お互いに最後に残った、たった一人の兄弟すら失ってしまう。


「くぅーん!」


 ヤギがツムギを乗せようと懸命に服を引っ張っている。

 その感触に、はっと全身の感覚が戻った。

 ツムギは大きく息を吸い込む。


「──やめて!」


 全身全霊の力を振り絞って叫んだ。


「帰るから!」


 二人と一匹の動きがぴたりと止まって、ツムギを見つめる。

 何よりも愛しい六つの瞳を見つめ返しながら、ツムギはゆっくりと繰り返した。


「あたし、帰るから……!」

「ツムギ……⁉︎」


 ギルターが呆然と呟き、ふらふらと近づいてくる。


「怖い……怖いの。ごめんなさい……」


 毅然と告げようと思ったのに、いつの間にかぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。

 耐えられない。

 もう、耐えられない。

 赤ちゃんが生まれてくるまで保たない。

 ギルターが崩れるように跪いてツムギの肩をつかむ。


「ごめん……! 怖がらせてごめん……!」

「違うの、ギルターは悪くない……ゼータも。全部あたしが悪いの。ごめんなさい」


 怖かった。

 二人が、自分のせいで争ってしまうことが。

 赤ちゃんが、無事に生まれてこないかもしれないことが。

 ちゃんと育ててあげられないかもしれないことが。

 自分のせいで、みんなの幸せを壊してしまうかもしれないことが──

 こんなにも、怖い。


「こんなんじゃ……赤ちゃんに悪い影響与えちゃうから。帰ります……」


 声も体も、どうしようもなく震える。


「みんな、良くしてくれたのに……こんなことしかできなくて、ごめんなさい……」

「そんな……大丈夫だ、ツムギ……俺たちの子だぞ。こんなことで駄目になったりしない……!」


 ツムギと同じく震える手が恐る恐る髪を撫でてくる。


「帰るなんて言わないでくれ……俺に悪いところがあるなら、全部直す……」

「あなたは何も悪くない。本当に……最高の、旦那さんだよ」

「じゃあ、どうして帰るなんて言うんだ!」


 ギルターが涙を浮かべて叫ぶ。


「一緒にいてくれ。何でもする。お願いだ……俺の花嫁……」


 ツムギはもう一度首を横に振り、両手で顔を覆った。

 風を収めたゼータが静かに口を開く。


「……ワタリガメの用意をします。明朝でいいですか」

「……はい。お願いします」


 ツムギが頷くと、ギルターが悲鳴のような声を上げる。


「駄目だ……ツムギ、嫌だ……!」

「兄上。その女のためですよ」

「……ツムギの?」


 動きを止めた兄に、弟が頷いてゆっくりと言い聞かせる。


「彼女には彼女の、人間としての人生があります。私たちに、私たちの生活と使命があるように。彼女は私たちに充分与えてくれたでしょう。……これ以上、奪う気ですか」

「奪うって……俺はそんなつもりじゃ……」


 ギルターは呆然としながらうつむいた。


「そうなのか……? 俺は君から奪ってたのか……?」


 端正な顔がたちまち涙で崩れていく。


「俺は君を一方的に連れて来て……それなのに、君は毎日俺に笑いかけてくれて、子どもまで産んでくれたのに。結局、俺がもらうばっかりで、何もあげられなかった」


 ギルターは泣きながら笑顔を作った。


「今も、君の気持ちを尊重したいって言っときながら、また俺の気持ちを押し付けてた……。フラれて当然だ。嫌われて当然だ……」

「違う……違うよ、ギルター」


 ツムギも泣きながら、必死に首を横に振る。

 ギルターにたくさんもらったから、だからツムギはあそこに帰れる。

 ギルターのことが大好きだから、帰るのだ。


「……君のことが本当に大好きなんだ。それだけは信じてくれ。……好きになって、ごめん」

「……謝らないでよぉ……!」


 悪いのは全部ツムギだ。

 ギルターも、ゼータも──

 自分のせいで悲しい顔をしないでほしい。

 次々とあふれる涙は止まらなかった。

 ツムギとギルターは床に座り込んだまま、子どものように泣きじゃくっていた。

 ゼータがミルゥを促して、静かにこの場から去るのが視界の端に見えた。


(ごめんね……ゼータ……ミルゥ……)


 やがて泣き疲れて、意識が遠のいていく。


(ごめん……ギルター)


     ✳︎✳︎✳︎


 夢の中。

 天国のように美しい島に、大きな竜二匹と小さな竜三匹が、仲良く幸せに暮らしている。

 ミルゥにカガリ……ナギウモたちもいる。

 真っ青な海に囲まれた、誰にも邪魔できない楽園。

 ──そこにツムギはいない。

 いないほうが、いい。


     ✳︎✳︎✳︎


 いつの間にか、寝室に運んでもらえたらしい。

 ベッドの上でツムギは目を開けた。

 天井のガラス窓からまばゆい光が差し込んでいる。

 朝が来た。

 ──別れの朝が。

 ぼうっとしていると頰をツンツンとつつかれて、そちらに目をやる。


「……おはよう、ミルゥ」

「くぅーん」

「昨日はごめんねぇ……」


 ヤギは何度も頭を擦り付けてきた。


 洗面をして部屋に戻り、一番お気に入りのひまわり色の服に着替える。

 そこへ、ちょうどノックの音がした。

 思わずびくりと肩が跳ねる。


「……はい」

「……おはよう。入っていいか?」


 扉が開き、ギルターの顔が覗く。

 いつもの端正な顔立ちだけれど、その目は赤かった。

 ツムギが頷くと、ゆっくりと歩いてきてベッドの端に腰掛ける。


「……はい、今日のお花」


 後ろ手に持っていた花を、そっとツムギの髪に挿す。

 ツムギはギルターの顔を見上げた。


「……あの後、ゼータと何か話した?」

「……うん。あそこまでちゃんと兄弟喧嘩したの、初めてだ。──だから仲直りも初めて」


 ツムギはほっと息を吐いて笑顔を作った。

 ギルターはツムギの手の上に自分の手をそっと重ねる。


「昨日はみっともなく泣き叫んだりしてごめんな。できるなら、最後はちゃんと笑ってお別れしたい」

「……あたしもそう思ってた」

「なら……よかった」


 腕が伸びてきて、そっと抱きしめられる。

 ツムギはギルターの肩に顔を乗せる。

 二人はしばらくそうしていた。


     ✳︎✳︎✳︎


 並んで食堂に向かう。

 テーブルの上にはいつものように──いや、いつも以上に料理が所狭しと置かれていた。


「……最初の日より豪華だぁ」

「張り切りすぎだよな、ほんと」

 

 茶化すギルターを、キッチンから出てきたゼータが睨みつける。

 その目も少し赤い気がしたけれど──

 本当にいつもの二人だった。


(よかった……本当に、よかったぁ)


 ギルターがツムギを椅子に座らせ、ヤギがその隣に陣取った。

 ゼータが湯気の立ち上るスープをツムギの前に置く。

 ツムギは銀髪の竜人をしっかりと見上げて、そして頭を下げた。


「ありがとう。……いただきます」

「……冷める前にとっとと食べなさい」


 最後の晩餐──じゃない。

 最後の朝食だ。

 厳かに手を合わせる。

 ツムギはスープを始めに、全ての料理を順番に味わった。

 もうごはん一粒だって入らないくらい、満腹になるまで食べた。


「……最高でしたぁ」


 心からの笑顔で告げると、ゼータはゆっくりと頷いた。


     ✳︎✳︎✳︎


 寝室に戻り身支度を確認していると、再びノックの音がして黒髪の竜人が顔を覗かせた。


「……準備できたか?」

「うん」

「もう少し、ゆっくり荷造りしてもいいんだぞ」

「荷物、これだけだからねぇ」


 花嫁衣装の包みを撫でると、ギルターが頷く。


「……そうだよな。君は身一つで来てくれたんだったな。ズカンとかも全部置いて」

「ふふ。図鑑は別にいいけどぉ。それ以上のもの、見せてもらったから」


 ツムギは部屋を見渡す。

 このお姫さまみたいな寝室ともお別れだ。

 ツムギはやっぱり、お姫さまにはなれなかったけれど。

 それでもここでほんの一瞬だけ、そうなれた気がしていた。


「素敵な夢を見せてくれてありがとう」


 部屋に向かって深く頭を下げる。

 ハーネスを着けたミルゥに乗って、ギルターと手を繋いで廊下をゆっくり歩いていく。

 壁は朝日にきらきらと輝いていた。


 “始まりの海”の扉の前に着き、ギルターとヤギが立ち止まる。

 ツムギは重厚な扉を見つめた。


(……さよなら、チビちゃんたち)


 目を閉じて扉に額をつけ、扉の先にいる子どもたちに、心の中で語りかける。


(逃げてごめんね。こんなお母さんでごめん……。どうか元気で、幸せになってね。遠くから、ずっとお祈りしてるからね……)


 昨日枯れるまで泣いたと思ったのに、また涙がこぼれてきた。


(──あたしをお母さんにしてくれて、ありがとう……)


 声にならなかった言葉は、扉に吸い込まれていった。

 ギルターが優しくツムギの肩を抱き、額に唇を落とす。

 ツムギは涙を拭って、ヤギに進むように促した。


     ✳︎✳︎✳︎


 浜に出ると、すでにワタリガメとゼータが待っていた。

 ツムギは真っ白な宮殿を見上げ、そして頭を下げた。

 ここで色々なことがあった。

 本当に色々なことが……。

 

 頭を上げると、ふわふわヤギがゼータの前へと歩み出る。


「お世話になりました」


 ヤギに乗ったまま再び頭を下げても、銀髪の竜人は答えなかった。

 少し間を置いてから、静かに口を開く。


「……レアチーズケーキを完成させられなかったことは、私の永遠の生涯の汚点です」


 ツムギは顔を上げて思わず笑みをこぼした。


「食べたかったなぁ。ゼータが作ったレアチーズケーキ」

「俺も食べてみたかった」


 ギルターも笑って同調する。

 ゼータはヤギの前に片膝をついた。


「ミルゥ。いままでの働きに感謝します」


 そう言って、首輪に小さな荷をくくりつける。


「ナイトキャップと、好物の草の種です。向こうで育ててください」

「うん……」


 ツムギは綿毛から降りて、そのつぶらな瞳を正面からのぞき込んだ。


「……ほんとに、あたしと一緒に来てくれるの?」

「くぅーん!」


 どんな時も側にいたツムギの親友は、「当然だ」と言うように鳴いた。

 ツムギと一緒に、人間の村へ。

 それがこのふわふわヤギの決断だった。

 ツムギは柔らかな綿毛をぎゅっと抱きしめる。


「ありがとうね、ミルゥ……」

「……ったく、こいつにはほんと敵わないぜ」


 ギルターが苦笑しながらツムギを抱き上げ、そのままワタリガメの背へ乗る。

 ミルゥも浜から跳んで亀に乗り込んだ。

 ワタリガメが静かに沖へと泳ぎ出す。


「ゼータ、ありがとう!」


 ツムギは遠ざかる浜に向かって叫ぶ。


「ありがとねぇ!」


 一生懸命、大きく腕を振る。

 ゼータは何も言わなかった。

 手も振り返さない。

 ただ、いつもの凛とした姿勢のままこちらを見ていた。

 その姿が、豆粒ほどになった頃。

 膜をくぐる感覚がして、島もゼータも、ふっと消えた。

 神々の世界から、人間の世界へと境界を越えたのだ。

 ツムギの頰を再び涙が伝う。


(ばいばい、ニライカナイ……)


 美しい自然と愛しい生き物たち。

 カガリやナギウモたちに、ちゃんとお別れも言えなかった。

 でもみんなの姿を見たら、ますます帰りたくなくなってしまう。

 海を渡る風が少し冷たくて、こちらの世界はいま冬なのだと思い当たった。

 ギルターが肩をそっと抱き寄せてくる。


 それからは、きらきらした光の中でどうでもいい話をたくさんした。

 ふわふわヤギが甲羅の端に立って、器用に海に向かって用を足すのを見て大笑いした。

 笑いすぎて海に転げそうになったツムギをギルターがすかさず抱き留めてくれて、そのまま二人で亀の上で寝転がった。

 青い瞳が、まっすぐに自分を見つめ返してくる。

 楽しくて、そして幸せだった。

 ──たぶん、いままでで一番。

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