花嫁になるはずだった女
「ほぇっ……」
ツムギは口をぽかんと開けて老婆を見た。
「……えっ? ほんとぉ?」
「ちょいと昔話をするよ。──今からずっと前の時代はな、花嫁に選ばれることは誇りだった」
老婆は言葉を区切り、ふわふわヤギを撫でた。
「『竜の国は美しく、竜人さまは愛情深い』と言われていたそうさ」
「ありゃ? 真実じゃん!」
ツムギはつい口を挟む。
老婆は頷いた。
「そいで花嫁候補が浜にずらっと並んでな。託宣を待っていたそうだ。……けれどそのうち戦争があって、表立って風習は途絶えた」
「うん……」
竜人がヒカンドリを通じて花嫁を選び、託宣を下す。
その慣習はずっと前からあったようだ。
だがそれも、戦後にはほぼ無くなったらしい。
「そんなわけでババアが娘の時代には、花嫁候補は二人だけだった。──私と姉のね」
「……おばぁ、お姉さんいるんだ」
そういえば、老婆の家族の話は聞いたことがなかった。
確か、未だ独身だとツムギの嫁入りの時に言っていたか。
「双子でな。村一番の美人姉妹と評判だったさ」
「あはは。おばぁの若い頃、見たかったなぁ」
ツムギは目の前の老婆を見つめる。
今でもこれだけ美しいのだ、昔はさぞかし美人だっただろう。
「ま、見た目は瓜二つだが、中身は正反対でな。不真面目な私と違い、姉はまさに人生を賭けて修行をこなしていた。だから選ばれるなら姉だと思っていたんだが……修行に飽きた私が、家を抜け出した時のことだ」
「え、おばぁも抜け出したりしてたのぉ⁉︎」
自分との意外な共通点に、ツムギはちょっと嬉しくなった。
「ババアも若かったからね。──そん時に、ヒカンドリさまが私を見初めた。びっくり仰天とはあのことさ」
老婆はしわがれ声で苦笑した。
ツムギはずいっと身を乗り出す。
「それで、おばぁも花嫁になったの?」
「いんや」
老婆は笑顔を引っ込めて、暗い口調になった。
「姉が納得しなかったさ。抜け駆けだと、卑怯極まりない、とな。……まったくその通りだと私も思った」
「……」
「そうして──、竜人さまが村に着いた時。花嫁衣装を着て浜に座っていたのは、私ではなく姉だった」
双子の姉妹が入れ替わり、竜人の花嫁になったのか。
ツムギは息を呑んで聞き入っていた。
「幸か不幸か、竜人さまは入れ替わりに気づかず、姉を連れて行った。その後は再び託宣が来ることもなく、私もいい歳になり、今度はハナリを継ぐ修行を始めた」
「うん……」
「けれど、姉の輿入れから十年ばかり経った時だ」
老婆の顔がさらに険しくなる。
「無惨な姿の姉が浜に流れ着いた。体中が傷だらけで、焼け焦げて……そりゃあ酷い有様だった」
「……え?」
何かが記憶に引っかかって、ツムギは顔を上げる。
「それ……いつの話だっけ?」
「二十年前さね」
二十年……。
それはもしかして……。
ツムギは愕然として口を開く。
「おばぁのお姉さんって……ギルターたちのお母さん?」
「そういうことなんだね」
老婆は長く息を吐いた。
「……竜の国は本当は酷い場所だったのだと、我々は長いこと騙されていたのだと、村の誰もが思った。だが私だけが、真の理由を知っていた。私が竜人さまをたばかり、入れ替わったから……それがバレて、姉が代わりに罰を受けたのだと」
「違うよぉ!」
ツムギが思わず叫ぶと、老婆はゆっくりと頷いた。
「竜人さまの世界は、姉には……たまたま合わなかったらしい。ただ、それだけのことだったんだね」
「うん……」
老婆の姉──ギルターたちの母の目には、竜人の真の姿が、恐ろしい化け物として映ってしまった。
それがあの悲しい事故に繋がった。
誰が悪いわけでも、増してや竜人が罰を下したなどではない。
「そして私はハナリを継いだ。時代的にも続けられんだろうと、花嫁候補も育てなかった。みなが口をつぐみ、この慣習を忘れようとした。実際それから託宣も無く、忘れられると思った。……二十年経って、どっかのお転婆娘が引っかかるまではね」
「……あはは」
「ねえさま……」
竜人の花嫁になるはずだった女は、目を瞑って天を仰ぐ。
「いま思えば、そもそも私は本気で選ばれたかったわけでもなかった。そんな責任は真っ平ごめんだった。だからねえさまの訴えに、これ幸いと逃げたんだ」
「……」
ツムギは何と言えばいいのかわからなかった。
胸元の祝珠をきゅっと握っていると、老婆は独り言のように続ける。
「私はただ──ねえさまと一緒に修行するのが、楽しかっただけなんだよ」
老婆は目を開け、ツムギを見やった。
「あんたにやった笛は、姉が使ってたもんさ」
「えっ⁉︎」
ツムギは慌ててポシェットから笛を取り出す。
「流れ着いた姉が唯一持ってたもんがそれだった。ちょいと焦げてるがね……。消毒して保存してたから、汚くないよ」
「い、いいのぉ? そんな大事なものを……」
「いいさ」
老婆が微笑む。
年老いてなお、竜人の花嫁にふさわしいような美しい笑顔だった。
「あんたが笑って帰ってきて、私はちょっと救われたんだよ」
「おばぁ……」
「──さ、これで昔話はお終いだ。ババアのつまらん告白を聞いてくれてありがとよ。どれ」
と、老婆は懐から自分の笛を取り出す。
「気分転換に一曲吹こうか。そうさな──竜に捧げる調べでも」
「竜に捧げる……?」
「花嫁が、竜人さまを慰めるための音色さ」
老婆は息を吸って笛を奏で始める。
ツムギは息を潜めて聞き入った。
澄んだ笛の音が部屋に広がる。
鎮魂の曲とは確かに違う。
なんだか肩の力がすっと抜けていくような、優しい音色だ。
(子守唄みたい……)
ふわふわヤギが心地良さげに体を揺らしている。
ツムギも目を閉じて、曲に体を委ねた。
音が部屋の隅々まで行き渡ってから、静かに戻ってくる。
時間の感覚が、ふっと薄れていった。
──やがて、最後の音が空気にほどけるようにして曲が終わる。
老婆がゆっくりと笛から口を離すと、ツムギは膝立ちになって力いっぱい拍手した。
「すごいよぉ、おばぁ!」
ヤギもピスピス鼻を鳴らして、老婆に頭を擦り付けている。
老婆は少し照れたように笑った。
「私は笛だけは誰にも、姉にも負けなかったんだよ。……ついぞ、竜人さまに披露する機会はなかったけどね」
「そっかぁ……」
「ま、自業自得というやつさ」
老婆の声は少し寂しそうだった。
気持ちはわかる気がした。
ツムギももう、あの二人に笛を聞いてもらえる機会は無い。
けれど、この愛の曲を吹けるようになりたかった。
ツムギは二人の母親の笛を、ぎゅっと握りしめる。
「──違うっ、そこで指をこっちだって言っちょるが! まったく鈍臭い娘だね、できるまで寝かせないよ! 今夜は徹夜だ!」
「おばぁ、歳を考えてよぉ……」
「くぁーん」
✳︎✳︎✳︎
そんな賑やかな日々の、とある夕方。
ツムギはいつものように、膝立ちになって竜の祠を片付けていた。
隣で草を食んでいたヤギが、大木を見上げて短く鳴く。
「どうしたのぉ?」
ツムギは視線を追って見上げる。
一羽の鳥が、御神木からこちらを見下ろしていた。
その鋭い瞳にツムギは息を飲む。
「……カガリ!」
まだ日が明るいので光ってはいない。
普通の大きな鷲のように見えるが、その──青い瞳。
ツムギの鼓動が一気に早くなった。
(ほんとはずっと……ちょっとだけ期待してた……!)
もしかしたら、自分の様子を見に来てくれるのではないか、と。
ツムギは膝で木の根元に歩み寄り、大きく手を振る。
「ギルター!」
返事はもちろん無い。
「そっか。そもそも声は届かないのかなぁ?」
それでもツムギは笑顔を作る。
鳥に──その向こうのギルターに手を振って語りかけた。
「みんな……チビちゃんたちも元気にしてる? こっちは二人とも元気だよぉ」
隣のヤギを指差す。
「くぅーん!」
「ありゃ」
ツムギの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
慌ててぬぐって微笑んでみせる。
「……あたし、頑張ってるよ。うまく、やれてるよ」
……そうだ。
ツムギは笛を取り出す。
「笛をもらったんだよ。練習中なんだけど聞いてね。聞こえるか分からないけど……」
こほんと咳をして笛を構え、大きく息を吸う。
そして、まだまだ下手だけれど精一杯、心を込めて笛を鳴らす。
老婆に教わったあの愛の曲だ。
(気持ちだけでも……どうか、海の向こうのあなたに届きますように……)
たどたどしくも、何とか終わりまで吹き終えることができた。
「えへへ。どうかな、ギルター」
息を弾ませながら笛を下ろすと、カガリが木から舞い降りてきた。
傍らに咲いている花をクチバシで摘む。
鳥はそのままヤギの上へと飛び乗り──ツムギの耳へと、花を挿した。
『はい、今日のお花……』
甘い香りが鼻をくすぐる。
至近距離で青い瞳と目が合い、どうしようもなく心が震えた。
「……キザすぎぃ」
ツムギは震える唇でつぶやいた。
「ありがとう、ギルター……カガリ……」
何とかお礼を言葉にすると、鳥は海へと飛び去っていった。
辺りがすっかり暗くなってヤシロが探しに来るまで、ツムギは顔を両手で覆ってそこにいた。
✳︎✳︎✳︎
翌朝。
ツムギはふわふわヤギを走らせて祠へと向かう。
二人で木々を見上げて探すが、カガリの姿は見えない。
それでも、またどこかで見ていてくれるかもしれない。
「竜人さま。貢ぎ物でございます」
イタズラっぽく笑って一礼し、小さなかごを祠に置く。
ゼータが欲しがっていた村の果物を詰めて、レシピも添えた。
昨晩、実家に寄って母に教えてもらった、レアチーズケーキの作り方。
「ゼータに作ってもらってね」
夕方になってドキドキしながらそっと覗くと、かごは無くなっていた。
ヤギと目を見合わせてガッツポーズをする。
それからもツムギは色んなフルーツや二人が喜びそうなものを毎日供えた。
けれど最初の日と違って、それらが持ち去られることはなかった。
「もう来ないのかもしれないねぇ……」
「くぅーん」
二人とも忙しいのだ。
これから子どもたちが生まれてくる。
その準備に、大切な使命に、時間はいくらあっても足りないだろう。
カガリにだって、カガリの生活がある。
(……別々の道を選んだのは、あたしだもん)
その自分がいつまでも囚われていてはいけない。
ツムギは両手で頬をぺしんと叩くと、仕事に取りかかった。
✳︎✳︎✳︎
──しかし、数日後。
いつも通り夕方に祠に行くと、カガリが持ち去ったはずのかごが置いてあった。
「わざわざ返しにきてくれたのぉ?……あれ?」
かごを取り上げると、中に包みが入っている。
首を傾げながらそれを開くと、香ばしい香りが広がった。
「ほわぁ……!」
「くぅーん!」
ツムギとヤギは目を輝かせた。
フルーツを使ったパウンドケーキだった。
ご丁寧にも、綺麗に切り分けてある。
震える手で取り上げて、一切れをヤギの口に、もう一切れを自分の口に入れた。
竜の島のナッツと一緒に、数日前にお供えした村の果物が使われていた。
優しい甘さが口の中に広がり、涙がにじむ。
「ゼータ……ありがとう……」
大好きな人の弟。
遠く離れていても、ツムギの大切な家族。
ツムギはケーキを捧げ持って、すぐさますっ飛んで家に戻る。
再び一切れずつ口に入れて小躍りしているツムギとヤギを、老婆がすかさず見とがめた。
「これっ、夕飯前に何をもぐもぐしてんだい!」
「えへへ、二人も食べるぅ? 竜人さまの特製ケーキ!」
老婆とヤシロが目を丸くする。
ツムギは声をあげて笑った。
(──ギルター、ゼータ。ありがとう)
心の中で竜人たちに語りかける。
(あたしはもう大丈夫。ここで、この人たちとやっていけるよぉ)




