キザな兄とクールな弟
しっとりとした海風が頬をなでる。
潮の粒が陽を受けてきらきらと光り、結い上げた髪に落ちてきた。
ツムギは歓声を上げる。
「──海、好きなのか?」
「うん!」
弾んだ声で答えて、水平線を見つめる。
歩けなくなってから、海は遠い場所になった。
けれど、いつだってこの青に焦がれていた。
「なら、よかった」
ギルターは端正な顔を綻ばせる。
(……綺麗だなぁ)
胸の奥がまた跳ねて、うつむいて視線をそらす。
ギルターは気づいているのかいないのか、さらりと続けた。
「敬語はいらないから、そうやって普通に喋ってくれよ」
「えっ? でも、竜人さまなのに……」
「そう、えらーい竜人さまだ」
竜人さまは茶目っ気たっぷりに、片目をつむって笑う。
「で、君はその花嫁さまだからな」
──花嫁。
ツムギはきょとんとする。
(それは建前、だよね……)
不安になってきた。
ここは、きちんと希望を述べておかねばならない。
「あの……あたし、焼き殺されるよりもね、どうせなら食べてほしくて……」
「え?」
「頭からガブリって……」
両手を添えて大きく口を開ける仕草をすると、固まっていたギルターが慌てて叫ぶ。
「た、食べられたいのか? なんで⁉︎」
「生け贄なんでしょ?」
「生け贄⁉︎ なんだそれ!」
ギルターは叫び、頭をかきながら眉を寄せる。
「すごい誤解があるな……」
どうやら変なことを言ってしまったらしい。
ツムギはなんとなく縮こまって、ギルターの言葉を待った。
「えっとな……俺たち竜人は、男しか生まれないんだ」
「えぇ?」
ツムギは目を見張る。
さすがは竜人さまと言うべきか、不思議な生態だ。
「だから、子どもを作るのに人間の女の子が必要なんだ。生け贄なんかじゃない」
長い指が頬にそっと触れる。
「カガリに探してもらって、ようやく君を見つけたんだ。──俺の花嫁」
「……んっと、カガリって?」
どきどきして、ツムギは視線を泳がせた。
ギルターは上を指差す。
いつの間にか、あの鳥が空を舞っていた。
「ヒカンドリかぁ」
ギルターは咳払いすると、真剣そのものの声で続けた。
「そういうわけだ、食べたりなんてしない。君が笑って過ごせるように、願い事は何でも叶える。……子どもが生まれたら、必ず故郷に帰してやる。──だから」
二つの青がまっすぐにこちらを捉える。
「ツムギ。俺の花嫁になってくれるか?」
息を呑んでその瞳を見つめ返す。
花嫁。
何もできない自分が、それにふさわしいとはとても思えなかった。
……けれど。
(本当は、ずっとイオリが羨ましかった……)
生き物たちが皆そうしているように、自分も誰かと結婚して、子どもを産みたかった。
歩けなくなった日に泡と消えたその夢を、この美しくて優しい竜人と叶えられるのか。
一気に胸が熱くなる。
戸惑う気持ちはまだあったけれど、ツムギは勇気を出して小さく頷いた。
「ありがとう、ツムギ……!」
青い瞳の竜人は、まっすぐな嬉しさをにじませて笑う。
それにつられてツムギも微笑んだ。
村はいつの間にか遠くなっていた。
潮騒は優しく、陽光は温かい。
(まるで、海が歓迎してくれてるみたい)
ギルターがそっと手を重ねてくる。
ツムギが少しだけその指を握り返すと、青い目がまた嬉しそうに細められる。
ワタリガメは竜人とその花嫁を乗せて、光の海を進んでいく。
✳︎✳︎✳︎
ツムギは水平線をじっと見つめていた。
しかし島へ向かっているはずなのに、どこまでも美しい青ばかりで影一つ見えない。
隣で手を握る竜人をそっと見上げる。
「あの、ギルターさん……あっ、ギルターさま?」
「ギルターでいいって。君の旦那さんだぜ?」
竜人さまは気取って笑う。
「う、うん、ギルター。島って遠いの?」
「いや、もうすぐそこだ」
ツムギは首を傾げる。
(もしかして、普通の人間には見えないのかなぁ)
“黄泉の国”だし──。
そう思った、その時だった。
ふっと風が変わり、じっとりした湿り気が無くなった。
何か透明な膜を抜けたような感覚がして、体が震える。
次の瞬間、突然、目の前に島が現れた。
「な?」
ギルターが片目をつむる。
どうやら、結界のようなものが張られていたらしい。
周囲を見渡すと、小さな島々が点在するように浮かんでいた。
海の色も一層鮮やかになり、底まで見渡せるような透明度だ。
景色に夢中で身を乗り出すツムギを、ギルターがそっと支えてくれる。
(……ありゃ?)
ふっと、頭の中のもやが取れるような気配があり、幼い頃の記憶が唐突に蘇る。
『一緒に行こう。俺たちの島へ』
海で三匹のジュゴンとアシカに出逢い、なんとアシカが口を開いてそう言ったのだ。
夢みたいな話だけれど、海のように真っ青な瞳が確かに自分を見つめていた。
(あたしはそれにどう答えたんだっけ……?)
確か、「妹も一緒に行きたい」と言って……。
「──大丈夫か? 具合悪い?」
気遣わしげな声がして、ツムギは、はっと意識を現在に戻した。
「ううん、大丈夫!」
慌てて手を振って否定して見せると、竜人は安心したように息を吐く。
記憶は、再びふっと波間に消えて行った。
ワタリガメがゆっくりと速度を落とし、浅瀬へと近づく。
真珠を砕いて撒いたみたいな白い砂が陽光を受けて、きらきらとまぶしく輝いていた。
亀から降りたギルターの足が沈むと、砂粒がゆっくりと光を放つ。
「ほわぁ……」
それに見とれていたツムギは、ふと顔を上げて息を止めた。
まぶしいくらいに真っ白なドーム状の宮殿が、木々の隙間から姿を覗かせている。
美しい自然に、宮殿。
「……ここが、黄泉の国?」
「人間にはそう呼ばれてるのか?」
ギルターは苦笑して、イタズラっぽい表情で両手を広げる。
「──ニライカナイへようこそ」
ニライカナイ。
聞き覚えのある言葉に、ツムギは目を瞬かせた。
海の彼方にあると言われる、神々の理想郷だ。
(じゃあここは、異世界なの……?)
黄泉の国より現実的なのかもしれないが、さすがに戸惑ってしまう。
「さぁ、おいで」
ギルターは浜から手を伸ばして、ツムギを抱き上げた。
ツムギは再びどぎまぎしてギルターを見つめる。
そこへ、冷たい声が割り込んできた。
「── それが花嫁ですか?」
ツムギはびくりとして目をやる。
すらりとした男がこちらに向かって歩いてきていた。
短く整えられた淡い銀髪を輝かせ、異国風の真っ白な衣装に身を包んでいる。
ギルターがすぐに安心させるように口を開いた。
「俺の弟だ。顔は似てるけど、性格は真逆なんだよな。悪いやつじゃないんだけど……」
「余計なことを言わないように」
男は淡々と返す。
弟ということは、この人も竜人さまなわけだ。
確かに、よく見るとギルターと瓜二つだった。
けれど、瞳も同じく青とはいえ氷の海みたいに冷たい青だし、受ける印象は正反対だった。
ツムギが目を瞬いていると、男がじろりと視線を向けてきた。
「ゼータです」
「あ、ツムギです! はじめまして!」
慌てて、抱っこされたまま頭を下げる。
「……はじめまして」
弟の竜人は顔をしかめると、値踏みするようにツムギを見下ろした。
「……思っていたのと少し違いますね。歩けないんですか?」
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいんだってば!」
ギルターは笑ってそう言ってくれるけれど、この人が「歩けない花嫁はダメだ」と主張したらどうなるのだろうか。
身を小さくしていると、ギルターが言葉を重ねた。
「ゼータ、この子は着いたばっかりで疲れてるんだ。いくら可愛いからってそんな怖い目でジロジロ見たら、可哀想だろ」
「は? いつも通りの目ですが」
男は冷ややかな目を兄に向ける。
「……ったく。あげないぞ、俺の花嫁だからな」
「人の物を奪る趣味はありません。疲れているというなら、とっとと中に案内しなさい」
ツムギは二人が喧嘩をしているのかと思って息を潜めていたが、どうやらただの兄弟のじゃれ合いのようだ。
そして、「中に案内しろ」ということは、なんとか受け入れてはもらえたらしい。
安堵の息を漏らしたのに気付いたのか、ギルターが笑って片目をつむる。
「さぁ、行こう。俺たちのお姫さま」
ツムギは目をぱちくりさせて、鮮やかな自然とハンサムな竜人二人を見る。
生け贄になって食べられるはずだったのに。
あの閉じた部屋から出て、新たな人生が始まる予感がした。
ツムギは高鳴る鼓動を感じながら、竜人の胸にそっと顔を寄せた。
✳︎✳︎✳︎
「──ここが今日から俺たち三人の家だ」
ギルターが白い宮殿の入り口で立ち止まる。
「俺たちは“真珠宮”って呼んでる」
真珠宮。
これ以上なく、しっくりくる名前だった。
弟の竜人は先に行ってしまったらしく、もう姿が見えない。
ギルターはツムギを抱えたまま、宮殿の中へ足を踏み入れる。
ツムギは今さらながら不安になった。
「……あのぅ、重くない?」
「全然ヘーキ」
竜人さまは少年のように、にかっと笑った。
(……カッコいいのに可愛い)
ツムギは頰が赤くなるのを感じて、ごまかすように視線を巡らせた。
真珠宮の内部は、外観から想像していたよりもずっと広かった。
白い光が柔らかく天井を満たし、壁には結晶がきらめいている。
(建物なのに生き物の巣みたい……)
不思議な美しさで、建築には興味がないツムギでも見とれてしまう。
「まずは君の部屋に案内するぜ」
「え、あたしの部屋があるの?」
「もちろん。──ここだ」
ギルターが部屋の前に着き、扉を開く。
室内を見て、思わず息が漏れた。
部屋は柔らかな白で統一され、床のラグには海の波を思わせる青が差している。
天蓋つきのベッドは何人も寝転べるくらい広々として、布は真珠色に淡く光っていた。
その枕元には棚があり、鮮やかな南国の花が飾られている。
窓際がやけにキラキラしているなと思ったら、ガラスのようなクリスタルがたくさん吊り下げられていた。
その横にはテラスへの出入口があって──真っ青な海がよく見えた。
「お姫さまの部屋みたいだねぇ」
「お姫さまだからな。気に入ったか?」
「うん……!」
今まで引きこもっていた六畳一間とは大違いだ。
豪華すぎて正直ちょっと緊張するが、海が見えるのは最高だった。
柔らかなベッドの上に下ろされ、ギルターはクローゼットから、いそいそと大量の服を抱えてきた。
「好きなやつを選んでくれ」
「こ、こんなに?」
色とりどりの衣装が三十着くらいある。
戸惑っていると、勘違いしたらしいギルターが顔を覗き込んでくる。
「着替えるの大変だよな。……手伝おうか?」
「じ、自分でできるよぉ!」
慌てて言うと、ギルターは楽しそうに声を上げた。
「じゃあ残念だけど、外で待ってるぜ」
ウインクを残して部屋を出ていく。
キザな竜人に頰を染めながら、ツムギは服の山をかき分ける。
ほとんどが、綿や麻のような柔らかな素材だ。
(お姫さまが着るようなやつばっかだなぁ……)
その中から比較的大人しめで動きやすそうな、ひまわり色の上衣とキュロットを選んだ。
襟元や裾に、波とも渦ともつかない刺繍が入っている。
髪をほどき、花嫁衣装をのそのそと脱ぐ。
新しい服を身につけて、腰がだいぶ緩かったので紐をきゅっと絞る。
足元も、草履のような履き物に替えた。
(靴下がないと傷が見えちゃうねぇ)
目立つわけではないけれど、なんとなく気になる。
事故でできた足の傷跡を撫でていると、ノックの音がした。
「着替えられたか? 入って大丈夫か?」
「あ、どうぞ!」
戻ってきたギルターも着物を脱いで、紺色のゆったりしたローブ状の上衣とズボンを身に付けていた。
襟元にはツムギの服と同じような紋様が入っている。
腰には明るい色の帯を巻き、首元や手首にはアクセサリーも付けていて、とてもお洒落だ。
(モデルさんみたい……)
見惚れていると、ギルターもこちらを見てへらりと目尻を下げた。
「すっごい可愛いぜ、最高だ!──ちょっと腰の辺りがゆるかったか」
ギルターが服に手をかざす。
ツムギが首を傾げると服の糸がするすると動き、だぶついていた生地が身体に沿った。
ツムギはあんぐりと口を開ける。
「“神気”って言ってな。竜人の……えーと、すんごいパワーだ」
「すんごいパワー……」
雑な説明に目を見張る。
「島の素材を神気で編んで作った服なんだ。そのシーツとかもな。──あと、これは君の素敵な髪色に合うと思って」
ギルターは左手で後ろに隠し持っていたらしい花を、ツムギの髪にそっと挿した。
「これで完璧。南の島のお姫さまだ」
「……キザすぎぃ」
照れ隠しに、思わず可愛くない言葉が出た。
「感じが悪かったかな」と不安に見上げたが、ギルターは気にした様子はない。
微笑んで髪を優しく撫でてくる。
「移動して疲れただろ。少し休んでてな」
ギルターは残りの服をクローゼットに戻し、花嫁衣装を抱えて出ていく。
「ふぅ……」
ツムギはいつの間にか止めていた息を吐いた。
人間の男の子相手でも、こんなにドキドキしたことはない。
(“旦那さま”だから、無駄に意識しちゃってるのかなぁ……)
手で仰いで顔の熱を冷ましていると、今度は急に瞼が重くなってきた。
何しろ、普段はめったに動かないのだ。
体が休息を求めている。
花を潰さないように、そっと外して枕元に置いた。
柔らかな花びらをひと撫ですると、ツムギは一気に微睡みに落ちていった。




