引きこもり少女、竜人の花嫁に選ばれる
こんなはずじゃなかった。
人の背丈ほどもある、青く透き通った卵。
あたしが竜人さまとの間に産んだ卵が、怪しく光を放っている。
その中ではバケモノが三匹、おぞましい声をあげていた。
(……これが、ようやく会えたあたしの赤ちゃん?)
こんなはずじゃなかった。
苦しみの果てに、たった一人の妹まで押しのけてようやく幸せを掴んだのに。
あたしの手を握っていた愛しい存在が、不安げに顔を覗き込んでくる。
(こいつも、本当はバケモノだったんだ……!)
気遣うような声に、彫刻のように整った顔立ちに惑わされてはいけない。
あたしはとっさに、そいつを突き飛ばした。
ぱきり。
乾いた音を立てて卵が割れ、三匹の異形が這い出してきた。
あたしを食おうと襲いかかってくる。
耳を裂くような雄叫びが響き、世界が嵐のように荒れ狂う。
全部、嘘だった。
優しく抱きしめてくれた腕も、「俺の花嫁だ」と囁いた声も。
あたしにバケモノの子を産ませ、用済みになったら食うためだったのだ。
このどうしようもない人生の最期に見たのは、濡れた二つの青い瞳。
──こんなはずじゃ、なかった。
✳︎✳︎✳︎
「夜空に輝く、珍しい鳥がいるらしい」
家族が寝静まった廊下を、知花ツムギはこそこそと這っていた。
(お外なんて、四年ぶりだよぉ……)
堪えきれない喜びに頬がどんどん緩んでいく。
ごく平凡な自分の人生は四年前、事故で歩けなくなって一変した。
「外は危ないし、村の人に変に噂されたくないでしょう?」
そう母に諭され、車椅子すら与えられずにずっと部屋に閉じこめられていたのだ。
海と生き物が何より好きなのに、目にできるのは図鑑と擦り切れたビデオテープ、そして防風林からわずかに覗く海だけ。
そんな窮屈な日々の中、父が「珍しい鳥がいる」と口にしたのだ。
ツムギはその鳥見たさに、とうとう部屋を抜け出した。
(鳥だけ見てすぐ戻ればバレないよねぇ)
尻をついて階段を降り、一階の廊下を再び四つん這いで進む。
逸る鼓動を抑えながら膝立ちになり、玄関の扉をそろそろと開けた。
久しぶりの外の世界に身を震わせ、肺の奥まで大きく息を吸い込む。
今夜は新月らしく、辺り一帯は深い闇に包まれていた。
(……さてと)
久しぶりの運動と興奮に息を弾ませて空を見回す。
目当てのものはすぐに見つかった。
「ほわぁ……!」
夜空を滑るように舞うその鳥は、黄金の炎をまとっていた。
息を呑んで見つめていると、鳥はまっすぐこちらへ舞い降りてくる。
鷲のような大きな猛禽だった。
こちらをひたと見据える瞳は海のように青い。
「カメラがあったらよかったねぇ……」
ツムギがうっとりと呟くと、鳥はぶわりと頭の冠羽を広げ、高らかに鳴いた。
「クィ────ッ!」
村中に響き渡る大音量に、あちこちの家へ明かりが灯った。
もちろんツムギの家にもだ。
「しまったぁ!」
「──これっ!」
怒鳴り声に慌てて振り返る。
ランタンを手にした小柄な老婆が、飛ぶような勢いで駆けてきた。
「あんたかい、ツムギ! まったく、ほんっとにしょうのない娘だね!」
「ほわわわわわ、おばぁ……ご、ごめんなさぁい……」
肩を激しく揺さぶられ息も絶え絶えの謝罪に、老婆はようやく手を止めた。
そして鳥に向き直ると、両手をついて頭を下げる。
「──御使さま。託宣、たまわりました」
駆けつけた村人たちがどよめいた。
老婆はゆっくりと顔を上げ、険しい目でツムギに向き直る。
「……見つかっちまったもんはしょうがない。覚悟を決めんしゃい」
「……うん?」
きょとんとするツムギを、老婆の指がまっすぐ示した。
「──あんたが、竜人さまの花嫁だよ!」
✳︎✳︎✳︎
翌朝。
ツムギは老婆の家で、村に伝わる紅型の花嫁衣装を着せ付けられていた。
桃色の生地には鮮やかな南国の花と、昨夜の鳥が染め抜かれている。
老婆が“ハナリ”と呼ばれる巫女で、竜人とやらを祀っていることは知っていた。
しかし、おとぎ話だと思っていたそれが、まさか実在するとは。
どうやらこの村には昔から、竜人に花嫁を捧げる慣習があったらしい。
「ここ数十年なかったのになぁ……」
「前の花嫁の遺体を見たが、ずたぼろで焼け焦げてな……ひどいもんだったよ」
窓の向こうから村人の声が聞こえてくる。
竜人は冷酷で恐ろしく、選んだ女を黄泉の国へ連れていくらしい。
つまり、花嫁とは名ばかりの生け贄なのだ。
だとしても、歩けもしない何もできない自分がなぜ選ばれたのか。
(竜のせいにして、役立たずを口減らしするんだったりして)
西暦二〇〇〇年にもなって、そんな馬鹿な。
とは思うものの、この古くさい辺境の村ならあり得そうだった。
「できたよ。──さ、今生の別れをしてきんしゃい」
老婆のしわがれ声が考えを遮る。
玄関には、ツムギの両親と妹のイオリが立っていた。
久しぶりに見る妹の姿に、ツムギはそっと息を吐く。
背中まで伸びた滑らかな黒髪に、母譲りの切れ長の目。
仕草もしとやかで、村一番の美少女と噂されるのも納得だった。
対して自分は、薄茶色の癖っ毛を四年間伸ばしっぱなし。
何をしても叱られてばかりの、出来の悪い姉だった。
重たい気分で老婆に借りた車椅子を寄せると、父と母が口を開いた。
「……きちんとつとめるんだぞ。くれぐれも失礼のないようにな」
「いい子にするのよ。竜人さまのご機嫌を損ねないようにね」
この両親は、昔から娘の気持ちには興味がないのだ。
ツムギが黙ってうつむいていると、妹が車椅子の前にすらりと立った。
自分とは違ってよく手入れされた指が、ツムギの頬をなぞる。
「一人じゃ何にもできないお姉ちゃんに、竜人の花嫁なんてつとまるのかしら?」
容赦のない言葉に顔を上げると、人形のように整った顔と目が合った。
「花嫁じゃなくて生け贄だとしても、お姉ちゃんより私がふさわしいと思うわ。恥ずかしい女を差し出したら、体裁に関わるもの」
鈴が鳴るような声で何を言い出すのか。
目を見張っていると、両親が慌てて首を横に振った。
「お前はもう玉城家に嫁いでいるんだぞ」
「お腹に赤ちゃんもいるんですから」
ツムギは思わず妹の腹に目をやり、すぐに視線を逸らした。
高校卒業と同時に名家に嫁いだ妹は、両親の自慢だった。
ツムギにとってももちろん大切な妹だ。
生け贄にさせるわけにはいかない。
まだ何か言いたげな妹に向かって、声を絞り出す。
「……ばいばい、イオリ」
「……またね、お姉ちゃん」
「今生の別れだって言っとるが」
老婆がぼやいたところへ、巫女の付き人ヤシロに連れられ、村の男たちがやってきた。
ツムギは神輿に乗せられ、そのまま担ぎ上げられて外に出される。
「あ、ヒカンドリ……」
ヤシの木に、昨夜の鳥が止まっている。
竜人が花嫁を選ぶために遣わす霊鳥なのだと、老婆が教えてくれた。
辺りが明るいせいか今は光っていない。
ただ監視するようにツムギを見つめていた。
村人たちもずらりと並んでいて、居心地の悪さにツムギは首をすくめる。
✳︎✳︎✳︎
入江に着くと砂浜に豪華な布が敷かれ、神輿ごとその上へ降ろされた。
ツムギは久々の海に目を細める。
運んできた男たちはそそくさと立ち去り、浜にはツムギと老婆、ヤシロだけが残される。
老婆は辺りを見回すと口を開いた。
「さてツムギ──妹じゃないがね、私もお転婆娘には竜人さまのお相手は務まらんと思うよ。花嫁の座は、このババアに譲ってもらおうか」
「えっ?」
唐突な言葉の意味が分からず、ツムギは目を瞬いた。
「私もいい歳して未婚なんでな、花嫁生活に興味がある。そんなわけであんたは邪魔だよ。ヤシロがおぶるから、どっかに消えんしゃい」
ツムギはぽかんとした。
花嫁衣装をまとった老婆の姿が頭に浮かび、思わず声をあげて笑ってしまう。
「おばぁ美人だし、いいかもねぇ」
老婆もヤシロも笑っていなかった。
こちらをまっすぐに見つめている。
それで、鈍いツムギもようやく気づいた。
二人は自分を逃がそうとしているのだ。
逃げる。
そんな選択肢があったことに、今さら思い至る。
──けれど。
「……自分で行くよ。他にできることもないし──逃げるあてもないしねぇ」
自分が帰っても、あの両親は受け入れないだろう。
たとえ戻れたとしても、どうせまた──
閉ざされた部屋で、死ぬまでずっと一人。
結婚することも、子どもをもつこともできない。
だったら最後くらい、誰かの役に立ちたい。
そう告げると老婆の腕が伸びてきて、ツムギをぎゅっと抱きしめた。
「……綺麗だよ、ツムギ。竜人さまもきっと気に入る。性格は、しょうのないお転婆だけどな」
「一言多いよぉ……」
いつも無口なヤシロも、励ますようにツムギの手を強く握る。
それから目隠しをされ、両手を後ろで縛られて、立派な生け贄が出来上がった。
「……しっかり、やりんさい」
「おばぁもね。──ばいばい、ヤシロさん」
二人が去っていく気配。
ツムギは一人ぼっちになって、竜が自分を食らいにくるのを待った。
✳︎✳︎✳︎
胸の中に、少しだけ温かなものが広がっていた。
結局何もできない人生だったけれど、こんな自分でも惜しんでくれる人がいたらしい。
(どうせ生け贄なら、食べられたいなぁ)
大きくて強くて美しい生き物の一部になりたい。
冷酷で恐ろしいという竜人さまは、どんな姿をしているのだろう。
空想していると、ひときわ大きな波音がした。
続いて、何かが砂を踏む音。
ツムギは慌てて居住まいを正す。
(竜人さま、来た……?)
目隠しごしに気配を感じる。
何かが熱心に自分を見つめているのがわかる。
今まさに竜が大口を開け、自分を呑み込もうとしているのだろうか。
心臓が早鐘を打ち始める。
沈黙に焦れてツムギが口を開こうとしたとき──
「──触れていいか?」
声がした。
深く、優しい男の声だった。
(竜人さま、言葉を話せるんだぁ……)
驚いていると、相手も戸惑ったようにさらに尋ねてくる。
「目隠しを外したいから、触れてもいいか?」
「あ、はい……っ」
慌てて返事をすると、耳元に指先らしきものが触れた。
思わずびくりと身がすくむ。
「……大丈夫だ。怖くないぞ」
声音は優しく、手つきも丁寧だった。
(竜人さまの姿を見られる……!)
強張っていた体から力が抜け、恐怖よりも未知の生き物への期待が心を支配した。
目隠しの結び目がほどけ、白い光が視界へ流れ込む。
何度か瞬きをして、ツムギはようやく“彼”を捉えた。
竜人さまは、人の形だった。
真っ先に目に入ったのは、真夏の海みたいにきらめく瞳だ。
鼻筋は高く、顔立ちは彫刻のようにひどく整っている。
カラスの羽のようにつややかで黒い、少し癖のある髪がそれを縁取り、屈んでいても分かる見事な長身を、金欄模様の入った漆黒の着物に包んでいた。
人の形はしているけれど──あまりにも美しすぎる。
まさに人間離れしていた。
ツムギが口を開けて見惚れていると、その男もまた熱のこもった視線でこちらを見ていた。
「ようやく会えた。俺の花嫁……」
「え……?」
絞り出すような声に、ツムギは首を傾げる。
竜人はうっとりとした口調で続けた。
「俺はギルター。竜人だ。美人な花嫁さん、名前を教えてくれないか?」
「え……あ、あたし?」
思わずきょろきょろして、震える唇で名乗る。
「……ツムギ。知花ツムギ、です」
「ツムギか。名前も可愛いんだな」
ギルターは嬉しそうに名前を口にすると、おずおずと問いかけてきた。
「……俺のこと、怖くないか?」
ツムギは目を瞬いた。
……正直、綺麗すぎて少し怖い。
けれど、そういう意味ではないだろう。
こくりと頷いた。
「……なら、よかった」
ギルターは、輝く青い目を細めてふわりと笑う。
ツムギは自分の心臓が跳ねる音をはっきりと感じた。
(この綺麗で優しそうな人が、あたしを食べるの……?)
なんだか想像ができない。
そう思っているうちに、手を縛っていた布もほどかれた。
はにかみながら手を差し出される。
「──さぁ、一緒に行こう」
「は、はい……っ」
ツムギは慌てて手を取り立ち上がろうとする。
しかし当然のように、足はふらりと折れた。
──しまった。
「ほわ……っ!」
「……おっと、」
砂に倒れ込むと思ったら、たくましい腕に受け止められた。
膝立ちの状態で体が密着して、鼓動が一気に跳ね上がる。
ツムギも、そしてなぜかギルターも、そのまましばらく固まっていた。
支えてくれている腕と手がやけに熱く感じる。
やがて、ギルターが息を大きく吐いて尋ねた。
「……大丈夫か? もしかして、歩けないのか」
「あの……ごめんなさい」
責める響きはどこにもない、ただ事実を確かめるための声だった。
それでもツムギはつい反射的に謝ってしまう。
ギルターは首を傾げた。
「どうして謝るんだ?」
「えっ……、役に立たないし……」
「……役に立つとか、立たないとかは関係ない」
熱い大きな手が背中に添えられて、びくりと体をすくめる。
「俺が運ぶから、大丈夫だぞ」
「え?」
ふわりと抱き上げられて、視界が高くなった。
軽々と自分を持ち上げる腕の中で、ツムギはドギマギしながらやり場のない視線をさまよわせる。
そこへ、巨大な亀が海中から姿を覗かせた。
「ほわぁ……!」
ツムギは目を輝かせる。
五メートル近くあるだろうか。
深い緑の甲羅に、ところどころ金が差している。
「ワタリガメだ。俺たちの島まで連れて行ってくれる。人間の船じゃ辿り着けない場所なんだ」
どうやら竜人の棲む島に行くようだ。
そこで食べてもらえるのだろうか。
「──しっかり掴まってろよ、お姫さま」
「お、お姫さま?」
自分にはあまりに不相応な呼び方に、頰に熱が溜まる。
そのまま亀に乗り込み、甲羅の上へそっと降ろされて、ツムギは止めていた息を吐く。
「……よろしくねぇ、ワタリガメさん」
太陽を受けてきらめく甲羅を、恐る恐る撫でる。
(こんな素敵な生き物に乗れるなんて、今日まで生きてて良かったなぁ……)
じんわりと感動に震えながら顔を上げると、ギルターと目が合った。
少し離れた隣に腰を下ろして、目を細めている。
その瞳の青に、魂ごと吸い込まれそうだった。
(竜人さまのそういう魔術なのかなぁ……)
そんなことを考えていると、景色がゆっくりと動き出した。
亀が竜の島に向かって泳ぎ出したのだ。




