二人きりのデート
まぶしいほどの青空の下。
竜人夫婦はワタリガメの背中で風を浴びていた。
「ツムギの全快祝いだ!」
サングラスをかけたギルターが、ニカッと笑って腕を振り上げる。
そうしている姿は、ちょっとキザでチャラいだけの普通の青年だ。
ただし、とびきりハンサムの。
今日は珍しくミルゥもお留守番で、本当に二人きりのデートだった。
服もいつもと違い、二人とも水着姿だ。
ギルターはシャツこそ羽織っているものの、裸の上半身をさらしている。
(ほわぁ……)
ツムギは逞しい胸元に視線が吸い寄せられては慌てて赤い顔をそらす、を繰り返した。
竜人さまはその度にサングラスをずらしてウインクを飛ばしてくるので、ツムギはますます赤くなった。
そのツムギが着ているのは、露出の控えめな白いセパレートの水着だった。
部屋で十着くらい並べられて、
「好きなのを選んでくれ!」
と言われた中から決めた。
実に際どい、ほとんど紐みたいなものもあった。
ツムギが「うへぇ」という顔をしたらヤギがくわえて引きちぎり、竜人さまは泣いていた。
ちなみに、例によって神気でギルターが製作したものらしい。
髪も邪魔にならないよう二つ結びにした。
橙色のパレオが足の傷を隠すように、ヒラヒラとまとわりつく。
「俺の人魚姫……!」
ドキドキしながらお披露目したら、ギルターが顔を覆ってうめきながら転げ回ったので、ツムギは真っ赤になった。
ワタリガメは、いつも暮らしている島のすぐ隣の島に上陸した。
一時間ほどで一回りできそうな小さな島だ。
ギルターに抱き上げられると、いつもと違って素肌が触れ合う。
抱き上げる腕越しに鼓動まで伝わってくるようだ。
目が合うと、はにかむようにサングラス越しに笑いかけてくる。
青い瞳が見えないことを、ちょっとだけ残念に思った。
まず最初に、二人は島の縁をなぞるように探検した。
「あ、いまのなぁに?」
「こっちにもいるぞ」
白い砂の上をちょろちょろと走る小さな生き物。
木陰から顔を出して、すぐに隠れてしまう影。
いつも暮らす島では見かけない生き物たちに、ツムギは目を輝かせて身を乗り出す。
ひと通り島を歩き終える頃には、自然とお腹が空いてきた。
浜辺の木陰に戻ってギルターが高らかに宣言する。
「よっしゃ、お待ちかねの弁当タイムだぜ!」
弁当箱を冷やしながら守っていた透明なヘビ──ウスラギが、シュルシュルと音を立てる。
ギルターが包みを解き、箱の蓋を開けた。
ツムギはワクワクと覗き込む。
「ほわぁ!」
何段にも重なった箱の中には、きっちり並べられた大量のサンドイッチと唐揚げ。
サラダと、デザートに色とりどりの果物もある。
「さすがはゼータさまだねぇ!」
最高のお弁当にツムギは両手を叩いた。
ギルターがヘビの前にたまごサンドと唐揚げを置いてやる。
ウスラギは、つるんとそれを飲み込んだ。
透明な体の中をたまごサンドが通っていく。
「いただきまぁす」
それを眺めながら、ツムギもプチトマトのような赤い野菜を口に入れる。
噛み潰すと甘酸っぱい。
「いつもと違う場所だと、より美味しく感じるねぇ」
「本当にな!」
サングラスを額に乗せた竜人が、リスみたいに口を膨らませながら頷く。
彼がたくさん食べるせいで、お弁当箱はミカン箱くらいの大きさだった。
ご丁寧に、具材の説明がびっしり書かれた紙まで入っている。
それに目を通しながらハムのサンドイッチを頬張った。
挟まれたレタスのような葉野菜が、シャキシャキと小気味良い音を立てる。
「ゼータとミルゥも、いま頃ご飯食べてるのかなぁ」
「ほうだな」
唐揚げを次々に口に放り込みながら、ギルターがもごもごと相槌を打つ。
「あの二人、どんなおしゃべりするんだろうねぇ」
「そりゃ、『ツムギがいなくて寂しいな』だろ」
「んもぅ、テキトー言ってぇ」
可愛らしくカットされた果物も楽しんで、満腹になる。
弁当箱は綺麗に空になった。
「ごちそうさまでしたぁ」
手を合わせていると、ギルターが水筒の冷たいお茶を注ぎ足してくれる。
そこに、大きな生き物がゆっくりと前を横切った。
「ほわっ、トカゲ!──ううん、イグアナかな?」
かなり大きい。
尻尾まで入れると、ギルターの身長くらいある。
「怖くないぞ、大人しいやつだ。オオノボリって言うんだ」
「近づいても平気かな。びっくりしちゃうかなぁ」
「どうだろうな」
「えへへ、行っちゃお」
ツムギはかさかさと這ってイグアナに近づく。
「あっ、おい」
ギルターが驚いた声をあげる。
──しまった。
ツムギは恐る恐る顔を見上げる。
意外にも、彼の前で這うのは初めてだったかもしれない。
「……びっくりしたぜ。人間も這ったりするんだな」
ギルターが明るく笑っているのを見て、 ツムギは詰めていた息を吐き出した。
「んーとぉ、這うのと這わないのがいるかなぁ」
「そうなのか。人間にも色々いるんだな」
嘘は言っていない。
うん。
「お邪魔しまぁす」
驚かさないように、そっとイグアナの隣に寝そべった。
大きな生き物は横目でチラッとこちらを見たが、すぐまた目を閉じる。
日光浴をしているらしかった。
日にきらめく鮮やかな黄緑の鱗がまぶしい。
「綺麗だねぇ……」
「俺もお邪魔しまーす」
ギルターが笑って、ツムギの隣に寝そべる。
空はどこまでも青い。
両隣には素敵な生き物たち。
ツムギはしみじみと呟いた。
「幸せだなぁ……」
「なら、よかった」
ギルターが青い目を細める。
しばらくすると、オオノボリはのっそりとジャングルの中へ帰っていった。
起き上がってその後ろ姿を見送っていると、竜人がサングラスを外してこほんと咳をした。
「……実は、プレゼントがあるんだ」
そう言って、水着のポケットから何かを取り出す。
首飾りだ。
紐の先端にくくられているのは、大粒の真珠のような貝だった。
白と青が混ざり合い、内部で光がゆっくり渦を巻いている。
ツムギは美しさに息を呑んだ。
「“祝珠”って言うんだけど……」
一拍置いてギルターは続ける。
「竜人が、子を産んでもらう伴侶に贈る物なんだ。……ほんとは満月の儀式の時に渡すんだけど、待ちきれないからもう受け取ってくれ」
婚約指輪のようなものなのだろうか。
ツムギは胸がいっぱいで言葉が見つからなかった。
押し黙っていると、ギルターがゆっくりと首にペンダントをかけてくれる。
ツムギは胸元にひんやりと光るそれをそっと撫でた。
「綺麗だねぇ……」
「それだけじゃないぜ。竜人は海でも呼吸できるんだけど、それを付けてると人間もそうなるんだ」
「えっ⁉︎」
ツムギは目を見開いて顔を上げた。
「何それぇ、魔法⁉︎」
「魔法じゃなくて、神気な」
「あっ、そうかぁ。すごい……」
目を輝かせて祝珠を光に透かせる。
うっとりと見つめていると、ギルターが顔を覗き込んでくる。
「な、海に入ってみようぜ」
「うん!」
「よっしゃ」
ツムギがすぐさま頷くと、ギルターはニカっと笑ってシャツを脱ぎ捨てる。
「ほわっ……」
ツムギは思わず顔を赤くして覆う。
それから自分もおずおずとパレオを外した。
ギルターも真っ赤になって、ツムギを抱き上げる。
そのまま水に入ると、ナギウモたちが寄って来た。
ギルターの肌から伝わる熱を抜きにしても、ツムギは心臓が痛いほどにドキドキしていた。
海に潜るのは本当に久しぶりだ。
しかも海中で息ができるなんて、一体どんな感じなのだろうか。
「怖くないぞ。俺がいるからな」
「……うん」
ギルターの肩あたりの深さまで来たところで、手を繋いでそっと海の中に降ろされる。
ツムギは目を開け、ゆっくりと辺りを見回す。
光が差す、見渡す限りの青。
その中を、ナギウモたちが舞うように泳いでいる。
(ほんとに海の中だぁ……)
もう、写真やビデオでしか見ることはないと思っていた。
胸元では祝珠が光を放っている。
勇気を出して息を吐き、吸ってみた。
……普通に呼吸ができる。
(──ツムギ)
(えっ?)
いつもの優しい声が聞こえた気がして、ツムギは隣を振り返った。
黒髪の竜人は海の中で優しく微笑んでいる。
(ギルター……?)
竜人は頷いた。
(これも祝珠の力だ。海の中で通じ合える)
(て、テレパシーってことぉ?)
すごい。
すごすぎる。
本当に、夢でも見ているみたいだった。
(怖くないか?)
(あ……うん。全然)
綺麗すぎて怖いのと、幸せすぎて怖いの以外は。
(じゃあ、もっと深くまで行こう)
(……うん)
祝珠の光が胸元で淡く揺れる。
竜人と花嫁は、ナギウモを引き連れて真っ青な海の中を進んでいった。
たくさんのカラフルな魚たちとすれ違い、ツムギは繋いでいない方の手を夢中で振る。
やがて奥の方から、うっすらと淡い光が浮かび上がってきた。
(ここが、君に一番見せたかった場所だ)
色とりどりの光るサンゴが、まるで夜空の星のようにゆっくりと脈を打ちながら輝いていた。
間を小さな魚が通り抜けるたび、光が舞い散るように弾ける。
(ほわぁ……)
ツムギはもうすっかり放心状態でそれを見つめた。
ギルターが微笑み、そんなツムギの手を引いて、魚の群れをゆっくりとかき分けて通り抜ける。
桃色の海獣も、その周りを悠々と泳いで回った。
魚たちと竜人夫婦とナギウモは輝くサンゴの上で、青いキャンバスに絵を描くかのように踊る。
やがて、十メートルくらいある、銀色の長い帯のような魚がゆっくりと横切っていった。
それを合図に竜人と花嫁は光る森を離れて、ゆっくり水面へと浮かび上がる。
海上に出ると、南国の陽光が二人を包んだ。
ツムギは大きく息を吸い込む。
「すごかったねぇ……!」
興奮してそれ以外、何も言えない。
ギルターは目を細めて微笑んでいる。
帰りはナギウモに掴まらせてもらって浜まで戻った。
ギルターに抱き上げられると、濡れた体が密着してどちらともなく息が揺れる。
「……テレパシーは海の中でだけ?」
「うん」
残念なような、ホッとしたような気持ちになる。
「体、冷えただろ。ちょっと待っててな」
ギルターはツムギを浜辺に下ろし、神気で髪や体を乾かす。
それから大きなブランケットを持ってきてツムギを包み、お茶も持ってきてくれた。
さっき冷たかったお茶は、今は湯気を立てている。
これも神気のパワーなのだろう。
「ヤケドしないようにな」
「ありがとう」
注意されたのにお約束のように「あちっ」と叫んでしまい、ギルターが慌ててふぅふぅと冷ましてくれる。
再び慎重に口をつけると、すぐさま体がぽかぽかしてきた。
そのあとは二人で浜辺に寝そべって、おしゃべりをしてのんびり過ごした。
気づけば太陽はだいぶ傾いて、空がオレンジ色に染まっている。
「そろそろ帰らなきゃだねぇ」
「そうだな」
ギルターが身を起こす。
帰り支度をするのかな、とツムギも起き上がった。
しかしハンサムな竜人は、座ったままこちらを見つめている。
ツムギが首を傾げていると、少ししてゆっくりと口を開いた。
「……いよいよ、明日だな」
「あ……そうだねぇ」
一瞬、何のことかと思ったが、明日は満月。
──婚礼の儀式の日だ。
ギルターの指が静かに伸びてくる。
胸元の祝珠をゆっくりとなぞってから、ツムギの手を取った。
「……ツムギ。君を、心から愛してる」
「……えっ」
いつもの軽い調子ではない。
真剣そのものの様子に、鼓動が跳ね上がる。
「本当に……俺の花嫁になってくれるか?」
ギルターは何故か泣きそうな顔をしていた。




