思い出のケーキ
「──ツムギ‼︎」
はっとして目を開ける。
二つの青が自分を覗き込んでいた。
「……ギルター」
竜人がほっとしたように息を吐く。
「起こしちゃってごめんな。うなされてたから……」
「んー……夢見てたみたい」
窓の外を見ると、雨は止んだらしい。
もう夕暮れだった。
ヤギが寝巻きの裾を引っ張っている。
それを撫で回してやっていると、額にこつん、とギルターの額が当てられる。
「熱は……引いたな」
「ほわっ」
「……あれ、また熱くなったか?」
「うつっちゃうよぉ!」
そこへ銀髪の竜人が顔を出す。
騒ぐツムギを見てため息をついた。
「元気そうじゃないですか。──兄上が大声で叫ぶから、死んだかと思いました」
「残念。生きてるよぉ」
笑った瞬間、お腹が鳴った。
ゼータがわずかに目を細める。
「……食欲も戻ったようですね」
「だねぇ」
「ひとまず、これを。よく噛んでくださいよ」
切り分けたフルーツの皿を差し出される。
甘い蜜の滴る、桃のような果実だ。
それをヤギと分けっこしていると、ギルターが身を乗り出した。
「なんか食べたいもんないか? 好きなもの作ってやるぜ。──ゼータがな!」
弟任せのギルターに、ツムギはぷっと吹き出す。
(食べたいものかぁ……)
少し考えて、ふと、ある味が浮かんだ。
「……レアチーズケーキ」
「レアチーズケーキ?」
竜人二人は顔を見合わせる。
子どもの頃、母がよく作ってくれたのだ。
さっきの夢のせいか、それを思い出した。
「──お姉ちゃんは、私がいないとちゃんとできないんだから……」
妹がツムギの口元についた食べかすを指で拭う。
それを目を細めて見ている美しい母。
ツムギが間違いなく幸福だった頃の思い出。
「──レアチーズケーキ……」
ゼータが考え込むようにつぶやく。
その反応にツムギは首を傾げる。
「もしかして、竜人さまの世界には無い?」
「いや大丈夫だ、作れるぞ!──な、ゼータ」
「……チーズを使ったケーキですよね。どういうものですか?」
「んっとぉ」
慌てて記憶をたどる。
「白くて甘くて……ちょっと酸っぱくて。下にビスケット……? が敷いてあって」
「もっと具体的に。材料は?」
「えっ。チーズとレモン……かな……?」
「……わかるのはそれだけなんですか?」
責めるような視線に、ツムギはしゅんとする。
「子どもの頃に見てただけなんだもん……」
「そうだ、ツムギは悪くないぞ!」
「関係ない人は黙っていてもらえますか?」
ギルターは、ひゅっと首をすくめた。
が、すぐに手を叩く。
「そうだ、あの本に載ってねえの? 料理の本」
「載っていません。載っているものはもう全部作れます」
「前の花嫁さんが持ってきた本かぁ」
この島では手に入る材料が全然違うだろうに、それを全部作れるとは。
(ゼータは料理の天才なんだなぁ……)
なぜだか自分が誇らしい気持ちになる。
「最近できたケーキだったのかなぁ。本が古くて載ってないのかもね」
「考えていても埒があきません。とりあえず試しに作ります」
きっぱりと言われて、ツムギは目を瞬いた。
「え、あの、言ってみただけだから……」
「大丈夫だ、ゼータならできる!」
ギルターがツムギの手を握ってぶんぶん振る。
ゼータが部屋を出ながら言う。
「今夜はとりあえず、消化にいいものにします。リゾットでいいですか?」
「……はぁい。ありがとう」
「俺もここでおんなじの食べるからな!」
ふわふわヤギが「自分も」というように鳴く。
ギルターがもう一度ツムギの頭を撫でて、ぎゅっと手を握った。
「さぁ、夕飯までもう一眠りだ。元気になったら、二人きりでたっぷりデートしよう。ゼータさまに、とびきりのお弁当を作ってもらってさ……」
「ほわぁ……」
悪夢たちは遠のき、胸の奥に温かな明かりが灯る。
ツムギは笑みを浮かべ、今度は安らかな気持ちで目を閉じた。
✳︎✳︎✳︎
──そんなやり取りをした翌々日。
お昼すぎのことだった。
熱はすっかり引き、朝はいつもの豪華な料理を堪能した。
とはいえ、まだ調子に乗るわけにはいかない。
ツムギは部屋でヤギを撫でながらおとなしく本を読んでいた。
ちょっと飽きてきて、伸びをしたときだった。
扉がノックされて目を輝かせる。
「はぁい!」
「──失礼します」
てっきりギルターだと思ったら、入ってきたのは銀髪の竜人だった。
こちらを見下ろす冷たい美貌に、ツムギは目をパチクリさせる。
「珍しいね。どうしたのぉ?」
「おやつです」
「えっ、おやつ?」
ツムギとヤギが、ばっと身を乗り出すと、サイドテーブルに皿が乗せられる。
さわやかな甘さを思わせる香りのケーキだ。
「ほわぁ……」
口の中に唾液があふれた。
皿は二枚ある。
ゼータも一緒に食べるのかと思ったら、一枚はミルゥ用だった。
「フゴッ」
飛びついて食べ始めたヤギが勢い余ってむせて、ゼータが「ケーキは逃げませんよ」とぼやきながら背中を叩いてやっている。
それを微笑ましく眺めながら、ツムギも菓子を切り分けて口に含む。
「……おいしー‼︎」
思わず頬に手を当てて叫ぶ。
さわやかな、オレンジのタルトのような菓子だった。
甘すぎず、適度な酸味と苦味もあるのが最高だ。
ツムギはニコニコと二口目を口に運ぶ。
ふと顔を上げると、銀髪の竜人が何か言いたげな視線をこちらに向けていた。
「なぁに、食べカスついてる?」
「……これは違いますか?」
「何が?」
きょとんとすると、ゼータは呆れ顔をした。
「レアチーズケーキですよ」
「え、あ、あー!」
思わず大声が出た。
それでわざわざ、これを作って持ってきてくれたのか。
確かによく味わうと、チーズの風味がする。
胸の奥が、きゅんとなるのを感じた。
薄青の瞳が、おそらく期待を込めてこちらの反応をじっと見つめている。
とても言いづらかったが、ツムギは首を横に振った。
「すっごく美味しいよぉ。……けど、レアチーズケーキではないねぇ」
「……そうですか」
ゼータはため息をつく。
ツムギはなんとなく小さくなる。
「──明日も持ってきます」
「明日も⁉︎」
思わず叫ぶ。
ゼータはじろりとツムギをにらんだ。
「もちろん改善したものを、です」
「あ、うん」
そういうことを言ったわけじゃない。
おずおずと上目遣いに見つめる。
「あの、あたしのためにそんな頑張らなくていいからぁ……」
銀髪の竜人は眉を吊り上げた。
「お前のためではないです。私のプライドの問題です!」
「え、あ、そっかぁ」
呆然としていると、ゼータは風のように扉を閉めて去っていく。
「静かなのに、嵐のような人だねぇ……」
「くぅーん」
自分の分をぺろりと平らげたヤギが、「それもくれ」と言うように袖口を引っ張ってくる。
「これはあたしのだから、ミルゥでもダーメ」
慌てて、残ったタルトを口に入れる。
ちょっとだけ苦くて、優しい味のタルト。
ツムギのために作られたお菓子。
レアチーズケーキとは全然違うのに、胸の奥にじんわりとした温もりが広がった。
ゼータはこれを、どんな思いで作ってくれたんだろうか。
皿を置こうとして、ふと思い当たる。
──お礼を言いそびれてしまっていた。
(……また失敗して、怒られちゃうかもしれないけど)
それでも、今すぐちゃんとお礼を伝えたい。
慎重に皿を重ねると、ヤギに乗って食堂へ向かった。
✳︎✳︎✳︎
銀髪の竜人は食堂の椅子に座って、何やら大量の本をめくっていた。
それから目を上げることなく言う。
「調子に乗って出歩くと、ぶり返しますよ」
「ごちそうさまでした。ほんとに美味しかったよぉ。ありがとう」
「別に」
そっけない言い方に微笑んで、皿を置いて本を覗き込む。
「それがレシピ本? 見てもいい?」
「……どうぞ」
椅子に腰掛けて手に取ると、状態はいいがかなり古いものだとわかった。
奥付けをめくる。
「昭和四十年……」
どの本も、いまから三十年から四十年ほど前のものだった。
十冊くらいあるが、一人の花嫁がまとめて持ち込んだのだろうか。
菓子のページをめくるけれど、確かにレアチーズケーキは載っていない。
これらの本が出版された後に広まったお菓子なのだろう。
「お料理好きな花嫁さんがいたんだねぇ。ゼータはこれでお料理を覚えたの?」
「そうです」
「この島だと材料が全然違うでしょう? 大変じゃない?」
いつも冷静な竜人は珍しく、少し誇らしげに言う。
「それを工夫するのが楽しいんですよ。もっとも私は本物を知りませんから。同じ味にできているか、確かめようがありませんけどね」
「全部美味しいよぉ。最高だよ!」
ツムギが手を振り上げて力説すると、ゼータの口角がわずかに上がる。
そうやって少しでも笑うと、やっぱりギルターに似ていた。
大好きな人の弟。
ちょっと気難しくて、料理が上手で──とても優しい人。
「──お、お姫さま。寝てなくて平気なのか?」
ちょうどその大好きな人が、かごを抱えて食堂に入ってきた。
笑顔でテーブルを覗き込んでくる。
「何を話してたんだ?」
「ゼータはこの本でお料理を覚えたんだねぇ、って」
「すげえよな。ガキの時から、ずっと作ってくれてたんだぜ」
「そうなの⁉︎ 見たかったなぁ……」
チビゼータが仏頂面で一生懸命に料理している姿を思い浮かべて、ツムギはニヤニヤした。
可愛い。
絶対可愛い。
ゼータは何か言いたげな目でこちらを見ている。
ギルターは料理本の表紙を優しく撫でた。
「母さんの本……」
「えっ?」
「──兄上」
声を上げたツムギを遮って、ゼータが口を開く。
「頼んだものは」
「おう、山の方で採ってきたぞ」
ギルターがかごから色々な果物を取り出す。
ゼータはそれらを手に取って頷いた。
「仕込みをします。関係ない人たちは出て行ってください」
「あ、邪魔してごめんねぇ」
「ツムギは邪魔じゃないぞ!」
慌てて立ち上がりずっこけそうになったところを、ギルターがすぐさま支えてくる。
「ただちょっと可愛すぎるから、ツムギがいると集中できないんだってさ」
「……飯抜きにしますよ」
弟が兄を睨みつける。
最大級に効果のある脅しだった。
「やべっ、退散しようぜ」
「ありがとねぇ、ゼータ」
ヤギに乗せられ、笑って手を振る。
銀髪の竜人はスンとしていた。
✳︎✳︎✳︎
「……あれ、お母さんの本なの?」
廊下を進みながら尋ねる。
ギルターは頷いた。
「そうなんだぁ。お母さん、この島には住んでないんだよね? お父さんも……」
いままで疑問に思わなかった。
ギルターが目を伏せて、静かに答える。
「……うん。二人とも亡くなったから」




