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ニライカナイの花嫁 〜引きこもり少女、竜の島で三食ヤギ付き花嫁生活始めます!〜  作者: 望月冴子
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12/20

大好きな人の弟


「……ミルゥ? おトイレかな?」


 とある夜、またも目を覚ましてベッドの上を探るが、モフモフに当たらない。

 寝室のドアが開いていた。

 ふわふわヤギは、ときどき夜中に勝手に出たり入ったりしている。

 器用に立ち上がって自分でドアノブを回すのだ。

 そういう自由なところも素晴らしく可愛い。


(でもあたしも、おトイレ行きたいかもぉ……)


 枕元のベルに視線を落とす。

 「用があったらいつでも呼んでくれ」と言われていた。

 けれど、彼らは大事な使命をしているのだ。

 邪魔をするのは申し訳なかった。

 ツムギは両手を握って、小さく気合を入れる。


「久々に……やるかぁ!」


 覆いを外したランタンを口にくわえ、四つん這いになる。

 そろそろと床を這い、トイレへ向かった。


「ほふほうはまぁ(ご苦労さまぁ)……」


 ゴミを拾っているハヤシガニたちとすれ違い、ランタンをくわえたまま、もごもごと挨拶する。

 カニはハサミをチキチキ鳴らした。

 無事にトイレに辿り着き、用を済ませる。

 ほっとして廊下に戻ると、ふと、宮殿の奥のほうで光が漏れているのが目に入った。


(なんだろう……)


 吸い寄せられるように、這ってそちらへ向かう。

 扉の前までやってきた、そのとき。

 空気がひやりとざわめいた。

 肌を撫でるような冷たい揺れに、思わず身体が震える。

 暗がりから、すらりとした白い影が現れた。


「……お前ですか」

「ほわぁっ!」


 思わずランタンが口から離れて声が出た。

 長い足に銀髪、薄青の瞳──

 ゼータだった。


「び、びっくりしたぁ……」

「こちらのセリフです。おかしな生き物が迷い込んだのかと思いました」


 四つん這いのツムギを見下ろす視線は冷ややかというか──少し引いている気もする。

 銀髪が月明かりに照らされて、眉をひそめる涼しげな美貌がいつもより際立って見えた。

 何をしているのかと問い詰められたので、事情を説明する。


「……そういう時は私か兄を呼んでください」

「はぁい。ごめんなさい」


 首をすくめて、気を取り直して尋ねる。


「ここ、綺麗だねぇ。何の場所?」

「──“始まりの海”。聖域です」

「あ……ここが?」


 ギルターが話していた、繁殖の儀式に使われる場所だ。


「んっと……ごめんなさい」

「別に謝るほどのことではありません。──部屋まで送ります」


 そう言うと、ゼータは膝をつきツムギを抱き上げようとした。


「えっ、自分で行けるよぉ!」


 ……と言ったものの、実は帰り道が怪しかった。

 普段ヤギ任せにしているつけだ。


「行き方、教えてくれたらねぇ……」

「私に這い回る化け物を先導しろと?」


 ゼータの目がいよいよ冷たくなる。


「観念しなさい」

「ほわっ!」


 あっさり軽々と持ち上げられてしまった。

 ギルターが力持ちなのは知っていたけれど、ゼータもそうらしい。


(さすがは竜人さまだねぇ……)


 ギルター以外の人に抱き上げられるのは、何となく落ち着かない。

 けれど暴れても仕方ないし、何より申し訳ない。

 できるだけ身を縮めて大人しくする。


 ゼータの体温はギルターより少し低かった。

 ランタンに照らされた横顔をちらりと見上げる。

 その端正な顔立ちは、やっぱり兄に似ていた。

 優しく笑ったら、もっと瓜二つなはずだ。


「……いつか見てみたいねぇ」

「なんです?」


 歩みを止めないまま、青い瞳がこちらを見下ろす。

 ツムギは素直に答えた。


「ゼータの笑ったところを見てみたいなって」

「……お前が、兄と生き物以外に興味を示すのは珍しいですね」


 少し意外そうな声だった。

 ツムギも驚いて言い返す。


「ゼータも生き物でしょ。すっごく綺麗な生き物」

「……そうとも言えますが」


 そんなやりとりをしているうちに、いつの間にか寝室に戻っていた。

 開いたままのドアをくぐり、ベッドへ下ろされる。

 その手つきはギルターと同じようにひどく丁寧で優しくて、くすぐたかった。


「ごめんねぇ。使命の途中だったよね?」

「……たまには私もサボります」


 そこへ、ヤギがとことこと部屋に入ってくる。

 銀髪の竜人の姿に、きょとんとした顔をした。

 ゼータは小さくため息をつく。


「二匹……いえ、二人とも。トイレは寝る前に済ませておくように」

「はぁい、お……」


 思わず「お母さん」と言いかけて、慌てて口をつむぐ。

 そんなことを言ったら絶対に怒られる。


「お……やすみなさい、ゼータ」

「……おやすみなさい」


 静かに扉が閉まる。

 ふうっと息を吐くと、ヤギが「大丈夫?」と言いたげに頭でつついてきた。


「大丈夫だよぉ、優しいねぇ。……みんな、優しいね」


 毛玉を撫でながらしみじみとつぶやく。


「助けてもらうのが、当たり前になっちゃいそう……」

「くぅーん?」


 みんな、優しい。

 だからこそ──

 迷惑をかけなくて済むようになりたかった。

 何もできない自分、役に立てない自分が、ただただ申し訳なかった。


 ……そんな思いで眠ったせいか、夢を見た。


 内容はよく覚えていない。

 けれど、心の底からの絶望感が胸に残っていた。

 ようやく手に入れたと思った幸福がニセモノだったと突きつけられ、泣き叫びながら消えていく。


「こんなはずじゃなかった……」


 夢の中で何度も叫んだ言葉を口に出すと、悪寒が襲ってきた。


     ✳︎✳︎✳︎


 熱を出してしまった。

 夜中に這い回ったせいかもしれない。

 環境が変わった疲れも溜まっていたのだろう。

 窓の外には珍しく雨が降っていた。


「くぅーん……」


 ベッドの上で寄り添うふわふわヤギを撫でる。

 黒髪の竜人は、自分が苦しそうな顔でこちらを見つめていた。


「ごめんな。無理させちまったな」

「ギルターのせいじゃないよぉ。迷惑かけてごめんなさい」

「迷惑なんかじゃないぜ」


 ギルターは首を横に力強く振る。


「ツムギが辛そうにしてるのは心苦しいけどな。でも、君のために看病できるのは嬉しいんだ」

「……なにそれぇ」


 ツムギは力なく笑った。

 ギルターがコップを差し出してくる。


「お水飲めるか? 口移ししようか?」

「自分で飲めるよぉ……」


 笑いながら体を起こして、ストローに口を付ける。

 額から落ちた氷枕をギルターが回収し、氷蛇のウスラギに冷やさせているのをぼんやりと眺めた。


「さぁ、寝よう。ちゃんと休まないとな」

「うん……」


 再び横たわると、ひんやりとした枕が額に乗せられる。

 頭を撫でる優しい手と隣の綿毛の感触に、微笑んで目を閉じた。


「おやすみ、ツムギ……」


     ✳︎✳︎✳︎


 熱にうなされているのか、再び悪夢に襲われた。


 今度は昔の夢──足を怪我したときの記憶だ。

 ツムギは崖の下で、一人で痛みに耐えていた。

 崖の上では妹がうずくまって、火がついたように泣いている。

 母の悲鳴が遠くから聞こえた。


(お母さん……!)


 ツムギは崖の下から心の中で叫ぶ。

 母はツムギに気づかない。


「イオリちゃん、どうしたの、大丈夫⁉︎」


(お母さん。あたし、ここにいるよ……!)


「イオリちゃん‼︎」


 ──お母さん。

 あたしを見て。

 あたしの名前を呼んで。

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