海上デート
「不老不死……⁉︎」
思わず素っ頓狂な声が出る。
歳を取らない。
死なない。
竜人さまが──ギルターとゼータが、そうだというのか。
「成体になるまでは、命を失う可能性がありますがね」
ゼータが付け加える。
(あれ、でも……)
ツムギは首を傾げる。
「ギルターが『俺より長く生きてくれ』って……」
ぽつりとつぶやくと、ゼータは頷いた。
「子を成した竜人は永遠の命を失います。人間のように老い、やがて死ぬ。──次の世代が生まれれば、晴れてお役御免というわけです」
ゼータは静かに目を伏せる。
「不老不死とは言っても──子を成さない個体は、いずれ孤独に耐え切れずに自我を失い、歌うだけの抜け殻になるんですけどね」
「えぇ、そんな……!」
ツムギは眉を寄せて叫ぶ。
それからちょっと考えて、慎重に問いかけた。
「……ゼータは、使命が嫌なの?」
「嫌とか好きとかですらないです。生まれる前から勝手に決められていることですから」
「……」
自分には想像もできない世界の話だ。
ツムギは自分一人のことすら満足にできないのに。
竜人は、他者の……しかも異種族のために、その生涯を捧げているのだ。
「……やっぱりすごいよ。あたしも何かできればいいのに」
「余計なことを考えなくても、お前は兄の子を成してくれれば十分です」
ゼータはきっぱりと言った。
「子どもさえ生まれれば、人間界に帰します。──お前の使命は永遠ではありませんよ」
「あ……そうだよねぇ。ありがとう……」
ツムギは手すりを掴んで立ち上がった。
──帰る。
そうだった。
最初にこの島へ来るときにも言われていた。
「子どもが生まれたら故郷に帰す」と。
ギルターたちに出会ってからあまりに幸せで。
幸せが、ここにいることが、当たり前になってきて。
すっかりそのことを忘れていた。
(帰る……この島を離れる……)
ミルゥと、ゼータと、──ギルターと、別れる。
✳︎✳︎✳︎
この島には時計もカレンダーもない。
ただただ、のんびりと優しい時間だけが流れている。
寝室に戻る気にはなれなくて、ツムギはヤギと海に出た。
蹄が踏むたび、砂粒が小さく光を放つ。
波打ち際では、カラフルな殻を背負った小さなヤドカリが列を作っていた。
ツムギはヤギから降りて、這いつくばってそれを眺める。
色とりどりの宿が光を透かし、飴玉みたいにきらきらと輝いていた。
「……綺麗だねぇ」
行列が去っていくのを見送って、砂浜に座り直す。
振り返ると、ヤギは木に足をかけて立ち上がり、三日月果をくわえてぶんぶん揺すっていた。
形はバナナにそっくりだけれど、金色に輝く果実だ。
房ごともいだそれを一本分けてもらって並んでもぐもぐしていると、キザで優しい声がした。
「ここにいたのか、俺の可愛い姫君」
黒髪の竜人が片手を上げて歩いてくる。
目を細めて笑う姿は、やっぱりどうしようもなくハンサムだ。
スタイルだって抜群で、村を歩いていたら女の子の人だかりができるだろう。
その子たちにキザな笑顔で対応するギルターを想像して、なにやら胸がモヤっとした。
それを隠して微笑みかける。
「お使い終わったの? お疲れさまぁ!」
「おう。一人にしてごめんな」
「一人じゃないよぉ」
「プスー」
ツムギが残した三日月果の皮を食べる綿毛をぽんぽんと叩く。
ギルターは「そうだったな」と笑い、隣に腰を下ろした。
それから急に真顔になって、こちらをじっと見つめてくる。
「……元気ないか?」
「えっ?」
思わずギルターを見返す。
……しまった。
これでは図星だと白状したようなものだ。
ギルターは青い瞳を揺らめかせている。
「何か、悩み事か?」
「んーと……」
言葉に詰まる。
「帰りたくなくて落ち込んでる」なんて自分勝手なことを言いたくなかった。
うつむいていると、しばらくしてギルターが高らかに言う。
「よっしゃ。今日は海に入ろうぜ!」
「えっ?」
「なんかすごい泳ぎたい気分なんだ。付き合ってくれよ!」
唐突な提案に目をぱちくりさせるツムギを、ギルターは抱き上げる。
横向きにヤギに乗せると、足元に跪いて靴を脱がせはじめた。
「んもぅ……自分でできるって言ってるのにぃ」
いつもの抗議に、ギルターは楽しげに笑う。
「ゼータの趣味が料理なら、俺の趣味はお姫さまのお世話だからな」
「何それぇ……」
足の傷に何か言われるかと思ったけれど、ギルターは何も言わなかった。
靴を脱がせ終え、ヤギにまたがる形にツムギを乗せ直す。
「よっしゃ、行くぞミルゥ!」
「ほわぁっ!」
合図と同時に、ヤギは水しぶきを上げて駆け出す。
ツムギの足が海水に浸かった。
──あたたかい。
南国の陽光が海底にまで届いている。
ツムギはきょろきょろと海中を見渡す。
「あのクラゲさんたちは隠れてるのかな……?」
「いや、昼間はいないんだ。真夜中近くなると人間界から流れてきてな、日が昇ると帰っていく」
「そうなんだ……」
救ってほしくて、毎晩はるばるやってくるのだろうか。
自分も……ギルターの子どもを産んだ後。
村に帰って孤独に人生を終えたとしても──光るクラゲになって、再びこの島に、ギルターの元に戻ってこられるのだ。
そう思うと、少し心が軽くなった気がした。
それを知ってか知らずか、ギルターは明るく声を上げる。
「深いほうまで行ってみようぜ! ミルゥは浮くから大丈夫だぞ。そのための綿毛だからな」
「あ、そうだったんだぁ」
暖かい島なのに、どうしてモコモコの生き物がいるのかと不思議に思っていたのだ。
防寒ではなくて、空気を良く含む浮き具だったらしい。
「もともと島を渡り歩く……じゃないか、渡り泳ぐヤギでさ……」
ギルターの解説を受けながら、ふわふわヤギはツムギを乗せて水をかいて進んでいく。
「食いしん坊なやつらだからな、色んな島を食べ歩き……いや、食べ泳ぎ……?」
竜人は熱心に説明しながらも、服を着たまま、すいすい泳いでいた。
そこへ、どこからか「ぽぉぉ……」と柔らかな音が響く。
影が水面下を滑るように近づいてきた。
三匹の、桃色の肌の海獣だ。
ツムギは目を輝かせる。
「可愛いねぇ! ジュゴンみたい!」
「“ナギウモ”だ。この海の古い住人だぜ」
「ナギウモちゃん……」
もちろん初めて聞く名前だ。
けれど。
幼い頃の記憶が再び立ち上った。
「この子たち、会ったことあるかも……」
「……へえ」
「本人……かはわかんないけど。ジュゴンと遊んだことがあるの。ナギウモちゃんだったのかも」
「確かにこいつら、たまに人間界で遊んでるぜ」
ギルターの言葉に、はっと思い当たる。
「じゃあ……あのアシカさんも、アシカじゃなくてここの生き物だったのかぁ」
アシカはあの海には生息していないはずだし、図鑑の姿とも少し違っていて、なんか変だなと思っていたのだった。
「アシカがどんなのか知らないけど、そうかもな」
「図鑑、やっぱり持ってくればよかったなぁ」
話に夢中になっていると、ナギウモの一匹がツムギを鼻先でそっと押してきた。
「お姫さまと仲良くなりたいってさ」
「あらぁ」
ツムギはニコニコして、そっと腕を伸ばして頭を撫でる。
とても柔らかく温かい。
おでこの端っこにはバッテンの小さな傷があった。
「怖くなかったら、一緒に泳ぐか?」
「えっ、いいの?」
「ナギウモは人間と遊ぶのが好きなんだぜ。優しい人間にしか近づかないけどな」
ギルターに支えられながら、ヤギの上から移動する。
ツムギを乗せたナギウモが、ゆったりと泳ぎ出す。
振り返ると、ヤギは休憩しているのか、ぷかりと浮かびながら岸へ流されていく。
それに笑顔で手を振り、前を向いた。
髪に風が触れ、足元をくすぐって水流が走る。
ギルターもすぐ隣で泳いでいた。
青い瞳が陽光に揺れて、まばゆい輝きを放っている。
……ミルゥも、ナギウモちゃんも、海も。
みんな綺麗だけれど。
(あなたが、いちばん綺麗……)
そんな、自分らしくない言葉がふっと浮かんだ。
ゆっくりと沖の岩を一周してから浜辺へと戻る。
ふわふわヤギは波打ち際で海藻を食んでいた。
「おっ、いいもん食ってんな」
ギルターが笑いながら、ツムギをナギウモの背から砂浜に降ろす。
海獣たちも海藻を食べ始めた。
プチプチと可愛らしい音がする。
「人間が食っても美味いんだぜ。──どうぞ、海のプリンセス」
ギルターがツムギの口元に海藻を差し出す。
ツムギは照れながら、濡れた髪を耳にかけて口を開ける。
海藻は口の中で甘く弾けた。
✳︎✳︎✳︎
ふわふわヤギが、ぶるぶるっと身震いして水を払った。
飛び散った水滴が、陽の光を受けてきらきらと輝く。
見上げると、太陽はすでに高く昇っている。
……心もすっかり晴れていた。
(どうにもできないことを考えてても、仕方ないよねぇ)
竜人の花嫁。
もともと、降って湧いた幸運だったのだ。
それに味をしめて永遠にしようだなんて、虫が良すぎる。
それよりも、この奇跡のような一日一日を大切に過ごしたい。
いつか村に帰る時、輝く思い出を持って、胸を張って戻れるように。
(……竜人さまの悪評も、訂正しなくちゃいけないしねぇ)
ナギウモたちに手を振って別れ、宮殿に戻る。
入り口脇に張り付いている“モチウミ”をぷにっと押した。
淡い青色の水饅頭みたいな生き物で、つつくと真水を吐き出してくれるのだ。
熱くも冷たすぎもしない、ちょうどいい温度の水をたっぷり浴びる。
(水も滴る、いい竜人さまだぁ……)
隣で髪をかきあげるギルターの姿に、心の中で何回もシャッターを切った。
「昼食ですよ」
宮殿に入ると、銀髪の竜人が短く告げて引っ込んでいった。
ツムギを乗せたヤギが、喜び勇んでそれを追いかける。
「よっしゃ、食堂までみんなで競争だ!」
「ちょっと、私を巻き込まないでくださいよ!」
どうか、ここを去るその日まで、この温かな輪の中で、みなと笑っていられますように。
ゼータの呆れ顔の前で、ツムギはギルターが広げる腕の中にヤギごと飛び込んだ。




