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お嬢様の初めての休日


神代家の朝は早い。


午前六時。


屋敷全体が静かに動き始める。


使用人たちはそれぞれの仕事を始め、庭師は庭の手入れをし、料理人は朝食の準備をする。


そして。


俺――黒崎蓮は。


「……」


時計を見る。


午前六時三十分。


いつもなら玲奈を起こしに行く時間だ。


だが。


今日は違う。


「今日は起こさなくていいのですか?」


メイド長の小鳥遊さんが尋ねる。


「はい」


「珍しいですね」


「玲奈さんは昨日、遅くまで起きていましたから」


小鳥遊さんは少し驚いた顔をした。


「黒崎様」


「はい?」


「以前の専属執事の方々は、玲奈お嬢様の予定を優先するばかりでした」


「……」


「でも、あなたは違いますね」


俺は首を傾げる。


「そうでしょうか」


「はい」


小鳥遊さんは微笑んだ。


「お嬢様を一人の人間として見ています」


その言葉に。


俺は少し黙った。


確かに。


最初は仕事だった。


契約だった。


神代家という巨大な家に仕える。


それだけのつもりだった。


でも。


今は違う。


玲奈が笑えば安心する。


玲奈が苦しそうなら気になる。


それはもう。


ただの仕事ではなかった。



午前九時。


「……」


玲奈の部屋の前。


俺はノックをする。


「玲奈さん」


返事がない。


もう一度。


「玲奈さん」


すると。


「……入って」


少し眠そうな声。


部屋へ入ると。


玲奈は布団に包まったままこちらを見た。


「おはようございます」


「……おはよう」


「よく眠れましたか?」


「うん」


玲奈は小さく伸びをする。


「こんな時間まで寝たの久しぶり」


「それは良かったです」


「でも」


「はい?」


「起こしに来なかったね」


「はい」


「なんで?」


俺は答える。


「休日だからです」


玲奈は目を丸くした。


「休日?」


「はい」


「私に?」


「玲奈さんにも必要です」


「……」


玲奈は少し不思議そうな顔をした。


「私、休んでいいの?」


その言葉。


少し寂しく聞こえた。


「もちろんです」


「でも、みんなは」


「神代家のお嬢様だから、と言うでしょうね」


玲奈は黙る。


「ですが」


俺は続けた。


「玲奈さんは神代家の人間である前に、一人の女の子です」


「……」


「休む権利があります」


しばらく沈黙。


そして。


「蓮」


「はい」


「今日」


「はい」


「外に行きたい」


突然の言葉だった。


「外?」


「うん」


「どちらへ?」


玲奈は少し困った顔をする。


「分からない」


「……」


「普通の女の子って、休日何するの?」


俺は少し考える。


「買い物をしたり」


「うん」


「カフェに行ったり」


「うん」


「映画を見たり」


「……」


玲奈は目を輝かせた。


「それ」


「はい」


「全部したい」



数時間後。


俺たちは街へ出ていた。


もちろん護衛はいる。


神代家の娘だ。


完全に一人で歩くことは難しい。


しかし。


玲奈は今日。


初めて普通の服を着ていた。


高級ブランドではない。


普通のワンピース。


それだけで。


彼女の雰囲気は大きく変わっていた。


「どう?」


玲奈が尋ねる。


「何がですか?」


「変じゃない?」


俺は首を振った。


「似合っています」


「本当に?」


「はい」


「お嬢様っぽくない?」


「はい」


玲奈は少し不満そうな顔をする。


「それ褒めてる?」


「もちろんです」


「ならいい」


そう言って笑った。


最初に入ったのは小さなカフェだった。


玲奈はメニューを真剣に見ている。


「どうしました?」


「選べない」


「いつもの紅茶では?」


「今日は違うものがいい」


「では」


俺はメニューを見る。


「この季節限定のケーキはいかがですか?」


「蓮は?」


「私はコーヒーです」


「じゃあそれ」


「はい?」


「同じケーキ」


「なぜですか?」


玲奈は少し恥ずかしそうに言った。


「同じもの食べた方が楽しいから」


「……」


「嫌?」


「いえ」


俺は微笑む。


「では、同じものを」


ケーキが届く。


玲奈は一口食べる。


そして。


目を見開いた。


「……美味しい」


「良かったです」


「こんなの初めて」


「ケーキですか?」


「違う」


玲奈は首を振る。


「こういう時間」


その言葉に。


俺は何も言えなかった。



帰り道。


夕方の街。


玲奈は楽しそうに歩いていた。


「蓮」


「はい」


「今日、楽しかった」


「それは良かったです」


「また行きたい」


「もちろんです」


「約束」


「はい」


玲奈は小指を出した。


「え?」


「約束する時はこうするんでしょ?」


「ああ……」


普通の女の子なら知っていること。


しかし。


玲奈は知らなかった。


俺は少し笑って。


小指を絡める。


「約束します」


玲奈は嬉しそうに笑った。


その瞬間。


少し離れた場所から。


カメラのシャッター音が聞こえた。


「……」


俺は振り返る。


だが。


そこには誰もいない。


気のせいか?


いや。


違う。


執事として。


俺は何度も危険な場面を経験してきた。


あの視線。


あの気配。


明らかに。


誰かが玲奈を見ていた。


屋敷へ戻る。


すると。


玄関前で一人の男が待っていた。


黒いスーツ。


神代家の関係者ではない。


「あなたが黒崎蓮さんですね」


男は笑う。


「初めまして」


「どちら様ですか?」


男は名刺を差し出した。


そこには。


神代家と敵対する企業の名前が書かれていた。


「少し、お話があります」


俺は玲奈を背後に隠す。


「申し訳ありません」


「何でしょう?」


「玲奈さんに近づく許可はありません」


男の笑みが消える。


「……なるほど」


「ただの執事ではないようですね」


風が吹く。


夕暮れの庭。


俺は静かに構えた。


玲奈が不安そうに俺を見る。


「蓮……」


俺は振り返らずに言う。


「大丈夫です」


「あなたは」


「私が守ります」


その瞬間。


新しい執事生活は。


ただの日常ではなくなった。

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