新たな敵
「神代家の敵は……俺一人じゃない。」
その言葉を残し、男は警察車両へ乗せられていった。
パトカーの赤色灯が夜の屋敷を照らしながら遠ざかっていく。
その場に残された俺たちは、誰一人として安心した表情を浮かべていなかった。
「黒崎君。」
藤堂が静かに口を開く。
「彼の最後の言葉。」
「ええ。」
「嘘ではありません。」
俺も同じ考えだった。
あの男は負け惜しみを言うような人間ではない。
最後まで余裕があった。
つまり――。
「まだ終わっていない。」
◇
翌朝。
玲奈は珍しく寝坊していた。
昨日の事件で精神的にも疲れていたのだろう。
「起こさなくていいですか?」
小鳥遊が尋ねる。
「今日は学校を休ませます。」
「承知しました。」
俺は静かに玲奈の部屋を見つめる。
守ると約束した。
ならば。
まずは休ませることも執事の仕事だ。
◇
午前十時。
書斎。
神代宗一郎、藤堂、俺。
三人だけの会議が始まっていた。
机の上には今回の事件資料が並んでいる。
「犯人は口を割らないそうです。」
藤堂が報告する。
宗一郎は腕を組んだまま目を閉じる。
「想定内だ。」
「ですが。」
俺は一枚の資料を机へ置く。
「一つだけ気になることがあります。」
「何だ。」
「侵入経路です。」
屋敷の見取り図を広げる。
「北棟の窓から侵入しています。」
「警備システムは?」
「一時的に停止していました。」
宗一郎の目が鋭くなる。
「外部からハッキングされた可能性は?」
「ありません。」
俺は首を振る。
「内部ネットワークだけが停止しています。」
「つまり。」
「屋敷の人間しか操作できません。」
沈黙が流れた。
やはり。
内通者がいる。
◇
その頃。
玲奈は一人で庭を歩いていた。
「はぁ……。」
昨日のことを思い出す。
蓮が戦っていた姿。
自分は何もできなかったこと。
「悔しい。」
ぽつりと漏れる。
その時。
「玲奈。」
振り返る。
宗一郎だった。
「父さん。」
宗一郎は娘の隣へ立つ。
「昨日は怖かったな。」
「……うん。」
「すまなかった。」
玲奈は驚いた。
「え?」
「父親として。」
「お前を危険な目に遭わせた。」
玲奈は少し笑った。
「違うよ。」
「?」
「昨日ね。」
「蓮が言ってた。」
宗一郎は娘を見る。
「『一人で戦う必要はありません』って。」
「……。」
「だから。」
玲奈は父へ手を伸ばした。
「父さんも一人で抱え込まないで。」
宗一郎は何も言えなかった。
ただ。
娘の頭をそっと撫でた。
それは玲奈が幼い頃以来のことだった。
◇
夕方。
俺は警備室で監視映像を確認していた。
すると。
一人の警備員が慌てて飛び込んできた。
「黒崎さん!」
「どうしました?」
「宅配便です。」
「宅配?」
「差出人不明。」
嫌な予感がした。
玄関へ向かう。
そこには小さな木箱が置かれていた。
送り主は書かれていない。
「触るな。」
俺は警備員を止める。
慎重に箱を確認する。
爆発物反応なし。
毒物反応なし。
ゆっくり蓋を開ける。
中に入っていたのは――
一輪の白いユリ。
そして。
一枚のカード。
俺は読み上げる。
「『次は失敗しない。』」
玲奈が青ざめる。
「これ……。」
宗一郎の拳が震えた。
「宣戦布告か。」
その時。
カードの裏に小さく文字があることに気付いた。
俺は裏返す。
そこには一行だけ。
『黒崎誠は二度負ける。』
「……。」
怒りよりも先に。
冷たいものが背中を走った。
これは。
父への挑戦状でもあった。
「蓮。」
玲奈が俺の袖を握る。
「大丈夫?」
俺は深呼吸した。
「はい。」
そう答えたが。
心は全く落ち着いていなかった。
父の名前を知る者。
十年前の事件を知る者。
まだどこかにいる。
そして。
俺たちを見ている。
◇
その夜。
神代家から数キロ離れた廃ビル。
暗い部屋に数人の男女が集まっていた。
中央の椅子には、一人の女性が座っている。
長い黒髪。
切れ長の瞳。
年齢は三十歳前後。
「失敗しました。」
部下が頭を下げる。
女性は静かに紅茶を飲む。
「構いません。」
「ですが。」
「彼が想像以上だっただけ。」
女性は一枚の写真を机へ置く。
そこには。
黒崎蓮が玲奈を守るように立つ姿が映っていた。
「親子ね。」
女性は微笑む。
「本当によく似ている。」
部下が尋ねる。
「次はどうしますか。」
女性はゆっくり立ち上がった。
「私が行く。」
部屋の空気が変わる。
全員が息を呑む。
「十年前。」
「黒崎誠に邪魔された。」
女性は写真を見つめる。
「なら今度は。」
「その息子を私が壊す。」
窓の外では雷が鳴り始めていた。
新たな敵は、ついに自ら動き出そうとしていた。




