黒崎家の秘密
雨が降っていた。
神代家の庭園に、静かな雨音だけが響く。
俺は執事室の窓から外を眺めていた。
机の上には、あのカード。
『黒崎誠は二度負ける。』
その文字が頭から離れない。
父は一度、負けたのか。
それとも。
誰かに負けさせられたのか。
「蓮」
振り返る。
玲奈だった。
「まだ起きていたの?」
「玲奈さんこそ。」
「眠れなくて。」
最近。
この会話が増えた気がする。
以前の玲奈なら、一人で抱えていた。
でも今は。
誰かに頼ることを覚え始めている。
「何を見ているの?」
玲奈が机を見る。
「父の資料です。」
「……」
玲奈の表情が少し曇る。
「ごめん。」
「なぜ謝るんですか?」
「私のせいで。」
「またそれですか。」
俺は少し笑った。
「玲奈さん。」
「はい。」
「父はきっと怒ります。」
「え?」
「あなたが自分を責めたら。」
玲奈は黙る。
「父は玲奈さんを守った。」
「でも。」
「玲奈さんに罪を背負わせるためではありません。」
雨音だけが響く。
しばらくして。
玲奈は小さく言った。
「蓮のお父さんって。」
「優しい人だったんだね。」
「はい。」
「会いたかったな。」
その言葉に。
胸が少し温かくなった。
◇
翌日。
神代家の会議室。
宗一郎が全員を集めていた。
「話がある。」
使用人たちが緊張する。
「今回の事件。」
「そして十年前の事件。」
宗一郎は一枚の写真を置いた。
そこには若い頃の黒崎誠。
「これまで隠していたことを話す。」
俺は黙って聞く。
「黒崎誠は。」
「私の執事だっただけではない。」
「神代家の秘密を守る役目も担っていた。」
「秘密?」
宗一郎は頷く。
「神代家には代々受け継がれてきた資料がある。」
「企業情報ですか?」
「違う。」
宗一郎は首を振った。
「神代家が築かれた本当の理由だ。」
部屋の空気が変わる。
「百年前。」
「神代家は一つの研究に関わっていた。」
「研究?」
「人間の記憶と感情に関する研究だ。」
俺は眉をひそめる。
「そんなものが……。」
「表向きは医療研究。」
「しかし。」
宗一郎の声が低くなる。
「一部の人間が目的を変えた。」
「人を操る技術へ。」
玲奈が不安そうに聞く。
「父さん。」
「その研究と今回の事件は関係あるの?」
宗一郎は答える。
「ある。」
「今回の敵は。」
「その研究を復活させようとしている。」
◇
会議後。
俺は藤堂と資料室へ向かった。
「黒崎君。」
「はい。」
「君には伝えておくべきことがあります。」
藤堂は古い箱を取り出す。
中には。
父の手帳。
「これは……。」
「黒崎誠様の最後の日記です。」
手が止まる。
「なぜ今まで。」
「誠様から預かっていました。」
「いつか必要になる時まで、と。」
俺は震える手で手帳を開いた。
最初のページ。
父の字。
『もし、この手帳を蓮が読む日が来たなら。』
息が止まる。
『私はもう君の側にはいないだろう。』
「……父さん。」
ページをめくる。
『蓮。』
『お前に伝えたいことがある。』
『執事とは、主人の命令を聞くだけの存在ではない。』
『本当に守るべきものを、自分で決める者だ。』
涙が出そうになった。
『もし玲奈が危険に巻き込まれているなら。』
『迷うな。』
『守れ。』
『ただし。』
次の文字を見た瞬間。
俺は固まった。
『復讐するな。』
『怒りに飲まれれば、お前は私と同じ失敗をする。』
「……。」
父は。
最後まで俺のことを考えていた。
◇
その夜。
俺は庭で一人立っていた。
「蓮。」
玲奈の声。
「また一人でいる。」
「考え事です。」
「分かってる。」
玲奈は隣に立つ。
「ねえ。」
「はい。」
「私、強くなる。」
突然の言葉。
「玲奈さん?」
「いつまでも守られるだけは嫌。」
「……」
「蓮が戦うなら。」
「私も一緒に戦いたい。」
俺は首を振る。
「危険です。」
「分かってる。」
「ですが。」
「蓮。」
玲奈は俺を見る。
「あなたが一人で傷つく方が嫌。」
その言葉に。
返す言葉がなかった。
玲奈はもう。
昔の守られるだけの少女ではない。
「分かりました。」
「本当?」
「ただし条件があります。」
「何?」
「絶対に無茶をしないこと。」
玲奈は笑う。
「蓮もね。」
「……。」
「約束。」
そう言って小指を出す。
俺は少し笑った。
「またですか。」
「大事だから。」
小指を絡める。
「約束します。」
◇
その頃。
都内の高級ホテル。
黒髪の女性が窓辺に立っていた。
「黒崎蓮。」
写真を見つめる。
「あなたは父親より優しい。」
「だからこそ。」
女性は笑う。
「壊しやすい。」
背後から部下が尋ねる。
「次の作戦は?」
女性は振り返る。
「神代玲奈を狙う。」
「そして。」
「黒崎蓮に選ばせる。」
「何をですか?」
女性は静かに答えた。
「主人を守るか。」
「父親の仇を追うか。」
「どちらか一つしか選べない状況を作る。」
窓の外で雷が光る。
運命の選択が。
少しずつ近づいていた。




