第42話「食欲の魔女に和朝食を作ったら泣かされた話」
私はカーテンの隙間から差し込む朝の淡い光で目を覚ました。まだ明け方で、部屋の中は薄暗い。
背伸びをしてベッドからゆっくりと体を起こす。
壁際に目を向けると、セラが壁にもたれたままうなだれていた。
私は立ち上がると掛布団を手に持ち、セラの体にかける。
「ありがとう」
ドアノブに手をかけて、扉を開ける。
ガツンッ! と金髪ゴリラの膝が引っかかって扉が開かない。
私は金髪ゴリラを見下ろすと、体に意識を集中した。
紫色に輝く腕でセラを抱きかかえ、自分のベッドに寝かせた。
小さく息を吐くと、紫色の光は霧散し、私は自室を後にし、キッチンへ向かった。
————
私はカメラを起動し、配信ボタンを押すと、髪を束ね、手を洗う。
包丁を手元で小さく二回転させる。
——今日は和朝食でいいかな。タマネギとわかめの味噌汁が食べたい。
タマネギの皮をむき、トトトトンッとスライスする。
片手鍋に水を入れて、事前に備蓄してある和出汁を加えてタマネギを入れると火にかける。
グリルも同時に火をつけておく。
もう一つ、鍋を取り出し水をたっぷり入れお湯を沸かす。
私は冷蔵庫からほうれん草と鮭を、ストッカーから乾燥わかめも取り出した。
ボウルにぬるま湯を入れて乾燥わかめをこれでもかという量入れる。
ほうれん草は土を落とすように水で洗い、水を切る。
グリルがチリチリといい始めたら一度火を止めてキッチンペーパーで網に油を塗る。
鮭をバットに並べて岩塩をガリガリガリガリっとミルで引き、全体に振りかけると網の上に並べる。
ジュっ、ジュっ、ジュっ、ジュっと鮭を並べる度に返事をするような音と魚の焼ける香ばしい匂いがする。
グリルを閉めて五分ほど待つ。
待つ間にぐつぐつと煮える音を聞きながら、室内に広がる和出汁の香りを吸い込む。一度火を止める。
隣の鍋もお湯が沸いたので塩を全体に振り入れ、ほうれん草を根元から入れてしんなりしたらしばらく火を通す。
私は菜箸でほうれん草を持ち上げると、すぐに冷水を張ったボウルへ落とす。
ザバッと水の中でほぐし、熱が抜けたところで根元を揃える。
両手でぎゅっ、ぎゅっと水気を絞り、まな板の上に置いた。
トン、トン、トン、トン。
四センチほどの長さに切り揃え、小さなボウルへ移す。
醤油をひと回し。和出汁も少し。
菜箸でさっ、さっと和えてから、味を馴染ませるようにそのまま置いておく。
——鰹節、最後に乗せよう。
ぬるま湯に浸していたわかめは、いつの間にかボウルいっぱいに増殖していた。
「……入れすぎたな」
——まあいい。わかめはいくらあっても困らない。
ざるにあけて水気を切り、食べやすい大きさにざくざくと包丁を入れる。
さっき火を止めた片手鍋の蓋を開けると、半透明になったタマネギが和出汁の中でゆらゆらと揺れていた。
菜箸で一枚つまんで口に入れる。
——うん、柔らかくて甘い。
わかめを鍋へ投入する。
ふわっと深い緑色が広がり、白っぽいタマネギとの色合いが一気に味噌汁らしくなる。
火はつけないまま、お玉に味噌を取る。
菜箸で少しずつ溶かしながら、出汁へ沈めていく。
くるり、くるり。
茶色がかった味噌が細い筋になって広がり、澄んでいた出汁がゆっくり濁っていく。
全部溶けたところで味見。
「……もうちょっと」
味噌を少しだけ追加。
もう一度溶かして、ひと口。
——よし。いい塩梅だ。
そこで弱火をつけ、沸騰する直前で止める。
「味噌汁はぐらぐら煮立たせない。香りが逃げる」
ちょうどそのとき、グリルの中からパチッ、パチッと脂の爆ぜる音が聞こえてきた。
私はグリルを開ける。
熱気と一緒に、鮭の脂と焼けた皮の香ばしい匂いがぶわっと顔に当たった。
「おお」
表面にはうっすら焼き色。
皮はところどころぱりっと縮み、身から透明な脂がじわじわ浮いている。
菜箸でひっくり返す。
ジュワッ。
網に触れた反対側が、また大きな音を立てた。
グリルを閉じて、もう少し。
その間に食器棚を開ける。
平たい皿を二枚。
小鉢。
味噌汁用のお椀。
それから茶碗。
お盆へ順番に並べていく。
炊飯器の蓋を開ける。
プシュッと湯気が上がった。
炊きたての米の甘い香り。
しゃもじを縦に入れて、底からふわっと持ち上げるように全体をほぐす。
一粒一粒を潰さないように、さっ、さっと。
茶碗へよそう。
こんもり。
真っ白なご飯から、まだ湯気が細く立ち上っている。
——朝はこれだけで勝ちだな。
ほうれん草のお浸しを小鉢へ盛る。
箸で高さを出すように整えて、その上から鰹節をぱらぱら。
最後に醤油をほんの数滴。
鰹節がふわっと踊った。
グリルをもう一度開ける。
鮭の表面にはこんがりと焼き色がつき、皮の端がぱりぱりになっている。
菜箸で軽く押してみる。
身がふっくらと押し返してくる。
「はい、完成」
皿へ移す。
ジュッとまだ小さな音を立てながら、鮭から脂が滲む。
皮目を上に。
焼き色が一番きれいに見える向きへ少しだけ角度を直す。
最後に味噌汁。
お玉を鍋の底からゆっくり持ち上げる。
とろりと甘く煮えたタマネギ。
あふれんばかりのわかめ。
それをお椀へたっぷり注ぐ。
味噌と和出汁の香りが、焼き鮭の匂いと混ざった。
私は両手を腰に当て、一歩下がってテーブルを見る。
白いご飯。
タマネギとわかめの味噌汁。
鮭の塩焼き。
ほうれん草のお浸し。
派手なものは何もない。
だけど、こういうのでいい。
——いや。
こういうのがいい。
私は配信用のカメラを料理へ向ける。
「はい。今日の朝ご飯ができました」
湯気の立つ味噌汁を少し近くへ。
次に鮭。
箸で皮を軽く押すと、パリッと小気味いい音がした。
「タマネギとわかめの味噌汁。ほうれん草のお浸し。鮭の塩焼き。それと炊きたてご飯」
カメラを引く。
四品が画面の中に収まる。
私はキッチンの隣にあるテーブルに腰かけると手を合わせた。
「いただきます」
私は鮭を割り、口に運ぶ。岩塩の塩気と、鮭の甘味が口の中に広がる。
ご飯を口に運ぶ。
——毎朝、こういうご飯を食べてたけど。こんなにおいしいって思って食べてたかな……
廊下の方から物音が聞こえた。
「おはようツッコ、今日も早いね」
エスルスがネグリジェ姿のまま、目をこすり茶碗を手に取りご飯をよそう。味噌汁を注ぐと私の隣に腰かけた。
「今日も会社だからね」
私は味噌汁に口をつけた。タマネギの甘さとわかめのコリコリとした食感がいいな。
「毎日大変だね。無理はするんじゃないよ?」
エスルスは、味噌汁を一口飲むと顔を机にくっつけるほど体を曲げた。
「わかってるよ。あと、これ一応配信してる。その恰好、際どいから、映り込み気を付けてね?」
私はほうれん草のお浸しを口に含む。
「そうかい、まあたまにはこうしてキミとゆっくりご飯を食べるのもいいかもね」
エスルスは白米を箸でつまむと口に運んで咀嚼した。
「エスルス……」
私は箸をおき、エスルスの方を見つめた。
「ん? なんだい、ツッコ?」
エスルスは気にも留めず、鮭とお浸しを交互に口へ運んでいる。
「私のところに来てくれてありがとう。これからもよろしくね」
私は少し目を伏せて、ようやく言葉にした。
「フフフ。何を言ってるんだいツッコ。前にも言っただろ?」
エスルスは手を止め、私の方を向くと、私の手を握った。
「うん?」
私は手を握り返した。
「ボクはキミがおいしいものを食べさせてくれる限りキミを導くよ」
エスルスは私の顔を見つめ小さく微笑んだ。
「そっか……ありがとう」
私は天井を見つめ、あふれそうな涙をこらえていた。
こらえきれなかった一滴が頬を伝い、そのまま味噌汁へ落ちた。




