第34話「食欲の魔女が家の庭にゴリランカーを建造した話」
わっちの目の前に蒼白く光る岩のような拳が迫っていた。ゆっくりゆっくりと。
——あ、だめだ。こりゃ死んじまったな。
目をつぶる暇もなく、拳が自分の顔に触れると思った瞬間。
頬をかすめるように急速に左にそれた。その拳は轟音を放ち、わっちはかすっただけだったはずなのに、拳が作り出した突風で数mほど吹き飛ばされた。
何とか受け身を取ったが、勢いに流され、膝をついた。
——口の中が痛ぇ……
わっちの頬からは血が垂れていた。同じように唇からも血があふれる。奥歯が折れていた。
口の中の奥歯を吐き出すと前を向いた。
旦那がセラの腕を蹴り上げていた。背中にはツッコを背負ったままだ。
その体は金色に輝き、その光の濃さは周囲の景色が揺らぐほどの勢いだった。
「おいおい! てめぇ、俺の可愛い妹分に何やっちゃってくれてんでぃ、このすっとこどっこいがぁ!」旦那は体を後方にひねると、思い切りセラの腹に向かって右足を振り上げ蹴りを放つ。
「あぁん? そりゃあ、こっちのセリフだ! アタイの妹分を気絶させた挙句に、お持ち帰りしようってのはどういう了見だぁ!」セラは旦那の足を払うと、旦那が背中に担いでいたツッコを引きはがした。
「おいおい……ツッコはおもちゃじゃねーんだから無理やり引きはがすんじゃねえよ!」旦那は足を引くと地面を踏みしめた。
「何だって……? 今なんつったテメェ……」セラはツッコをエスルスに渡す。無言でエスルスはツッコに触れるとツッコはふわふわ浮き始めた。
——あー……わっちは街中をあれで運ばれたんだったなぁ……
「おいおい、急にどうしたんだ? 『無理やり引きはがすな』っていったんだろうがよい」旦那は眉をひそめ、怪訝そうにセラを見つめた。
「テメェ……変態野郎のくせに『俺たちの仲を裂くな』だと?」セラの体から蒼白い光が滲み出す。徐々に光が強くなり、刺すように輝き始めた。
「おいおい、そんなこと一言もいってねぇだろうがよい」旦那は両腕を軽く横に開くと、両手首を後ろに返した。
「おい、知ってるか……? そういう勘違いクズ野郎はな……」セラの全身を包んでいた蒼白い光が拳に集まる。稲光のような閃光を放ちながら、バチバチと音を立てた。
「ストーカーっていうんだぜぇッ!」セラが拳を大きく振りかぶる。
「おいおい……さっきから好き勝手言ってくれんじゃねぇかよぉ」旦那の金色の闘気がさらに膨れ上がる。
蒼白と金色。
二つの光が夜道を照らした。
——ヤバい。この二人、本気でやるつもりだ。
わっちは口の中に残った血を吐き捨てた。
「上等だぁ! 変態ストーカー野郎!」セラが腰を落とすと地面が沈む。
「おいおい、誰がストーカーだ、この金髪ゴリ……」旦那が拳を握りこんだ。
「ツッコラーA君、即オチ、いい加減にするんだよ」エスルスがおもむろにセラの背中に触れる。
「おわッ!?」セラは両足を踏ん張った状態で宙に浮かんだ。
「ツッコが気絶してるんだ。早く帰って介抱しないと晩御飯が食べられないだろう?」エスルスは左手の指をくるくる回す。セラはその動きと同じようにぐるぐると回っていた。両足を地面を踏みしめていたのと同じ態勢で。
——わっちはまだ体を丸めた格好だったからましだったんだなぁ……
「おいおい、ちゃんと鎖でつないでおいてくれよぃ」旦那は両手を下ろすと、ズボンに付いた土埃を払う。
「あと、ツッコラーAって呼ぶのはやめてくれよぉ」旦那は細い目でエスルスを見つめていた。
「おや、すまないね。スクワライド君。家に着いたらきついお仕置きをしておくよ」エスルスはさらに指を回す。どんどん指は加速していた。
「ちょっと! 食欲の魔女! やめろ! こら! おろせ!」セラは指の動きに合わせぐるぐると高速で回転する。∞を象るようにぐるぐる回り始めた。
「じゃあ、ボクはツッコを運んで、ごはんにするから。LOVE美さん、スクワライド君、気を付けて帰るんだよ?」エスルスは指を上下に振り始めた。セラはさかさまの状態で足を踏ん張った態勢のまま地面に頭から打ち付けられる。
「コラッ!」 「やめろ!」何度も。何度も打ち付けられる。セラの拳から蒼白い光が霧散した。
「地面にッ!」 「当たってるだろッ!」何度も。何度も打ち付けられる。セラの体を包み込んだ青白い光も霧散した。
セラの表情は徐々に恍惚としたものに変わっていった。
『ヤダッ♡』『何コレッ♡』『体が勝手にィッ♡』
汚い嬌声が夜道に響く。
わっちと旦那は月明かりに照らされ、上下に揺れながら嬌声をあげる金髪ゴリラと、喜々として指揮者のように上下に指を振る銀髪の魔女、意識を失ったまま中空を運ばれる限界OLを見つめていた。苦笑いを浮かべたまま。
————
私はゆっくりと目を開ける。
——周りが暗い……ふわふわするし何が起きちゃったの? もしかして今度こそ死んじゃった?
『もうやめてぇ♡』『だめぇ』『もう耐えられないぃぃっ!』
『ハッハーッ! Ich werde nicht aufhören, mit dem Finger zu fuchteln, bis du in der Erde liegstォッ!(君が地面に埋まるまで指を振るのをやめないよぉッ!)』
私は声の方に体を向けた。金髪ゴリラが汚い声を上げながらよだれを垂らし、横回転しながら、アンカーのごとく地面に打ち付けられていた。
——ああ……これはあれかな、新しい観光コンテンツのゴリランカーかな?
エスルスは私の気配に気づき、振り向いた。
「ああ、ツッコ起きたのかい? ボクは今日は麺料理が食べたいな」
エスルスは思い切り左手を下に振り下ろすと、金髪ゴリラは土中に頭を突き刺し、踏ん張った状態のまま静止した。
右手をゆっくりおろすと、私はエスルスの横におろされた。
「わかった。パスタでも作るよ」私は姿勢を正すとエスルスとともに家の中に向かった。
満月だけが、私の家の中に新しく建築されたゴリランカーを見つめていた。




