第2話「食欲の魔女を豚の生姜焼きで天に昇らせた話」3/4
キッチンについた。居間から出て廊下をしばらく歩いた先にあるキッチンは、料理人だった父のこだわりが凝縮された、まるでプロの厨房のような本格的な空間だった。
中央には調理がしやすい広々とした最新のアイランドキッチンが鎮座し、壁のラックに美しく整頓された包丁などの調理器具も、すべて一流の職人が手掛けた一級品ばかりだ。驚くべきはそれだけでなく、本格的なピザ窯や、極上の米を炊き上げるための専用の古式ゆかしい竈まで完備されているのだ。周囲にはツッコが祖父の遺産で購入した最新鋭の調理家電もずらりと並ぶ。
個人の自宅用としては明らかに規格外の、美食を生み出すためだけに造られた完璧な空間だった。
「これは圧巻だね……」エスルスはキッチンのなかをぐるりと回りながら観察していた。一本の包丁を手に取った。光にかざし、刀身を見ていた。『素晴らしい……』とつぶやいていた。
「適当に見てていいっすよ。今から調理始めますんで邪魔はしないでください」私は冷蔵庫の中を見た。
――あるのは生姜醤油につけた豚バラ肉、タマネギ、レンコン、エリンギくらいか……時間も時間だしさっとできる生姜焼きだけでいいか。米は冷凍ので我慢してもらおう。
私は髪の毛をゴム紐で頭上に束ね、手拭いでまとめた。
――私は父の料理を食べたことはない。ただ、祖父の話によると、父の料理をする姿を見ると泣いている私は泣き止んでいたようだ。おっと……それよりも料理に集中だ。明日も仕事だ。急がないと。
手を丁寧に石鹸で洗い、キッチンペーパーで水気を取る。
包丁を握ると二度ほど手の中で回転させて握ると一呼吸置いた。
「へぇ……」エスルスが私を見ていた。
――何だこいつ、じろじろと……やりづらいな。
タマネギを薄切りにスライスする。トトトトトトト……トントントンとリズミカルな音がキッチンに響く。レンコンを切る、繊維に沿ってザクッザクッザクッと切っていく、細切りにして触感を楽しむ。エリンギは石突の部分を切り取ったらスライスする。スッ、スッ、スッと。
フライパンを手に取った。今日はごま油にしよう。ごま油を薄く引いたら、強火にかける。
レンコン、エリンギを並べ、焼き色を付ける。ジュージューという音とともにエリンギの香ばしい山の香りが広がった。キツネ色に焼きあがったところで、生姜醤油から上げた豚バラ肉を焼く。フライパンに肉を置いた瞬間、ジュワワワワーっ! という激しい音とともに、熱された生姜の鮮烈な香気と、豚肉の甘い脂の匂いが爆発的にキッチン中に広がった。
「ああ……なんていい香りなんだ。ツッコ……手際といい君はすばらしい料理人だね」
「底辺配信者OLですよ……」私は集中していた。言葉は最低限だった。
肉の焼ける音を聞く。バチンッとはじける音がした瞬間に豚肉をひっくり返し、中火に変える。豚肉の背にはきれいな焼き目がついていた。しばらく両面が焼けるのを待つ。肉の旨味を閉じ込めたところで、漬け汁の生姜醤油とともに玉ねぎを躊躇なく投入してフタをした。
しばらく放置。
その間に一食ずつに小分けしておいた冷凍ご飯を電子レンジで解凍する。大皿を準備しながら、耳を澄ます。
フライパンの奥で、タレが煮詰まっていくゴトゴトコトコト、ジュワジュワジュワリという水分の蒸発する音が響く。それがパチパチッと乾いた小さな音に変わった瞬間、私は火を止めた。フタを開け、手際よく全体をあおってタレを具材に絡ませると、再びフタを締めて余熱で味を芯まで染み込ませる。
数分後、大皿に盛り付けられたのは、濃い目の生姜醤油をたっぷりと吸って琥珀色に輝く豚バラ肉と、タレが絶妙に絡んだレンコン、キツネ色のエリンギ、そしてクタクタになった甘みの象徴たるタマネギの山だ。
ご飯はタッパーのままだが、完成。
深夜0時に食べるにはあまりにも暴力的すぎる、背徳の「豚の生姜焼き」がそこに在った。
「さて、居間に戻りましょうか」私は生姜焼きとご飯を手に持ちキッチンを後にした。
エスルスは神妙な面持ちで静かに私の後ろをついてきた。




