第八話 怪文書
若い夫婦を病院へ連れて行った一件は、あっという間に島中へ広まった。
しかも、事実とはまるで違う形で。
夫婦喧嘩の末に暴れたらしい。
妻が錯乱したのは男女関係のもつれだ。
私が間に入っていた。
三角関係だったらしい。
尾ひれはひれがつき、話は勝手に育っていく。
誰一人、当事者に確認などしない。
確認しなくてもいいのだ。
この島では、噂は事実より強い。
昼過ぎ、玄関を叩く音がした。
開けると、あの若い夫婦が立っていた。
「こんにちは……」
夫が頭を下げる。
その横で、妻は深く帽子をかぶり、顔を伏せていた。
「奥さん、体調は?」
「なんとか落ち着きました」
問いには夫だけが答える。
妻は一度も目を上げない。
以前ここへ来たときの、期待と不安が入り混じった表情は、もうどこにもなかった。
夫は言いづらそうに口を開いた。
「それで……来週、この島を出ます」
思わず聞き返す。
「もう?」
「妻の体調もありますし……元の町へ戻ろうと話し合いました」
言葉を選んでいた。
本当は、体調だけが理由ではないのだろう。
「島は……私たち夫婦には、合わなかったようです」
その一言に、ほとんど全てが詰まっていた。
私は何も言えなかった。
励ます言葉も、引き留める言葉も、この島では薄っぺらく感じられた。
夫は再び頭を下げた。
「先日は、本当にありがとうございました」
妻も小さく会釈した。
帽子のつばの奥で、表情は見えなかった。
二人はそのまま帰っていった。
玄関先に残った空気だけが、ひどく重かった。
部屋へ戻り、椅子に腰を下ろす。
静かなはずの昼間なのに、妙に落ち着かない。
図書館の裏で聞いた話が、何度も頭をよぎる。
監視。
村八分。
異常者。
掟。
普通に暮らすこと。
あのときは、どこか他人事のように聞いていた。
だが、若い夫婦は実際に壊れ、追い出されるように島を去る。
それが現実だった。
そして、ふと気づく。
――では、自分は今、どう見られているのか。
若い夫婦に肩入れしたよそ者。
病院まで送った男。
島のやり方に馴染みきれていない移住者。
そういう存在として、すでに分類されているのではないか。
窓の外を見る。
向かいの家の老婆が、洗濯物を干しながらこちらを見ていた。
目が合うと、何事もなかったように視線を逸らす。
胸の奥がざわつく。
夕方、ポストを確認すると何も入っていなかった。
ほっとして家へ戻ろうとしたとき、足元に白い紙が落ちているのに気づく。
四つ折りにされた、メモ用紙だった。
開く。
中には、たった一文だけ書かれていた。
余所者同士が、かばい合うな。
字に見覚えはなかった。
だが、この島の誰かが書いたことだけは分かった。
怪文書は止まらない。




