第三話 役割
自宅のすぐ近くに畑を貸してもらえた。島の特産であるレモンや蜜柑、オリーブを育ててみたい。
この島は気候が温暖で、冬でも本州ほどの厳しさはない。加えて海風が島の隅々まで適度な塩分を運ぶ。それが、甘みの強い柑橘を育てるのに一役買っているのだろう。
休日は自由だった。一日中だらだら過ごすのもいいし、最近覚えた釣りで時間を潰すのも悪くない。
自由を手に入れた――そう思っていた。
その日の夕方。
ドンドンドン、と戸を叩く音がした。
「こんにちはー、区長の長谷川です」
島に移住する際、何かと世話になった人物だ。
「長谷川さん、こんにちは」
長谷川はやや太り気味の中年男性だが、世話好きで、島内で悪く言う者はいない。
「今夜、公民館で来年度の役割を決めますので、参加お願いします」
「わかりました」
「20時開始ですので、遅れないように」
念を押すように言い残し、長谷川は帰っていった。
――役割決め。
島民同士で自治的に役割を分担しているのだろう。
その程度の認識だった。
夜。
公民館には、見知った顔もあれば初めて見る顔も混ざっていた。全部で三十人ほどか。
指定された席に座ると、正面の壇上に三人の老人が座っていた。腕を組み、黙ったまま参加者を見下ろしている。
誰だろうか。
その空気だけが、妙に重い。
長谷川がマイクを握った。
「えー、それでは新年度の役割を決めたいと思います」
淡々と、作業のように進んでいく。
自薦と他薦が少し交わりながら、役割が次々に埋まっていく。
やがて長谷川が言った。
「では、寺総代を決めたいと思います。どなたか希望は――」
その瞬間だった。
壇上の老人の一人が、低い声で言った。
「寺総代は大事な役目や。それは長谷川がやれ」
空気が一瞬、止まった。
命令だった。
島の区長を指名するような言い方。それも、理由も説明もなく。
寺総代とは何なのか。
その役割すら分からないまま、場の視線は長谷川に集まる。
だが誰も口を開かない。
全員が下を向いている。
長谷川は一拍遅れて、頭を下げた。
「……恐縮です。お受けいたします」
あまりにも従順だった。
押し付けられたようにも見えたが、抗う様子はない。
むしろ、それが当然の流れであるかのように。
壇上の老人たちはそれぞれ違う反応をしていた。
腕を組む者。眉間に指を当てる者。無表情で全体を見渡す者。
誰も感情を出さない。ただ、見ている。
「えー、それでは役割は以上となります。他に何かありますか」
長谷川が進行をまとめようとした、そのとき。
また老人の声が割り込んだ。
「移住者は島のルール、分かっとるんか?好き勝手しとったらいかんぞ。長谷川が説明しとらんのやろ」
長谷川が慌てて答える。
「事前の説明で共有しております。問題は起きておりません」
「ほうか。ならええが」
老人は続ける。
「島の磯場で貝取っとる者がおるらしいが、あれはどうなんぞ」
「それと、島の女の尻を追うとる者もおると聞いたがな」
――なんだ、それは。
役割決めの場で出る話ではない。
噂話の確認と監視。
空気が奇妙に歪んでいくのを感じた。
周囲の島民は、誰一人として口を開かない。ただ視線を落とし、沈黙を守っている。
長谷川がかすかに声を震わせる。
「磯場の採取については、漁協への許可・支払いが必要と回覧しております。女性の件については、私の方では把握しかねます」
老人は短く鼻を鳴らした。
「ほうか。ならええわい」
そして、続けた。
「島の人間ならまだしも、余所者が好き勝手するのは許されんけんの」
そう言い残し、三人の老人は壇上から静かに立ち上がり、公民館を出ていった。
扉が閉まる音だけが残った。
その後、何事もなかったかのように集会は終わった。
帰り際、誰かに尋ねると、あの老人たちは「島の古老」だという。
元町議、元町長。かつての役職者たちが、今も島の集まりに顔を出し、秩序のために発言するのだと。
――秩序のために…。
そう聞いたとき、妙に引っかかった。
はっきり言えば、老害という言葉が頭をよぎった。
だが、それを口にする者はいなかった。
島の空気は、そういう言葉すら許していないようだった。




