第二話 異性
島での生活は、思っていたよりも
“人が近い”。
近いというのは物理的な距離ではない。 視線と記憶の距離だ。
移住してから数週間、少しずつ顔を覚えられ、少しずつ名前を呼ばれるようになった頃、同じ地区に住む女性と知り合った。
彼女はひとりで島に暮らしているらしい。
最初の会話は、道端だった。
買い物帰りに軽く挨拶を交わしただけの、ほんの数秒のやり取り。それだけで終わるはずだったものが、なぜか次の日も、その次の日も続いた。
「ここ、坂が多いですよね」
「慣れると平気ですよ」
そんな程度の会話。
だが島では、それで十分すぎるほどだった。
三日目には、すでに別の空気が混じっていた。
「昨日、あの女性と話しとったね」
買い物先の店で、何気なく言われた。
悪意はない。 探りでもない。 ただ“共有”のような言い方だった。
その日の夕方には、別の人間が同じことを言った。
そして夜には、笑い話のように広がっていた。
「移住の男と独身の女が話しとったらしいよ」
「そろそろええ歳じゃけぇね」
「まあ島じゃしなあ」
結婚の話にすらなっていた。
早すぎる。
あまりにも雑だ。
だが同時に、その雑さに誰も疑問を持っていない。
彼女本人も気にしていない様子だった。
「こういうの、よくあるんですよ」
そう言って、肩をすくめる。
「島の人って、噂が好きだから」
その言い方は軽かった。
むしろ慣れている。
気にするだけ無駄、とでも言うように。
その態度に、少しだけ救われた気がした。
自分だけが神経質になっているのではないか、と。
――堂々としていればいいだけだ。
そう思い直す。
島の空気にいちいち反応していたら、生活がもたない。
そういう種類の場所なのだろう、と。
彼女は目立つ人だった。
年齢は四十代半ばに見える。
だがその印象は、数字とは結びつかない。
背は高く、姿勢がいい。
線は細いのに、どこか芯がある。
色白で、顔立ちは整っていた。
目鼻立ちがはっきりしていて、どこか島の人間というより、外の空気を一度通ってきたような顔だ。
ほんのわずかに混ざる異物感。
その雰囲気が、島では妙に浮いている。
だからこそ目立つのだろう。
彼女自身は、その視線を特に気にしていないようだった。
ただ淡々と暮らしている。
その“淡々さ”が、この島では逆に珍しかった。
夜、帰り道で彼女とすれ違う。
軽く会釈をする。
その一瞬のやり取りさえ、どこかで誰かに見られている気がする。
いや、気がするのではない。
実際に見られているのだ。
だがそれは観察というより、監視に近い。
人の関係を、材料として見ている視線。
家に戻ると、玄関先に小さな紙切れが落ちていた。
誰かの落とし物のように自然に。
そこにはこう書かれていた。
「近づきすぎるな」
それだけだった。




