第十七話 決断
寺であの話し合いを聞いて以来、私は眠れなくなった。
耳を澄ませば、家の外で砂利を踏む音がする。
止まったかと思えば、また少し離れた場所で鳴る。
見に出ても誰もいない。
だが、誰かはいる。
朝になると、門の前に煙草の吸い殻が落ちていた。
昨日まではなかった銘柄だった。
私はもう迷わなかった。
この島を出る。
夕方、私は港へ向かった。
定期船の切符売り場で、週末の便を予約するつもりだった。
だが窓口へ着く前に、異様な光景が目に入った。
待合所の長椅子に、古老たちが並んで座っていた。
誰も乗船する様子はない。
杖をつき、新聞を広げ、ただそこにいる。
その中央に長谷川もいた。
私と目が合うと、すぐに逸らした。
窓口の女は私を見るなり言った。
「今日はもう受付、終わりました」
まだ営業時間内だった。
背後で、老人たちの誰かが小さく笑った。
私は何も言わず、その場を離れた。
翌朝、女性から電話があった。
声が震えていた。
「職場に話がいってます」
「何の話ですか」
「最近、島の風紀を乱しているって……」
胸の奥が冷えた。
消え入りそうな声で
「……私もう限界です」
その声は、初めて会った頃よりずっと弱かった。
このままでは、あの若い夫婦のように心を壊される
私も壊れそうになっていた、口から自然に発した。
「今週中に共に出ましょう」
だが、そう伝えたものの出る方法は思い浮かばないままだった。
夕方、自宅へ戻ると、玄関の引き戸に紙が挟まれていた。
島の者なら、島で生きろ。
壊れたら出ていけ。
たったそれだけだった。
誰が入れたのか分からない。
怪文書にも慣れた、いや馴染んでしまったのだ。
私は紙を握り潰した。
その夜、あてもなく海沿いの道を歩いた。
風が強かった。
波の音だけが暗闇から響いてくる。
防波堤の先に、人影が座っていた。
図書館の女だった。
近づくと、女は海を見たまま言った。
「眠れないんでしょう」
私は足を止めた。
「……なぜ分かるんですか」
「その顔、昔の私と同じだから」
女は笑わなかった。
しばらく沈黙したあと、ぽつりと続けた。
「私も昔、島を出ようとしたことがあるの」
風が一段強く吹いた。
「好きな人がいて、二人で出るつもりだった」
「でも、その人は急に私を避けるようになった」
女の声には感情がなかった。
「仕事を切られて、家に石を投げられて、親まで責められた」
私は何も言えなかった。
「その人は先に壊れた。酒を飲んで海へ…」
波音が急に大きく聞こえた。
女はそこで初めてこちらを見た。
「私は…島に残ったの」
その目には、希望のない乾いた目が見えた。
「……あなたたちは、この島から離れなさい」
喉が詰まった。
「もう、何が正しいかわからない。ただもう今はこの島から離れたい…。」
本音を吐き出した、監視された苦しみは心を蝕み、個を失わせる。
溜まった感情は溢れ涙が止まらなかった。
「明日の朝一番なら島の見張り役が交代する時間があるはずよ」
「少しだけ、人の目が薄くなるの」
私は息を呑んだ。
「船着場の裏に古い倉庫がある。そこから乗れるわ」
「失敗したら?」
女は静かに海へ視線を戻した。
「その時は、私の様に島で生きるだけ」
私は言葉を失った。
帰り際、女が背中越しに言った。
「……私も…。」
「いいえ、なんでもないわ」
女はもうこちらを見なかった。
港の灯りが遠くに揺れていた。
自宅へ帰るなり女性に連絡、深夜の待ち合わせ場所を定めた。




