知らない天井
「それでメグ。あんた、どこから来たんだい?」
どこから。どう説明すべきだろうか。国だとか県だとか、そんな話をしても通じない気がする。
「日本、って言って伝わるか?」
「ニホン? どこだいそりゃ」
ほらダメだ。
ここで、本格的に疑問に思う部分が出てくる。なぜ、メグはここにいるのだろう、と。
記憶を辿る。いつものように仕事から帰る。風呂に入り、晩飯をつまみながらビールをあおる。そしてベッドに入り眠りにつく。そして今ここ。
わけがわからなかった。
「うん、わからん! どっか遠いところからだ」
「大雑把だかなんだか。まあいい、あんた魔法は使えるのかい?」
魔法。またファンタジーな単語。使えるわけがないだろう。使えたらあんな色のない人生を歩んでいない。
「いや、使えない」
「うーんおかしいねぇ。明らかに普通じゃない魔力をしてるんだけど……」
「ふーん……?」
そうは言われてもピンとこない。
自分の控えめすぎる胸に手を当てて目を瞑る。当然ながら、魔力やらなんやらなんて感じることすらできない。
「ま、よくわかったよ。あんたがよくわからん出自だってことがね」
「へへ、それほどでもない」
「褒めてないんだよ」
笑ってはいるが、メグは内心焦っていた。
言うなれば、ゴムボートで大海原に放り出されたような感覚。
どこへ行けばいいのか、何を頼ればいいのかもわからない状況だ。
自分には何ができるのだろうか。どう生きればいいのだろうか。キャリアなど意味を為さないだろう。48年という人生があまりに頼りなく感じていた。
「ふん、なんだガキっぽいとこもあるんじゃないか。そんな捨てられたような顔をするんじゃないよ。身寄りがなけりゃあたしがなってやる」
「ば、婆さん……」
本当にこの老婆はいい人のようだ。顔が怖くなければ完璧なんだけど、という考えは心の片隅に留めておいた。
さて、とルナ婆は膝に手を当て立ち上がる。
「今日はもう寝な。ガキは寝る時間さね」
「いや、俺はガキじゃ……」
「いいから。こっちが客室だよ。ちょっと埃っぽいが我慢するんだね」
案内された部屋には質素なベッド、そして埃で白っぽくなった机と椅子。簡易的な棚があった。
「いつからかね、あんま人が寄らなくなったんだ。昔は子供たちがよく遊びに来たもんだが……」
それはあんたの顔が怖いからじゃないか?とは言えなかった。
「ありがとう婆さん。本当に、心から感謝してる」
「ふん、そう思うなら明日も元気に起きてくるんだね。さっさと寝るんだよ」
部屋から出ようと歩き出す。ルナ婆に一言。
「ああ、おやすみ」
返事もなく、部屋の扉が閉められた。
ベッドに横になると、窓から差す星明かりでもわかるくらいに埃が舞った。
「……ハウスダストアレルギーを持ってませんように」
切実な願いである。
この土地に来て僅かな時間だが、情報量があまりに多かった。
自分が思っていたより疲れていたらしく、あっという間に眠りについた。
◆◆◆
翌朝、目を覚ましたメグは見知らぬ天井におはようと挨拶をして起き上がる。
差し込む朝日は柔らかく、まだ早朝であるのがわかった。
窓からは村の風景が見える。既に起きている人々が外を歩き、時には立ち話をしていた。
大きく伸びをする。恐ろしくいい目覚めだ。久しく忘れていた「若さ」を実感する。
客室を出ると薬膳スープのような香りが居間に漂っていた。
物音がする方に向かい、台所を覗くとルナ婆が鍋で何かを煮込んでいた。
「おはよう、婆さん」
声をかけるとルナ婆はゆっくりとこっちを向いた。朝日に照らされた凶悪な魔女顔がとても素敵だった。
「起きたのかい。……そのよだれの跡、流してきな。そこの便所の横に水が入った壺があるから、桶に掬って使いな」
「あい」
にこやかに笑っているつもりかもしれないが、人を煮詰めて薬にでもしてしまいそうな顔である。
便所の横には、言われた通り大きな壺と小さな桶が置かれていた。
壺の蓋を開け、水面に映る自分と目が合った。
長く尖った耳。やや吊り気味の目には鮮やかな緑の瞳が輝いている。
慣れ親しんだ丸いおじさん顔とは違い、しっかりと整った少女の顔立ちであった。
48年間、鏡の中にいた男はどこにもいない。
あぁ、本当に自分は知らないどこかで、別の誰かになってしまったんだなと実感する。
それはそれとして、思ったよりかわいい体に生まれ変わったのを実感し、少し心は踊った。
よだれの跡を洗い流し居間に行けば、机にはスープとパンが置かれていた。
「さ、あんたのだよ。しっかり食いな。ガキは飯食ってデカくなるのが仕事なんだ」
「ガキって……まあ事実ではあるんだけどなぁ」
耳の後ろをぽりぽりと掻いて席に着く。
嗅いだことのない香りの草?野菜?がふんだんに入ったスープに肉が一欠片浮いている。
人肉じゃないだろうな、なんて思いながらスープをスプーンで掬い、口に運ぶ。
質素ではあるがしっかりまとまった味わいで、一緒に出されためちゃくちゃ硬いパンと相性は悪くなかった。
「ごちそうさま」
「残さず食べたね。えらいじゃないか」
ニヤリと笑うルナ婆に、メグも笑い返す。
「出された飯は絶対に残すなってのが親父の言いつけでね」
「いい心がけさね」
流石に世話になりっぱなしなのは落ち着かず、食器洗いはさせてもらった。
前の生活では当たり前のようにあった食器用洗剤や、スポンジ、そして蛇口から無限に出てくる水。
それら全てがない状態での食器洗いは不便で、少し新鮮だった。
ちなみに、水をもう少し節約しろとルナ婆に注意された。
食後は特に会話を交わすこともなく、メグは窓の外を眺め、ルナ婆は小さなナイフで木を削っている。実に穏やかな時間であった。
やがて子供たちも外で遊び始める時間になる。明るく無邪気な声が薄い窓を叩く。
「なあ婆さん」
ぽつり、と呟くように言う。
「なんだい」
「俺、ここで何をしたらいい?」
「そうさねぇ……」
ルナ婆は手を止め、背もたれに体重をかける。
長いため息のあと、口を開いた。
「まず服を買わにゃならん。下着がない、服が一着しかない、靴すらない。そんな子が生きていけるわけない」
至極真っ当な発言であった。
「あたしゃエルフなんて存在は文献でしか見たことがない。だからあたしが見たそのもので判断するが、あんたはガキだ。ひとまずうちの手伝いをしておくれ」
「俺は子供じゃ……」
「うるさい。ガキが大人に気を使うんじゃないよ。あとで村長に挨拶がてら服を買いに行くよ、わかったね?」
「……へいへい。頑固な婆さんだよほんと」
メグは肩をすくめる。しかし、その口角は少し緩んでいた。
見知らぬ土地でルナ婆という存在は、メグに確かな安心感を与えていた。




