旅支度
翌日、いつものルーティーンを終えたメグは、近所の村人に声をかけて回っていた。
「おはようございます、ベンさん」
「ああ、おはよう。どうしたんだい?」
「実は、近々この村を出ることになりまして……」
挨拶回りだ。二日後には村を出るので、割と急いで準備しなくてはならない。
子供たちに「やだー!行かないで!」と付き纏われながらも挨拶回りをしていると、あっという間に昼前になった。
今日はヴァル爺の家に行くと伝えてあるので、パンを包んでくれている。
「ヴァル爺、いるかー?」
相変わらずノックすらしないで家に入る。
ヴァル爺は居間で本を読んでいた。
向かいに座り、肘をつく。
「なあヴァル爺」
「なんだ」
本から視線が持ち上がる。
「二日後、村を出るんだ」
なんてことのない話のように、メグは言う。
少しの間ヴァル爺の目はメグの方を向いていたが、本へと戻る。
「フンッ、そうか」
それだけだった。
逆に、それがよかった。
特にやることはないので台所で勝手に果実水を用意する。
再び席について、せっかくなので液体をかき混ぜる魔法を作ることにした。
新たな魔法を作る時、その目の前にはヴァル爺がいた。石鹸と同じく、これも一旦最後になる。
メグは意識をコップの中の果実水に向ける。
万物には魔力が宿っている。果実水も例外ではない。
その魔力に集中する。コップの中の魔力が動き回り、混ざり合う、そんなイメージ。
意識が澄み渡るのを感じる。新たな魔法を作るこの瞬間が好きだ。
自分の意識から無駄な世界が削ぎ落とされ、自分と魔法だけが取り残されたかのような感覚になる。
メグは魔法が好きだ。想像が、ちゃんと結果として返ってくる。
バシャッ。
コップの中身が破裂した。飛び散った果実水がヴァル爺、そしてその手元にある本にかかった。
「……」
「……」
五回目のゲンコツは過去一痛かった。
昼食を終えた。コップの中身をかき混ぜる魔法はちゃんと完成した。
本に関しても、さすがと言うべきかヴァル爺はあっさりと綺麗にしてしまった。
時間が巻き戻るように果実水がコップに戻る様は圧巻だった。
それはそれとして、本や床、メグ自身やヴァル爺にかかった果実水など飲みたくはなかったので一度捨てたが。
ヴァル爺が見せてくれたその魔法は、これから旅立つメグへの贈り物のように思えた。
昼過ぎ、メグは世界樹の切り株の上にやって来た。目的はもちろんあの三人。
ミレアたちはこの場所がたいそう気に入ったようで、空いた時間は大体ここにいるようだった。
「こんにちは皆さん」
「やっほーメグちゃん」
「ああ」
「こんにちはっす」
相変わらず三者三様だ。
「ベルガンさんに聞いたっすよ、一緒に街に行くとか」
「……本気なんだな」
「もう、ガレス! ベルガンさんが認めたんだからあえて確認しなくていいでしょ!」
そ、れ、よ、り、とミレアがメグの目の前にやってくる。
ミレアのやや黒みがかった栗色の髪が、昨日と比べて明らかにサラサラになっていた。
「これ! まだない? あるなら全部売って! 買い取る……いや、買わせてください!」
グイグイと迫ってくるミレアにたじろぐ。
「はぁ。ミレア、メグちゃんが困っているだろう」
「えー、でもぉ」
実際、困っていた。やはり女性が至近距離に近付いてくるのはいまだに慣れない。
自分が少女になったからといって、そこはなかなか変わらないようだ。
「そうだ、お聞きしたいことがあったんです」
「お、なになに?」
ようやくミレアが離れてくれた。力を抜いて、深く息を吐く。
「街に行くにあたって、必要な物はなんですか?」
「あー、それねぇ……」
「色々ある。あるが……」
「意外と金かかるっすよねぇ……」
「ですよね……」
メグも、無知ではあるが馬鹿ではない。いや、馬鹿なことをすることはあるが。
街について「はい、終わり」でないことくらい理解している。
それゆえに、銀貨五枚という収入があったところで足りるわけがないと、わかっていた。
沈黙が降りる、かと思いきやすぐにミレアがニヤリと笑った。
「やっぱり、アタシが石鹸を買い取るよ! そのお金で準備しよ! というより、必要そうな物を見繕っておくから石鹸と交換……これでどう?」
破格の提案であった。断る理由が見当たらない。
「まだ完成していないのもあるのですが、村を出る当日には形になってると思います」
「いいねいいね! ちなみに何個くらいあるの?」
メグは庭の軒下を思い浮かべる。昨日の五個、一昨日の十個、そしてある程度形になった物が……。
「24個、ですかね」
「そんなにあるの!?」
ミレアの瞳は、それはもう、キラッキラに輝いていた。
善は急げと、四人でルナ婆の……いや、ルナ婆と俺の家に向かった。
庭の軒下を見て、ミレアは物理的に飛び上がったのは余談だ。
村の中を、四人は必要な物について話しながら歩く。
「やっぱ最初は鞄だね! 背負えて、色々入るやつ!」
「大きすぎると動きにくいんじゃないか?」
「でもメグちゃん魔法使いっすよ、前衛ほど動き回る必要はないんじゃないっすか?」
「だからといって動けなくなるほど背負うのは論外だろう」
なんて話しながら選んだのは、革でできた大きめのリュック。そこまで重みはなく、しかし丈夫だ。
「次はー……ナイフ!ナイフ見よ!」
「街で見た方がよくないっすか?」
「この村の鍛冶屋には興味があった。とりあえず見に行こう」
鍛冶屋は、メグもあまり立ち寄らない場所だ。今まで行く理由がなかったからだ。
一度だけルナ婆に連れられ行ったことがあるが、その時は木彫り用の小さなナイフを買うのみで終わった。
鍛冶屋にはナイフ、斧、そして剣までしっかり取り揃えられている。
鉄製のそれらはしっかり磨かれており、近付けば顔が反射して見える。
「ナイフは結構大事だよー! なんなら一番大事かも」
「獲物の剥ぎ取り、道を塞ぐ蔦の除去、そして護身。使い道を挙げたらキリがない」
「実際、これに助けられたことは結構あるっすね」
リックがチラッと見せてくれたナイフの刃は黒く、鉄のようには見えなかった。
じっくりとナイフを吟味する。ずっと身につける物だと言われたので、妥協はしたくない。
「ここの品は、質がいいな」
「お、わかるかあんちゃん!」
背後ではガレスと店主が盛り上がっている。ミレアとリックは各々気になる物を眺めていた。
「あ、これいいかも」
何本かナイフを手に取って確認していたところ、驚くほど手にフィットする物を見つけた。
普通に持つ、逆手に持つ。違和感がほぼない。
刀身もそれほど長くなく、取り扱いやすいサイズ感であった。
「それでいいの?」
背後からミレアが覗き込む。
心臓が色々な意味で止まりそうだった。
手元に集中している時に急に声をかけられたこと。刃物を扱っている時に静かに近付かれたこと。
心臓に悪いからやめてほしい。
「はい、すごく使いやすそうです」
「じゃあそれにしよっか」
その後も下着や着替えであったり、丈夫で軽いブーツであったり、小鍋であったり。
旅において必要な物を揃えていく。
最後の方になると、鞄はまあまあな重さになっていた。
なお、火起こしの道具や水を濾過する道具など、魔法でなんとでもなる物は省略した。
そして最後に寄ったのはベルガンの露店であった。
布の上に商品が並び、ベルガンとニコルが座っている。
挨拶はそこそこに、商品を見ていく。
「あ、メグちゃんこれ買おうよ」
ミレアが指差すのは小さなひょうたん型の魔道具。獣避けの道具として紹介された物だった。
「はは、旅支度は順調ですか?」
ベルガンは真剣に並ぶ商品を見るメグの様子に微笑んだ。
「おかげさまで、だいぶいい感じです」
ミレアに今ある石鹸は渡してある。お金は受け取っておらず、支払いは彼女らが行なっていた。金額すら教えてもらってはいない。
石鹸を売ったお金で買うと申し出たのだが「いいからいいから」と押し切られてしまった形だ。
「ベルガンさんさー、これ売ってよ。メグちゃんの出世払いでさ」
「これですか……」
ミレアとベルガンの視線の先には小さな巾着袋があった。大人の拳大ほどのサイズしかないそれを、二人は見つめている。
「……そうですねぇ。いいでしょう。メグさん、これを持って行ってください」
「よっし! 言ってみるものね!」
ガッツポーズをするミレア。ベルガンから巾着袋を受け取った瞬間、この巾着袋が変な魔力を帯びているのに気がつく。
「これねー、すっごい便利なの。見た目以上に物が入るから、財布に使うのもお勧めだよ!」
巾着袋の口を開く。中は真っ暗で、明るい時間にも関わらず底が見えない。
横から投げ込むように、ミレアが銀貨を一枚その口から入れた。
「出す時は、出したい物を思い浮かべながら手を入れるの。そしたらこんな風に……」
巾着袋にミレアが手を入れる。引き抜かれた手には銀貨が握られていた。
「ね、簡単でしょ? ただ、入れた物を忘れないように気をつけるんだよ。出すのに苦労するから」
そう言って、また銀貨を投げ込んだ。
試しに銀貨を思い浮かべながら手を入れると、指の先に固い物が当たった。それを掴み、引き抜く。そこには銀貨が握られていた。
これがとんでもない代物だと、さすがのメグも気付く。
返そうかとベルガンの顔を見ると、何も言っていないのに首を横に振られてしまった。
「メグさん、それは先行投資なので気にしないでください。でもそうですね、もし面白い物を作ったらその時は持ってきてください」
そう言われてしまうともう返せなかった。
そしてなんなら、銀貨をミレアに返そうとしたのだが、なぜかそれまで断られてしまった。
そうして、この一日は静かに終わりを迎える。
夜、メグが寝転ぶベッドの横には、今日買ったリュックやブーツ、そしてナイフが置かれていた。
その存在を感じながらメグは眠りにつく。寝入るまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。




