行っといで
結局、手元にあった石鹸はミレアに売った。持ってくる際に使った包み紙に丁寧に包んで、ウキウキで立ち去った。
きっとこの後、水浴びでもするのだろう。
「さて、ルナリアさんと話すこともありますし、一緒にルナリアさんの家に向かいましょうか」
メグは頷く。
ニコルは露店の番を引き継ぐようだ。なんだか不安そうな顔をしていたが、「何事も経験です」というベルガンの発言に、観念したような表情になった。
道中、会話はなかった。だからこそ、メグは余計に不安になっていた。
帰ったらすぐ、外の世界に出たいと伝えるつもりだ。ルナ婆には本当にお世話になった。本当に、自分の祖母かのように思えた。
反対されるだろうか。反対されないためにはどう言えばいいのだろうか。
うんうん、と悩みながら歩くそんなメグの姿に、ベルガンは苦笑する。
やがて家の前に着いた。何度も見て、もう他人の物には見えないこの光景。
でもこの瞬間だけは、普段よりも家が大きく見えた。
「じゃあ、私はここで待っているのでまた呼んでください」
家の前で立ち止まったベルガンは、村の方を向き、目を細める。
メグは観念して、扉を開いた。草を潰したような、青臭いにおいがした。今となっては意識することすらないにおいだ。
大きく息を吸い、居間へ向かう。
ルナ婆は安楽椅子に座り、小さなナイフで木を削っていた。
「今日は帰るのが早いじゃないか」
「……ああ」
普段ならもっと遅い時間に帰る。時にはヴァル爺の家に入り浸り、時には村の子供達と遊んでやり、時には世界樹の切り株の上で村を眺める。
そんなこんなで、帰る頃にはいつも日が傾いている。
この世界に来てそれほど時間は経っていない。しかし、その日常がメグの当たり前になっていた。
唾を飲み込む。
「あのな、婆さん」
「なんだい」
意を決して呼びかけたが、ルナ婆は顔を上げすらしない。
「俺……」
言いたいことはたくさんある。言い訳のようなものも頭にたくさん浮かんでいる。
だがメグが本当に伝えたいことはただ一つ。
「俺、村を出て外の世界を見たい」
「ああ、行っといで」
……。
……え?
メグが万感の思いを込めて放ったその言葉に、ルナ婆が返したのはたった一言。
まるで「ちょっと遊びに行ってくる」と言われた時のような反応だ。
メグが呆けていると、やがてルナ婆は顔を上げた。
「メグ、あんたは外に行きたいんだろう?」
「あ、ああ」
それは間違いない、と頷く。
「行けばいいよ。土産話、待ってるからね」
ルナ婆が微笑む。優しい表情だ。
初めは少し怖いと思っていたシワだらけの顔。だがメグの目からはもう、ただの優しいおばあちゃんの顔にしか見えなかった。
「ああ……ああ! 俺、外に行くよ婆さん!」
涙が溢れた。この世界で二度目の涙。
メグは自分が泣き虫になってしまったんじゃないか、そう思った。
◆◆◆
メグの涙が止まるまでに、そう時間はかからなかった。
外で待っていてくれたベルガンを招き入れる。
「こんにちは、ルナリアさん」
「ああ、あんたかい。どうしたんだい」
相手が商会の主人であろうとルナ婆の対応は変わらない。
「私が、メグさんを街まで預かろうと思います」
「そうかい。よろしく頼むよ」
あっさりしたものである。
「それと、石鹸の製法をご存知とか?」
「まあ見てたからねぇ」
石鹸を作り始めた頃、ルナ婆は「一体何をする気だい」と胡散臭そうな顔でこちらを見ていた。
結果的に出来上がったのは、メグが体を洗いたいがための物だったのだが。
「私がその製法を買い取るので、他言をしないと約束をしていただけると」
「ああいいよ。あたしゃあれに興味がないんだ」
そう、ルナ婆はなんやかんや石鹸を一度も使ってくれていない。
手を洗うくらいはしてくれてもいいのに、とメグは口を尖らせる。
ベルガンの視線がメグの方に向けられた。
「さて、メグさん。せっかくなので作り方を見せてもらえませんか?」
ルナ婆の許可を得た。そう、つまりメグとベルガンの商談は成立したのだ。
ベルガンの発言で、それを思い出した。
「もちろんです。えっと、用意するのは灰と水と……」
説明しつつ、慣れた手つきで材料を用意する。
「これだけですか?」
「はい」
目の前に並ぶのは簡単に手に入る物ばかり。下手したら銅貨数枚で揃ってしまうような材料だ。
「まずは灰汁を作って……」
「ふむ」
時間が少しかかるので、壺に灰汁の仕込みをしてから、あらかじめ作っておいた物を取り出す。
脂、灰汁、そして匂い消しの薬草のペーストを鍋に入れ、火にかける。
「これはなぜ入れるのですか?」
「脂を使っているので、入れないと少しくさいんです。植物油でも使えば必要なくなるかもしれませんが」
「ふむ」
かき混ぜることしばらく、少しずつ粘度が高まってきた。そこでメグは香草のペーストを足して、さらに混ぜる。
「これは?」
「香り付けですね。花なんかを入れてもよさそうです」
「……ふむ」
そうして、出来上がった物を木の型に流し込んだ。
「ふぅ。あとは待つだけです」
「……これで終わりですか」
ベルガンは顎に手を当てて何か考えているようだ。やがて、口を開く。
「仕込めるのが一日十個と言ったのは、鍋の大きさの問題ですか?」
「それもありますが、見ていた通りずっと混ぜないといけないので腕が疲れるんです。かき混ぜる魔法なんてものがあればいいんですが」
説明しながら、日々の苦労を思い出す。腕がパンパンになっても動かし、何個も試作品を作る日々。
「……あ」
かき混ぜる魔法、作れるくない?
メグの頭の中にはずっと、幼い頃に祖母と並んで鍋をかき混ぜた記憶があった。
それに引っ張られすぎて気付かなかったが、魔法で混ぜたらいい話だったのだ。
メグは勝手に一人で項垂れた。
「どうかしましたか?」
ベルガンに覗き込まれ、顔を上げる。
「いや、ずっと頑張って自力で混ぜてたんですけど……」
「ふむ」
「魔法でやっちゃえばよかったなと」
「……」
一瞬、ベルガンの表情が変なことになった。
しかし、すぐに元に戻る。
「できるんですか?」
「まあ、多分……いや、ほぼ確実に」
木べらを動かし続ける魔法でもいいし、鍋の中身を絶え間なく動かす魔法でもいい。いくらでもやりようはありそうだった。
「……そうですか」
やっぱり少しだけ変な顔をするベルガンだった。
その後は新たな石鹸をベルガンと一緒に軒下に運んだ。固まる時間を考慮したら、これがこの家で作る最後の石鹸となるだろう。
なんだかしんみりとした気持ちになった。
その傍らで、軒下に並ぶ石鹸の試作品の数を見て、ベルガンは「店でも開くつもりなんですか?」と呟いた。
「では」
改めて二人は向き合った。
「改めて商談成立ということで、よろしいですね?」
「……はい!」
握手を交わす。握ったその手はゴツゴツしていて、とても硬かった。
そうして、ベルガンは立ち去った。きっと露店に戻るのだろう。
メグは今日の残りの時間を、家の掃除をして過ごした。思い出を振り返るように、丁寧に。




