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世界樹の最後のTSエルフ  作者: 巌沢雪乃
一章 世界樹のふもと

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行っといで

 結局、手元にあった石鹸はミレアに売った。持ってくる際に使った包み紙に丁寧に包んで、ウキウキで立ち去った。

 きっとこの後、水浴びでもするのだろう。


「さて、ルナリアさんと話すこともありますし、一緒にルナリアさんの家に向かいましょうか」


 メグは頷く。

 ニコルは露店の番を引き継ぐようだ。なんだか不安そうな顔をしていたが、「何事も経験です」というベルガンの発言に、観念したような表情になった。


 道中、会話はなかった。だからこそ、メグは余計に不安になっていた。


 帰ったらすぐ、外の世界に出たいと伝えるつもりだ。ルナ婆には本当にお世話になった。本当に、自分の祖母かのように思えた。


 反対されるだろうか。反対されないためにはどう言えばいいのだろうか。


 うんうん、と悩みながら歩くそんなメグの姿に、ベルガンは苦笑する。


 やがて家の前に着いた。何度も見て、もう他人の物には見えないこの光景。

 でもこの瞬間だけは、普段よりも家が大きく見えた。


「じゃあ、私はここで待っているのでまた呼んでください」


 家の前で立ち止まったベルガンは、村の方を向き、目を細める。


 メグは観念して、扉を開いた。草を潰したような、青臭いにおいがした。今となっては意識することすらないにおいだ。


 大きく息を吸い、居間へ向かう。

 ルナ婆は安楽椅子に座り、小さなナイフで木を削っていた。


「今日は帰るのが早いじゃないか」

「……ああ」


 普段ならもっと遅い時間に帰る。時にはヴァル爺の家に入り浸り、時には村の子供達と遊んでやり、時には世界樹の切り株の上で村を眺める。

 そんなこんなで、帰る頃にはいつも日が傾いている。


 この世界に来てそれほど時間は経っていない。しかし、その日常がメグの当たり前になっていた。


 唾を飲み込む。


「あのな、婆さん」

「なんだい」


 意を決して呼びかけたが、ルナ婆は顔を上げすらしない。


「俺……」


 言いたいことはたくさんある。言い訳のようなものも頭にたくさん浮かんでいる。

 だがメグが本当に伝えたいことはただ一つ。


「俺、村を出て外の世界を見たい」

「ああ、行っといで」


 ……。


 ……え?


 メグが万感の思いを込めて放ったその言葉に、ルナ婆が返したのはたった一言。

 まるで「ちょっと遊びに行ってくる」と言われた時のような反応だ。


 メグが呆けていると、やがてルナ婆は顔を上げた。


「メグ、あんたは外に行きたいんだろう?」

「あ、ああ」


 それは間違いない、と頷く。


「行けばいいよ。土産話、待ってるからね」


 ルナ婆が微笑む。優しい表情だ。

 初めは少し怖いと思っていたシワだらけの顔。だがメグの目からはもう、ただの優しいおばあちゃんの顔にしか見えなかった。


「ああ……ああ! 俺、外に行くよ婆さん!」


 涙が溢れた。この世界で二度目の涙。

 メグは自分が泣き虫になってしまったんじゃないか、そう思った。


◆◆◆



 メグの涙が止まるまでに、そう時間はかからなかった。

 外で待っていてくれたベルガンを招き入れる。


「こんにちは、ルナリアさん」

「ああ、あんたかい。どうしたんだい」


 相手が商会の主人であろうとルナ婆の対応は変わらない。


「私が、メグさんを街まで預かろうと思います」

「そうかい。よろしく頼むよ」


 あっさりしたものである。


「それと、石鹸の製法をご存知とか?」

「まあ見てたからねぇ」


 石鹸を作り始めた頃、ルナ婆は「一体何をする気だい」と胡散臭そうな顔でこちらを見ていた。

 結果的に出来上がったのは、メグが体を洗いたいがための物だったのだが。


「私がその製法を買い取るので、他言をしないと約束をしていただけると」

「ああいいよ。あたしゃあれに興味がないんだ」


 そう、ルナ婆はなんやかんや石鹸を一度も使ってくれていない。

 手を洗うくらいはしてくれてもいいのに、とメグは口を尖らせる。


 ベルガンの視線がメグの方に向けられた。


「さて、メグさん。せっかくなので作り方を見せてもらえませんか?」


 ルナ婆の許可を得た。そう、つまりメグとベルガンの商談は成立したのだ。

 ベルガンの発言で、それを思い出した。


「もちろんです。えっと、用意するのは灰と水と……」


 説明しつつ、慣れた手つきで材料を用意する。


「これだけですか?」

「はい」


 目の前に並ぶのは簡単に手に入る物ばかり。下手したら銅貨数枚で揃ってしまうような材料だ。


「まずは灰汁を作って……」

「ふむ」


 時間が少しかかるので、壺に灰汁の仕込みをしてから、あらかじめ作っておいた物を取り出す。


 脂、灰汁、そして匂い消しの薬草のペーストを鍋に入れ、火にかける。


「これはなぜ入れるのですか?」

「脂を使っているので、入れないと少しくさいんです。植物油でも使えば必要なくなるかもしれませんが」

「ふむ」


 かき混ぜることしばらく、少しずつ粘度が高まってきた。そこでメグは香草のペーストを足して、さらに混ぜる。


「これは?」

「香り付けですね。花なんかを入れてもよさそうです」

「……ふむ」


 そうして、出来上がった物を木の型に流し込んだ。


「ふぅ。あとは待つだけです」

「……これで終わりですか」


 ベルガンは顎に手を当てて何か考えているようだ。やがて、口を開く。


「仕込めるのが一日十個と言ったのは、鍋の大きさの問題ですか?」

「それもありますが、見ていた通りずっと混ぜないといけないので腕が疲れるんです。かき混ぜる魔法なんてものがあればいいんですが」


 説明しながら、日々の苦労を思い出す。腕がパンパンになっても動かし、何個も試作品を作る日々。


「……あ」


 かき混ぜる魔法、作れるくない?


 メグの頭の中にはずっと、幼い頃に祖母と並んで鍋をかき混ぜた記憶があった。

 それに引っ張られすぎて気付かなかったが、魔法で混ぜたらいい話だったのだ。


 メグは勝手に一人で項垂れた。


「どうかしましたか?」


 ベルガンに覗き込まれ、顔を上げる。


「いや、ずっと頑張って自力で混ぜてたんですけど……」

「ふむ」

「魔法でやっちゃえばよかったなと」

「……」


 一瞬、ベルガンの表情が変なことになった。

 しかし、すぐに元に戻る。


「できるんですか?」

「まあ、多分……いや、ほぼ確実に」


 木べらを動かし続ける魔法でもいいし、鍋の中身を絶え間なく動かす魔法でもいい。いくらでもやりようはありそうだった。


「……そうですか」


 やっぱり少しだけ変な顔をするベルガンだった。


 その後は新たな石鹸をベルガンと一緒に軒下に運んだ。固まる時間を考慮したら、これがこの家で作る最後の石鹸となるだろう。

 なんだかしんみりとした気持ちになった。


 その傍らで、軒下に並ぶ石鹸の試作品の数を見て、ベルガンは「店でも開くつもりなんですか?」と呟いた。


「では」


 改めて二人は向き合った。


「改めて商談成立ということで、よろしいですね?」

「……はい!」


 握手を交わす。握ったその手はゴツゴツしていて、とても硬かった。


 そうして、ベルガンは立ち去った。きっと露店に戻るのだろう。


 メグは今日の残りの時間を、家の掃除をして過ごした。思い出を振り返るように、丁寧に。

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