商談
損をしてまでリスクを取らない。その言葉がぐるぐると頭の中で回り続ける。
メグはベルガンの顔を見たまま動けない。ベルガンも、動かない。反応を待っているのだ。
今の自分は何ができる。魔法が使えて、畑仕事ができて、掃除ができて……そんな物が利益になるか。
少なくとも、想像する限りはならない。
利益。そこでメグの中で何か引っ掛かった。
何かある。自分がベルガンに差し出せる物が――。
「あっ」
石鹸だ。村にもない、ベルガンの露店にも並んでいない。朧げな記憶を頼りに作り上げた、メグの努力の結晶。
「あの、ベルガンさん! お見せしたい物があるんです、少し待ってていただけますか?」
「……いいでしょう。楽しみにしています」
予想外の反応だったのか、ベルガンの片眉がぴくりと動いていた。
メグは駆け足で家に帰った。軒下に並ぶ石鹸の中で最も出来の良い物を手に取る。
今朝も、頬擦りでもしそうな勢いで眺めていたそれが、今は武器になるかも知れなかった。
ベルガンの元へ戻った時には、隣にニコルの姿もあった。真面目な顔で何かを話していたが、メグに気付きすぐに止まる。
ミレアはなんだか楽しそうに微笑んでいた。
「それで、見せたい物というのは?」
切り出したのはベルガンであった。先程までと同じく、感情が表に出ていない。
「石鹸です!」
周りで見ていた村人の中で、何人かが「ああ、あれか」という顔をしている。
それもそのはず、調子に乗って作りすぎたために、家の脂がほぼ底をついたのだ。
そこでメグは、近所の住民に石鹸の完成品を渡す代わりに脂を分けてもらっていた。
それはさておき、薬草によって薄緑色に染まっているその塊にベルガンは視線を向けている。
「セッケン……それはなんですか?」
「えっと、俺が作った汚れを落とすための物なんですが、油汚れなんかも綺麗に落ちるんです」
「ふむ?」
ベルガンの片眉が上がる。そして、視線はミレアの方へと移る。
「ミレアさん、これにいくら出しますか?」
「えっ、アタシ?いやぁ、使ってみなきゃわかんないなぁ」
「あ、それなら使ってみませんか?手を洗うだけでどんな物なのかわかると思います」
メグはミレアの前に行く。そして彼女の前でしゃがみ、足元に向けてシャワーの魔法を使った。
「わっ、変な魔法!」
ミレアは声を弾ませながらしゃがむ。
ベルガンとニコルの目は見開かれていた。
「水で濡らして、この石鹸を手で擦るんです。泡が出たら石鹸を置いて、手を擦り合わせます。その後に水で流せば汚れが綺麗に落ちます」
「へぇー。なにこれ、あったかい!」
シャワーの魔法でいちいち喜んでくれるミレアに、そうそうこういう反応が欲しかったんだとニヤける。
ルナ婆も嫌がらずにシャワーを浴びてくれたらよかったのに、と思った。
「熱くないですか?」
「えっ、熱さも変えれるの?」
「はい。好きなだけ」
ベルガンはその様子を黙って見ている。もう目は見開かれていない。
「あ、すごい本当に泡だ」
ミレアは石鹸を使い始めた。メグが伝えた手順で手を洗い始める。
泡を洗い流したところで、魔法を止めた。
「本当だ、汚れが取れてる。あと手がキュッキュッてなる! わ、ちょっといいにおいするかも、何これ!」
いい反応がもらえて、気分がよかった。
今回出した石鹸は消臭の薬草に加え、香りのいい香草をほんの少し混ぜ込んでいた。
本来であればメグが髪を洗うために作った物なのだ。元の世界では香りの付いた物で全身を洗っていた。それを再現したかったのである。
「それで、いくら出しますか?」
ベルガンはもう一度問いかけた。
「メグちゃん、これってどれだけ使えるの?」
答えの代わりに、メグへの質問を口にする。
「使い方次第ですけど、毎日全身を洗って、一ヶ月は保つかと思います」
「全身って、髪も?」
「はい」
ミレアがじっとメグの髪を見た。サラサラと毛の一本までが綺麗に解け、風に揺れている。
「銀貨五枚は出すねアタシなら」
ベルガンの表情は変わらない。
「では、銀貨三枚なら?」
「絶対買う。というかメグちゃん、銀貨五枚出すから今売ってくれない?」
「えっ今ですか?」
銀貨五枚。パンが銅貨二枚なので、パンが25個買える計算になる。
思っている以上の価値がついた。
「いいんですか?」
「いいよ! というかむしろお願い! 女の子としてこれは欲しい! 絶対に!」
圧がすごい。でもこれはベルガンに見せるために持ってきた物だ。
困った顔でベルガンの方を向く。すると、助け舟を出してくれた。
「その話は後で個人的にお願いします。それで……」
空気が変わったのを感じ、メグは立ち上がってベルガンの前に立った。
「ニコル。これ、どう思いますか?」
「僕としては、銀貨五枚で売れるなら……」
「それはミレアさんが出すと言った金額でしょう。売ることを考えるなら、上限を狙いすぎてはいけない」
再びメグと向き合う。
「メグちゃん、これの材料費はどれだけかかりましたか?」
「えっと、そんなにかかってません」
余るほど出る灰、脂、水、匂い消しの薬草、少しの香草。
大した金額にはならない。
「では、ここからはお金の話をしましょうか、メグさん。これは一度にどれだけ作れますか?」
メグは考える。鍋の大きさ次第ではあるが、割と一日で数は作れる。それでも十個が限度だろうか。
庭の軒下に並ぶ石鹸を思い浮かべた。最初は数個しかなかったが、今となっては大量の試作品が並んでいる。
「一日に仕込めるのは十個程度だと思います」
「完成にかかる時間は?」
「……数日です」
ベルガンとの問答は続く。
「品質は保てますか?」
「しっかり計量すれば、今よりは安定すると思います」
「既に、これと同じ物がありますか?」
「五個は同じ品質のものがあります」
「作り方を知っているのはメグさんだけですか?」
「婆さん……あ、ルナリア婆さんが作っているところを横から見ていたくらいです」
「なるほど……」
一度、ベルガンは言葉を区切った。
「私がミレアさんたちを雇う際、往復で金貨百枚を支払っています」
「ひゃっ、ひゃく……」
金貨百枚。パンが500……いや、5000個買える。
凄まじい金額であった。
「つまり、片道で金貨が五十枚です。メグさんが増えるというならば、その三分の一は払ってもらいたい。それをセッケンで補おうとすると、何個必要かわかりますか?」
「えっと……」
もう数字が増えすぎて頭の中がこんがらがってきた。しかし、諦めるわけにはいかない。
その場でしゃがみ込み、地面に落ちていた石を拾う。
ガリガリと音を立てて数字を書いていく。メグが書こうとした数字は、前の世界での数字ではなく今の世界の数字として書かれる。
文字を読む時もそうだが、体が勝手にそうしてくれるのだ。
「五十の三分の一は約17。石鹸を銀貨三枚で売るとして、金貨17枚を補うには……。57個の石鹸が必要……」
計算を終えたので立ち上がる。ベルガンの表情は変わらない。しかし、隣のニコルはなんだか口をぽかんと開いている。
「もし、銀貨三枚の物と考えるなら57個必要になります」
ベルガンが頷いた。
「我々は三日後にここを発つ。用意できるかい?」
三日後。急いで作っても間に合わない。固める時間がおそらく足りない。
「……できません」
悔しかった、もっと作っておけばと後悔の気持ちが押し寄せる。
「じゃあ……」
しかし、ふと閃いた。ベルガンが何かを言う前にメグが口を開く。
「作り方を、売るのはどうでしょうか」
ベルガンの目の色が変わった。
「続けてください」
続きを促され、頭の中で話を構築していく。
「この石鹸は、ミレアさんが銀貨五枚出すと言った物です。でも、これはあくまで職人でもない俺が作った物」
頭に浮かぶのはもっと硬く、もっと香りのいい石鹸。スーパー、コンビニ、ドラッグストア。どんな場所でも買えるそんな代物。
でもこの世界にはない。
「安定して、もっと高品質な物をベルガンさんの商会なら生産できるのではないでしょうか」
この世界に成分を分析する術があるかはわからない。しかし、少なくとも金貨17枚を超える価値にはなるのではないか。
「その製法をメグさんが他の人に売らない保証はどこにありますか?街に着いて、お金に困って、それを売らない保証は」
「それは……」
保証はできない。メグにできるのは口約束だけ。だが道はこれしかないように思えた。
「もう既にこれを取り扱っている商会が、どこかの国にあるかもしれない。将来的にその商会と戦うことになるかもしれない。そうなった時、被害額は途方もない金額になります」
それも、そうかも知れなかった。
この世界には遠く離れた場所と簡単に連絡を取る手段すらない。各国を回っているミレアたちでさえ、知らないことはいくらでもあるのだ。
どこかの国で既に石鹸が作られていたとしても、今のメグには確かめようがない。
メグは俯きそうになった。
しかしすぐに視線を戻すことになる。
ベルガンはパチン、と両手を叩いた。その顔は、いつもの優しい顔だった。
「メグさん、商人の世界は思っているより単純ではありません。冒険者とはまた違った、危険が常にあるのです」
どうにかして説得しようとしていたメグの頭はフリーズしていた。ベルガンが何を言おうとしているのかがいまいちわからない。
「でも、そんなことは理解する必要はありません。なぜなら、メグさんは商人ではないから」
黙って聞いていた。視界の端で、ミレアが大きく伸びをしている。
「もし、ルナリアさんが許可するのであれば……その商談、お受けしましょう」
メグの膝から力が抜けた。
そんな様子を、ベルガンは困ったような顔で笑う。
「これはこれは、いじめすぎてしまいましたかね」
「そうだよベルガンさん、メグちゃんがかわいそうじゃん」
視界が一気に移り変わる。ミレアに抱き抱えられたのだ。
筋肉質で硬い、しかし確かな温もりが伝わってくる。
「ははは。まあ、少し厳しくしすぎた自覚はありますよ。それにしても……」
ベルガンはメグの顔を見て微笑み、溜めるように口を開く。
「……メグさんって自分のことを俺って言うんですね」
まさかのミレアと同じことを言われた。




