石鹸作り
16話
「なあ婆さん。アルカリ性の物、何か家にない?」
「あるかり……は? なんだいそれ」
「……まあ予想はしてたけどそうなるよなぁ」
どう説明したらいいのだろうか。酸性、アルカリ性の概念がまだその世界に定着していないのなら、当然リトマス紙なんて物もないだろう。
ここはうまく説明するしかない。
「あのー、あれだ。洗剤とかになって、触ってたら手が荒れるやつ」
「あん? それならいつも使ってるじゃないか」
「……え?」
記憶にない。手を見てもツルツルスベスベな、女の子の柔肌があるのみである。
「普段食器を洗ってるあれだよ。灰汁」
「灰汁……?」
「そうさ、今使っているのは薄いから手が荒れたりはしないが、濃くすればそれはもう、荒れるよ」
「婆さん……それだよそれ! 作り方教えてくれ!」
ルナ婆は困ったような顔をする。
「まずは朝飯にしないかい」
その言葉に、メグの腹が情けなく鳴った。
朝食中、メグはかなりソワソワしていた。
「落ち着いて食いな。時間はあるだろう」
その通りではあるのだが、やはり日本人として風呂事情はしっかりと、できるだけ早くなんとかしたいところであった。
めちゃくちゃ硬いパンを喉に詰まらせそうになる、というハプニングがあったものの、あっという間に食事を終えたメグ。
「なあ婆さん! 作り方!」
「食い終わるまで待ちな。ったく、会った頃よりガキっぽくなってるんじゃないか?」
そう言われて固まる。確かに、最近は好奇心というか、探究心というか、そういった心に突き動かされているような気がする。
なんだか照れくさくなったメグは、静かに椅子に腰を下ろした。
それも含めて子供っぽく見えたのか、ルナ婆は、ふっ、と少しだけ笑った。
大人しく待つことしばし。いつものように二人分の食器をメグは洗う。しかし目つきがいつもと違う。
いつも使っていた謎の汁、その正体は灰汁で、おそらくアルカリ性で、メグの風呂事情解決に大いに貢献する予定の液体だ。
よだれでも垂らしそうな勢いだった。
食器を片付け、ルナ婆の前で仁王立ちする。
「さ、教えてもらおうか。その灰汁ってやつを」
「簡単さね。水と灰を混ぜて濾す。以上だ」
「……え? それだけ?」
「それだけだよ」
「……え? じゃあなんで焦らされたの?」
「すぐにでも動きそうな勢いだったから」
「それは、そう」
ぐうの音も出なかった。
ここからは早かった。灰などいくらでもある。空いた壺に水と灰を入れて混ぜて、しばらく置く。あとはこれを濾せば灰汁の完成らしい。
待つ間に、もう一つの材料を手に入れなければならない。
「婆さん、油はあるか? ある程度量があるといいけど」
「あるよ、ちょっと待ってな」
ルナ婆は一つの大きめの壺を持ってきた。中には白く固まった物体が入っている。
「……これって油?」
「脂さ」
「油ってないの?」
「脂じゃダメなのかい?」
「わっかんねぇ……」
メグは、油と脂の違いがはっきりとはわからない。少なくともどちらも揚げ物ができることくらいは知っている。
「なんとか……なるかぁ?」
「知らないよ。やってみたらどうだい」
「やってみるかぁ」
あまりに自信がなさ過ぎた。ただでさえ不確かなことばかりなのに、一番自信のあった油すらも別の物になってしまった。
深く考えたって意味がないので、とりあえずメグは実行してみることにした。
灰汁を濾して別の壺に移す。
「婆さん、鍋借りるよ」
「鍋だぁ? ……まあいいけど、ダメにするんじゃないよ」
「うい」
許可を得たので鍋に灰汁と脂を入れようとして、止まる。どれだけ入れたらいいのだろうか。
「婆さん、これどんだけ入れたらいいと思う?」
「あたしが知るわけないだろう」
「だよな」
少なくともこの村の中で、石鹸など一度も見ていない。今ここで作り方を知ってそうなのはメグだけなのだ。
古い記憶を頼りに、量を調節する。朝食を作ってから時間がそれほど経っていないので、薪は燃え尽きていなかった。
鍋を火にかける。脂が溶け、灰汁と混ざり始める。
木べらで混ぜ続ける。混ざっているが、さらさらだ。もっとドロドロになるはずである。
さらに混ぜ続ける。もうすでに腕が痛い。
まだまだ混ぜ続ける。少しだけ粘りのような物が出ている気がする。
そこから混ぜ続けても、あまり変化はなかった。
「婆さん、これ使ってもいい?」
「好きに使いな」
混ぜるのを諦め、小さな木の容器に移す。本来の用途は小物入れらしいのだが、サイズ感がちょうどいいので使わせてもらった。
あとはこれを数日置けば、石鹸になるはず。多分。
◆◆◆
家の掃除、魔法の特訓をしていたら案外時間が進むのは早い。
数日が経ったので、保管していた石鹸(予定)を取り出した。
「……固まってないな」
どっちかと言うと、脂そのものというか、ちょっとバターみたいになった脂というか。
あとくさい。ちょっと獣くさい。消臭効果のある薬草を混ぜればマシになるだろうか、と思いながら少し指で掬う。
手に水をつけ、手を擦り合わせる。
「あれ、これ……」
記憶にある石鹸ほどではないが、確かに泡立っている。
いやしかし、喜ぶのはまだ早い。汚れが取れるかどうかが重要なのだ。
水で流す。手を洗った直後特有の、キュッキュッと肌同士が滑りにくくなる感触がある。
メグは膝から崩れ落ちた。
「せ、せ、石鹸だぁぁあ!」
記憶とは違う。あとくさい。しかしメグの中では、これはもう立派な石鹸であった。
騒ぐメグの声に反応してルナ婆がやって来た。
「なんだい、完成したのかい」
メグは振り向き、こくこくと頷く。
「へえ、これが作りたかった物……で、何をする物なんだい?」
「これは石鹸、体を綺麗に洗うための物だ!」
「体を……安全なのかい? それ」
「……」
自信はなかった。いや、でも小さい頃に作った時は「肌が溶ける」と脅すようなものを使っても溶けなかったし、油が脂になったところで変なことは起きないだろうし……多分。
「ま、まあ。大丈夫だと思う。うん」
「せめてそこは自信を持ってほしかったよ」
その通りである。
「あ、そうだ」
ルナ婆は思い出したように口を開いた。
「村長から聞いたが、今度行商人が来るらしい」
「行商人?」
「そうさ、何泊かするらしいから、メグも会ってみるといい」
行商人、この村以外の人間だ。この村でも十分毎日が新鮮なのだが、違う世界なのだからもう少し広い世界に触れてみたい気持ちがあった。
これは絶好の機会なのではないだろうか。
「いつ来るの?」
「さあ? まあ報せが来てるってことは、三日以内には来るんじゃないかねぇ」
「三日以内かぁ……」
メグの心はもうすでに踊り始めていた。




