便利な力
あれからさらに時が過ぎた。この世界に来てもう二ヶ月である。
メグは、相変わらず毎日のようにヴァル爺の家に通っていた。
「え? あれ?」
扉を開ける前に畑が視界に映る。昨日まではなかった、黄色い花が見えた。
「嘘だろ、花が! 花が咲いてる!」
メグは畑に駆け寄った。花を咲かせていたのは、メグが植えたケチェポだった。
並び方はミミズが這ったように不恰好だが、それでも立派に花を咲かせていた。
「ヴァル爺! ヴァル爺!」
扉を勢いよく開けて家に入ると、ヴァル爺は居間でお茶を啜っていた。
「ヴァル爺花が咲いてたぞ! 俺が植えたケチェポだ!」
「そうか」
興奮しているのはメグだけであった。ヴァル爺からすれば、毎年見てきた光景なのだろう。茶を啜る姿には、これっぽっちも変化がない。
「そうかって……くっ、にぶちん! 人でなし!」
「は?」
畑にもう一度向かう。やはり咲いている。花弁は張りがあり、朝日を浴びて光っているように見えた。
「二ヶ月か」
振り返ってみるとかなり濃厚な時間を過ごしたように思える。
目が覚めたらエルフになっていて、ルナ婆に拾われ、ヴァル爺と畑仕事をしながら魔法を教わる。
働き、食って寝るだけ。そんな生活が遠い過去のように思える。
メグは畑の地面に意識を向ける。目標は雑草。
万物には魔力がこもっている。ケチェポにも、もちろん雑草にも。
あまり広い範囲だとメグの頭が追いつかないので、ある程度の範囲の雑草の魔力に焦点を当てる。そして、それを引っこ抜くように魔法を使う。
これはメグが考えた草抜きの魔法だ。一瞬で広範囲の雑草を仕留められるため、とても重宝している。
初めてこの魔法を披露し、「魔法って便利な力だなぁ!」とメグが笑った時のヴァル爺は、とても微妙な顔をしていた。
あれから、色々と気付いたことがある。
まず、ヴァル爺の家を囲むように結界のような魔法が張ってある。これは誰かが家に近付いてきたことを知らせる物らしい。
扉を叩いていないのに、寝起きのヴァル爺が家から出てきたことがある。
それは、この魔法によって誰かが敷地内で佇んでいるため、出てきたとのことだった。
他にもある。いつも出される冷たい果実水。
冷蔵庫もなく、家に冷やす手段などない。方法があるとすれば、川に容器ごと浮かべて冷やすくらいか。
それなのに、ヴァル爺が出す果実水はいつだって冷たい。
二ヶ月もこの村で過ごしていたら、流石のメグでも違和感を覚える。
明らかにおかしい。
つまり、だ。ヴァル爺は最初から、魔法を使いながら「魔法など使えん」などと言っていたわけである。
酷い話であった。
それはさておき、ヴァル爺が見せたあの火を灯す魔法。少し前に自分なりに再現をしてみた。
とある日だ。森の中の川のほとり、そこでメグは集中していた。
魔力を集める際、重力のような力を持つ魔力の核を想像する。その力を強めれば、より多くの魔力がより小さな範囲へと集まっていく。
それを火に変換した。明るく熱く、まるで太陽のような小さな火に。
再現できた。あの肌を焼くような熱、目を開いていられないような光。あの魔法はメグでも再現可能だったのだ。
そしてそのあと、ヴァル爺に「一人でそれを試すな!」とめちゃくちゃ怒られた。
この世界で三度目のゲンコツは、ヴァル爺のものであった。
イメージ、そして魔力の操作さえしっかりしていれば、結果として魔法は望んだ姿になってくれるらしい。
その一環で生まれたのが、この草抜きの魔法である。
「よし! 今日の草抜き終わり!」
一度もしゃがむことなく草抜きを終えたメグは、ヴァル爺の家に入った。
ヴァル爺は居間で本を読んでいる。本の内容は魔法に関する物だ。この家にある本は全て、魔法に関する内容しか書かれていないのである。
魔法が使えないと言っていた老人の実態は、身も心も魔法にどっぷり浸かった、魔法中毒者なのだった。
本に書かれている文字は日本語ではない。もちろん英語などでもなく、この世界固有の言語である。
なぜ読めるのかは謎である。少なくとも、この身体で目覚めたことと何か関係があるのだろう、とメグは勝手に思っている。
「なあヴァル爺、草抜き終わったぞ」
「ああ、ご苦労」
「そんだけかよ」
本から目を上げることなく、ヴァル爺は答える。
魔法を教えなくなってから少し素っ気ない。というより、ヴァル爺がメグに目を向け続ける理由がなくなった。
しかし家から追い出すことはない。昼食もほぼ毎日一緒に食べている。
朝から来て何をしているか、それはもちろん魔法の特訓だ。教わることがなくとも練習はできる。
もし危ないことをしたとして、対処ができるとすればヴァル爺だけなのだ。最も安全な練習場所だ。
やがて時間は過ぎ、昼食をとり、日が落ちる。
もはやこれが日課となっていた。
帰宅する。夕飯を食べる。そして体を拭く。ここで大きな問題がある。
そう、石鹸がない。
二ヶ月が経ち、この生活に慣れていく。しかし風呂事情だけはどうしても許せなかった。
水が冷たい問題、これは魔法でなんとでもなる。水が出せる。ならこれを温めればいい話なのだ。
ただ、どうしても石鹸だけはどうにもならない。この瞬間だけは、魔法が便利ではないという言葉に心から共感できた。
「石鹸……石鹸……」
作り方は記憶の奥深く。思い出せメグ。思い出せ沢田恵。そう念じながら過去へ過去へと掘り進んでいく。
「油……」
そう、油を使っていた。揚げ物などで使った廃油を濾し、何かと一緒に混ぜた。
「うーん……」
思い出せない、危ない物だったような気がするのだが。物理的に頭を抱えながら考えることしばし。
「あ」
手が溶けるから絶対触るなよ、という祖母の言葉を思い出した。
肌を溶かすといえばアルカリ性のイメージがある。
しかし。
「アルカリ性の物……? 何があるんだ?」
メグは科学博士でもなんでもない、ただのサラリーマンであった。詳しい知識などあるはずもなかった。
「婆さんわかるかなぁ……」
体の水気を拭き、服を着る。そして夕飯を準備してくれているであろう居間へと向かった。




