マフィア生活よりも同人生活
「隼さん。用事があったんじゃないんですか?」
高瀬さんがメガネ執事さんに問いかける。冷静に尋ねながら銃口はいまだオネエを狙っていた。
「終わらせたに決まっているでしょう。おろそかにできない案件で時間はかかってしまいましたが……。お嬢様と早く謁見したくて来たというのに、これはいったいどういう騒ぎですか。とりあえず、高瀬。銃を下ろしなさい。涼風は黙り……」
「やぁぁん、ハーくん、そんなつれないこと言わないでぇぇえっ!」
そのハイテンションのまま、オネエはメガネ執事さんに抱きつこうとする。が、メガネ執事さんは冷静に、自分に抱きつこうとするオネエの顔面を鷲掴みにした。
「気持ちは分かりますが、高瀬。お嬢様の見ていないところでやりなさい」
「きゃあぁっ、興奮しちゃうわぁ。誰も見てないところで、おいたしちゃうなんて、もうっ、旭さん困っちゃうぅっ!」
「……高瀬、もう涼風のことは放っておきなさい。放置したらそのうち止みます」
「いやぁぁん、放置プレイはいやぁぁ!」
顔を鷲掴みされた状態だというのに、オネエは尚もしゃべりつづける。奇声に近い変態な雄叫びをあげるオネエにうんざりしたらしく、メガネ執事さんはため息をつきながらネクタイを外した。
「う、ぐっ!」
思わず首を上げようとして、痛みで押し止まる。
でも今の、メガネ執事さんの腕の角度、ネクタイへの手のかけ方、最高だった! 写真、写真を……っ!
「きゃあっ、ハーくんがアタシを縛ろうとしてるぅぅっ! はぁぁあんっ、もっと縛っぁぁぁあああ!」
本当にメガネ執事さんがオネエの口をネクタイで縛り上げた。なんか苦しそうだし痛そうだけど、オネエはすっごく嬉しそう。もうなんか、年齢制限かかりそうなくらいエロい顔してますもん。
「ふぅっ、ぐっんんん!」
口を縛られてるのに一生懸命しゃべろうとしてる。でもそのオネエの声がまたエロいんだわ。もうやばいな、気を抜けば妄想が盛大に広がる。分かってる、わかってるから落ち着け、わたし。
メガネ執事さんがオネエを縛って……落ち着け、わたし。
ひゃあぁぁあん、落ち着けわたし!!
「さて、うるさい人を黙らせましたので、まずはこの不祥事のお詫びを」
礼儀正しく言葉を発しながら、メガネ執事さんがこちらへ足を向ける。わたしは広大な妄想の宇宙を鎮め、咳払いとともに一旦の落ち着きを取り戻す。
身なりのきちんとしたメガネ執事を見据え、わたしは小さく息を吐く。
やっと、まともそうな人が来てくれた気がする。でももうわたしは期待して騙されるのは嫌なんだ。
この人も変人かもしれない。ドSド鬼畜もドMオネエも出そろった。もしこの人が変人だったとして、属性は……。
「お嬢様、申し訳ありません。ご無礼を、お許しください」
やばい、まともだ。でもまだ、まだ判断するには早い。疑うわたしを見て、メガネ執事さんはため息を吐いている。
そうして誠意を表すみたいに、わたしが横たわるベッドに歩み寄り、ひざまずいた。
「私の名前は、泉谷隼と申します。本日はお嬢様のお迎えに、私めもこの高瀬と同行することになっていたのですが……急な案件が入ってしまい、出遅れてしまいました。お許しを」
泉谷さんは、わたしに頭を下げる。
まるで本当の執事さんみたいに、丁寧な物言い。「お嬢様」という言葉にもまったく棘がない。
礼儀正しい泉谷さんのことを、高瀬さんは不服そうな顔で見つめている。
「隼さんが頭下げる必要はないですよ。いくら幸佐様の一人娘といえど、その娘は……っ」
「口を慎め、高瀬」
泉谷さんは高瀬さんのほうを向いた。低いいい声で放たれたその言葉以外に、泉谷さんは何も言わない。けど、泉谷さんの声を聞いて、高瀬さんはひるんだ。
あれだけのドSを披露した高瀬さんが、泉谷さんの一言で、たった一言で。
もしかして、泉谷さんってとんでもない人?
そんなふうに思いながら、落ち着いた雰囲気の泉谷さんを視線だけで見下ろす。
すると、泉谷さんが再びわたしのほうを振り返った。
「それよりお嬢様。先ほどから横になられたままでいらっしゃいますが、具合が悪かったり?」
「あ、えっと、いえ……その首が痛くて……え、あの、泉谷さん?」
わたしが答えた瞬間、先ほどまでの落ち着いた空気が吹っ飛んだみたいに、泉谷さんの顔が色をなくした。笑っていない目が恐ろしく光っている。
「高瀬。私はお嬢様を安静な状態でお連れしろと言ったはずだが。お嬢様は首が痛いとおっしゃっている。これはどういうことだ、説明しろ」
泉谷さんがドSを問い詰めてる。すごいっ、すごいよ! ドSが打ちのめされる瞬間が見られるかもしれない。
さすがのドSも泉谷さんを前にしたら、ケツの青いガキ。きっと無様にわたしに謝ってくるはず――。
「知りませんよ。寝違えたとかじゃないですか」
平然と嘘ついたよ、くそドS! あなたがやったんでしょうが! 首の骨、ヒビ入ってんじゃないの?! ってレベルで痛いんですけど!!
泉谷さん、騙されてはいけない!
「お嬢様が寝違えるわけがないだろう。お前、お嬢様に無礼なことをしたんじゃないだろうな?」
そうだそうだ、バッキャロー! 高瀬さんはわたしに無礼なことをしました。もはや無礼というか半殺しというか!
もっと怒ってください、もっと!
「やだな、隼さん。俺は任務はちゃんと遂行する人間ですよ。ねぇ? お嬢サマ?」
にっこり笑顔で高瀬さんがわたしに同意を求めてくる。なんだ、あの笑顔。殺意しか見えない!
これ首を横に振ったらどうなる?!
高瀬さんに首絞められてました★ とか言った暁には、わたし、海の藻屑になってんじゃない?
でもその前に、泉谷さんが高瀬さんを怒ってくれたり? でもそのあと結局、わたしが海の藻屑になるのか!
結果変わらないんじゃん! ならわたしは高瀬さんに媚びを売るよ!
「あ、あははっ。た、高瀬さんは、ちゃんと連れてきてくれましたぁ」
「ほら、お嬢様もこう言ってますよ、隼さん。お嬢サマ、そろそろ起き上がりましょうか?」
てんめぇぇえっ、くそドS調子乗りやがって! 痛いって言ってんだろうが! せっかくかばってやったのに、なんてこと言いやがるんだ、このくそドS!
「高瀬、お嬢様に無理をさせるな」
「大丈夫ですよ、泉谷さん。そのお嬢サマ、旭さんと似たような人間ですから」
旭さんって、たしか、あのオネエの名前でしたよね? え、ちょっと待って、わたしあの人と同レベ?! まじでか?! わたしあんなに気持ち悪く喘がないよ! ドSな対応に喜んでませんよ?! 何言って……。
わたしが呆然と高瀬さんのことを見ると、高瀬さんは微かにニヤリと笑って、近くの机からあるものを取っ……それ、それはぁぁあああ!
「これ、お嬢サマの私物なんですけど。ほら、見てくださいよ? これがお嬢サマの趣味だとか」
それは、わたしのお気に入りのBL漫画! 同人誌じゃない公式なやつ! え、なんで高瀬さんが持ってるの? 高瀬さんもそっち系?
え、え、え、なんでなんで、わたしの私物って、え?
「……お嬢様」
男と男が絡み(省略)の表紙と中身を交互に見て、泉谷さんがため息を吐いてる。
高瀬さんは嬉しそうに、見下すみたいにしてわたしのことを見てる。あの顔ぶん殴りてぇ。
「あ、あの、それは、ちがくて……」
なんだって、誕生日にこんな公開処刑のオンパレード食らわなきゃいけないんだ! わけわからん!
わたしがBL好きでもそれはそっちに関係ないじゃん! てか本当なんなんだよ、あんたらは。もうやだ、もう帰りたい、帰して。
ああ、わたし、何してるんだっけ。なんでここにいるんだっけ。
「お嬢様がこのような趣味をお持ちでしたとは、さすがに幸佐様には報告しかねますが……」
「いいえ、むしろ報告して、後継者について改めて話し合いを……」
勝手に言ってろよ。そんなの、そんなのわたしに関係ない。わたしの趣味にも関係ない。
マフィアって何。厨二病もたいがいにしてよ。二次元は二次元として済ませて、現実にもってこないでよ。あんたら全然怖くないし、変人ばっかだし。そんなのの頂点になんか、誰が立ちたいもんか。
「……せん」
声、ちゃんと出て。
「マフィアかなんだか知らないけど、わたしはそんなのになる気はありません!」
言ってやった。声を張り上げて。けどめちゃくちゃ首が痛い。
わたしが叫ぶと、泉谷さんが顔色を変えた。
「お、お嬢様。お気を悪くなされたなら、謝ります。決して、このような趣味をお持ちだからといって」
その遠慮した泉谷さんの態度も気に食わなくて。
「BL趣味がなんだよ! 腐女子で悪いか!」
「お、お嬢様」
「わたしはお嬢様でもないし、お父さんなんていないし! わたしはただBL描きたいし読みたいだけ! たまには気分転換に少女漫画読んで、またBLの奥深さを楽しみたいだけ!」
「おい……何ブチギレてんだ、お嬢……」
「うっさい、くそドS!」
わたしが叫ぶと、くそドSの顔色も変わった。泉谷さんとは対照的な不機嫌な顔でわたしを見てる。でも不機嫌になりたいのはこっちなんだ! 今日会ったばかりの人に趣味を馬鹿にされて半殺しにされて!
「わたしは平穏無事に過ごしたい! 16歳までといわず、何年もずっと! 平穏に同人誌描いてたいんです!」
ああもう首が痛くて、自分でも何言ってるのかわからない。
「マフィアなんて、バンバンバンバン銃を撃ち合うんでしょ?! わたし、銃とか持ったこともないし、描いたことしかない! Mじゃなくてただの腐女子だもん。ええっ、そう、腐女子です! 痛いのもやだし、死にたくもない!」
死んだはずのお父さんが生きてて、そのお父さんがマフィアのボスでって、そんな話が信じられるわけない。
さっさとネタバラシしろよって今でも思ってる。
でもネタバラシする気がないなら、とことんドツボにはまって断ってやる!
「そんなことしてたら命がいくつあっても足りない! 腕がいくつあっても足りない! わたしの同人誌でも、読みたいって思ってくれてる人はいるのに! 描けないじゃん!」
「お嬢様、落ち着いてください。お嬢様はまだ現在のマフィアのことをよくお知りでないだけで……」
「知りたくないわぁぁあああ!」
わたしは足をばたつかせて駄々をこねた。もうみっともなすぎて涙が出てきた。
だって怖いんだもん。ここどこかわからないし、知らない人ばっかりだし、BL馬鹿にするし、いつか死にそうだし。
ねえ、まだ誕生日なんだよ。誕生日なんだからさ。
「これからも、わたしに、同人誌を、描かせてください」
多分今一番欲しいプレゼントはこれ。
マフィアなんかになったら、わたしの趣味は全部とられちゃうんでしょ。そんなの絶対イヤだ。
16年間好きに生きて、見つけた大好きな趣味。
妄想の世界は楽しくて都合が良くて、だからこんな現実は余計に嫌い。
だから、だからどうか。
「同人誌、というものを描ければ、お嬢様は後継者になってもかまわない、ということですか?」
逆をたどればそう。
わたしはむやみに頷いて、それを見て泉谷さんは優しく笑った。高瀬さんのほうは引きつった顔でわたしたちを見ている。
「なら、その願いを叶えましょう。お嬢様は同人誌を描き続ければいい。その代わり、幸佐様の後継者になってくださいませ」
「は、隼さん?!」
高瀬さんが驚いて、泉谷さんのことを見つめる。ネクタイで口を絞められた旭さんも同様だ。わたしも、びっくりしてる。
ここまでいったら「お前みたいなの、ボスの娘でもいらねーよ」って言えると思ったのに。
「あなたは間違いなく、幸佐様の愛娘様です。あなたこそラスティアのボスにふさわしい」
ラスティアのボスは、腐女子がふさわしいの? え、お父さんは腐男子ってことですか? ばかばか、そういう意味じゃないに決まってる。
微笑む泉谷さんが何を考えているのか、わたしにはまったくわからなかった。