表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

弍 払暁

本日もよろしくお願いします。


出発から、三日。今は、水口の宿場町への道中。走れば走るほど、琴葉は自分の弱さというものに打ちのめされていた。


道中は、大坂よりも酷い様子だったからだ。

半壊した旅籠屋(はたごや)で、夜を越すこともあった。

物乞いに声を掛けられることも、一度や二度じゃない。

救いたいのに、救えない。

目の前に、今にも倒れてしまいそうな人がいるというのに。


さらに、持ち金が尽きかけている。

このままでは、江戸に着く前に飢え死ぬ。

物乞いになるしかない。


明日も知れない日々、いや、明日を考えたくない日々を、琴葉は過ごしていた。


だが、そのことを蒼葉に言う気には、やはりなれなかった。僅か六歳の、小さな妹には。


「あ…… お姉ちゃん、草鞋(わらじ)の緒、ぼろぼろ」


未明、琴葉の背で仮眠を取っていた蒼葉が、まだ半分微睡みの中、下を指さした。

琴葉が草鞋を見ると、確かに緒が切れている。蒼葉を一旦降ろして、緒を結ぶ。


「あれ、これ、読売だよね? 何でこんな所に?」


そのとき、蒼葉の目に、一枚の読売が留まった。読売は大切な情報源。こんな場所に落とすとは、かなりのおっちょこちょいがこの道を通ったようだった。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」


上体を起こした姉に向けて、蒼葉は両手で握った読売を掲げる。


地震が起きてから落ち込むばかりだった蒼葉の声。

だが今は、年相応のものへ変わっている。


琴葉は思わず、頬が緩むのを感じた。


葉怪(ようかい)……? 何? お姉ちゃん知ってる?」


『葉怪の力、神を超える』


その読売には、そんな見出しが躍っていた。


― ― ―

困ったときに、神様と願われても困る。その声も、その様子も、何一つ、神には解らないのだから。自分は何もできないのだから。視界にかかる霞も、何もかも祓えないのだから。


「天照大神よ。この言姫ことひめに、お力を預けてくださりませぬか」


狂い始めた歯車は、止めなければ。全て、壊さなければ。

― ― ―


「言葉、の、妖、怪…… 」


書いてある内容を、琴葉は一つ一つ嚙み砕いて咀嚼していく。


江戸には(あやかし)が多いとは聞いたが、葉怪については何一つ知らなかった。


『言葉とは、時に剣よりもよく切れると言うが、それが具現化されたものが、葉怪と言っていい。葉怪とは、姿形は柏の葉、けれど様々な力を持つ妖。人を殺しかねない大いなる力で、攻撃してくる。捕まえれば、少々戦闘時よりは弱化するものの、強大な力を得られる』


要約すればこの通り。真、信じられそうにないことが、読売には書いてあった。


「お姉ちゃん、この先、森でしょ? ねーね、ちょっと行ってみようよ」


琴葉は眉を顰めた。妖は危険だ。遊び半分に遭いに行くものではない。けれど。


「お願い。一回行って、いなかったら諦めるから」


琴葉は自分自身の足の速さというものを自負していた。

少しは誇りというものがあるし、逃げ切れる自信もある。


何より、ずっと落ち込むばかりだった妹が、今は胸をときめかせている。

姉としては、ここで否を唱えたくなかった。


「一回、だけ、ね」

「やった!」


しかし琴葉は、答えたその瞬間に、早くも後悔し始めていた。


― ― ―

覚えている。何もかも覚えている。川の向こう岸にいても覚えている。

自分の下敷きになって冷たくなったものを。

片時も絶えず思い出し続けている。もう届かない声で歌っている。

少女は後悔していない。

ただ神様を恨んでいる。自らのいない未来を恨んでいる。

― ― ―


蔚然(うつぜん)たる森に向けて、琴葉たちは歩み出した。


これから妖と遭うつもりでいるのに、恐ろしいほど軽装備であることは自覚していた。


だが、仕方がなかった。上着は燃えて灰になってしまったし、それ以外の身を守る物なんて、もうすでに津波に流されている。


森の中は、おどろおどろしい雰囲気に包まれていた。訪れる者全てを呑み込んでいくよう

な、魔の森と表現できるぐらいに。


(うなじ)にぞわりとした感覚が走り、二人は来た道を振り返った。

もう後戻りはできない、それでいいのかと森が問うてくるようだった。

至る所に見える倒木が、地震の惨状を示している。

緑の匂いが、鼻の奥を突いては消える。


「なんか、怖いよ… 」


蒼葉は、琴葉の体にぴたりとくっついた。


今の森は明らかに異常だった。全く音がしない。

鳥や虫の鳴き声も、晴嵐(せいらん)で木々が揺れる音さえも。

聞こえてくるのは、自分たちが落ち葉を踏む音のみ。


森が意志を持って、侵入者を拒んでいるかのようだ。



「!」



災いは突然に訪れた。


琴葉は、自分の腹が鋭利な刃に切り裂かれていくのを〝視た〟


反射的に、蒼葉を抱えて大きく左に跳ぶ。


すると、裂かれていたように〝視えた〟体は、通常通りに生命の輝きを宿していて、文字通り息の詰まるような緊迫感を伝えていた。


あと一歩まで死が近づいていたことに、魂を冷やす時間すらも無く、二人は奴を視認した。


奴は、化け物だった。人が二人分の長さのある、大きな刀。

しかし、操る者はおらず、刀だけが宙に浮いている。なるほど、あれが葉怪。


燻銀(いぶしぎん)の刀身が、木漏れ日を反射してぎらりと光り、琴葉たちに向かって近づいてくる。


蒼葉が恐怖のあまり尻餅をついた。

琴葉は急いで蒼葉を背負い、通った道を全速力で駆け戻る。


草木が揺れる音。走っても、走っても、光の見えない道の先。


悪夢だと思いたい。いや、思わざるを得ない。


「は、やっ…… 」


刀は人を凌駕する速度で、二人との距離を縮めていく。


いくら足が速くても、底なし沼のようなこの森から、瞬時に抜け出すことは不可能と琴葉は判断した。


どうにかしてあの化け物を止めなければ、自分たちは数秒もしない内に斬り殺される。


先ほど〝視えた〟あの幻覚のように。


振り返り、琴葉は注視する。刀の後方に、空中に浮いた葉が一つあった。

弱点だろうと琴葉は推測して、蒼葉に声をかける。


「は、しって」

「う、うん!」


蒼葉は、思いっきり森の外へ駆けていく。


その後ろ姿を見送る暇も無いまま、琴葉は刀の正面に立ち塞がる。


一つ目の賭けに、琴葉は勝った。

刀は琴葉に注目していて、逃げた蒼葉を追うことはしない。

だからと言って、この隙に蒼葉が後ろから葉を掴む、みたいな芸当はできない。刀が大きすぎるし、すぐに気づかれるだろう。


だが、蒼葉が助けを呼んでくれば、勝算はぐっと上がる。


琴葉は高く跳躍し、近くの木によじ登る。

そこからまた別の木に跳び移り、そこからまた別の木に跳び移り…… と、刀を撹乱していく。

踊るように、鮮やかに。


琴葉が跳ぶたび、葉は擦れて(そよ)ぐ。


浮いた葉が掴めるほどの速度は出ない。

葉怪に疲れが存在するかも分からない。

よって、持久戦だ。

琴葉が動けなくなるのが速いか、助けが来る方が速いか。


「…… あ」


刀の動きが変化したのを、琴葉は確かに見た。


刀は、その巨体を斧のように扱い、周囲の木を切り倒し、琴葉の行動範囲を狭めていった。


まだ、乗り移れる木はある。なるべく早くに移ってしまいたいが、離れすぎて蒼葉の方に照準が切り替わったら困る。


時間の問題であることが、改めて琴葉の胸を突き刺す。

さらなる時間稼ぎの方法を、前頭葉から解答を振り絞る。


森は神聖で、平等だ。

こんなつもりなんてなかった、そんなこと言っていても始まらない。

進まなければ。


―― 私は飛脚の娘だから。


最後まで、届けてみせる。その決意が、琴葉に残された、ただ一つの人らしさだった。


― ― ―

少女は神を信じない。ただ走る。走り続けた先にあるものを少女は知っている。

「助けて!」

少女が転がり込んだ先が、はてさて幸と地続きであるかどうか。

全ては葉のみぞ知る。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ