第七節 証としての記録、証としてのからだ
三月――まだ空気は冷たいが、どこかに春の気配が漂いはじめる季節。
小学校生活もいよいよ終わりに近づき、教室では卒業に向けた準備や片づけが続いていた。
そんなある日、さちは母・真由美と一緒に、街の衣料品店を訪れた。中学校で着る制服の採寸のためだった。
「大きくなったね、さち」
歩きながら、真由美がふとつぶやく。
「えっ、そんなに変わったかな?」
「変わったよ。背も高くなったし……腕も脚も、筋肉がすごいもん」
さちはちょっと照れたように笑った。
店に入り、案内されたのは奥の試着室。
制服売り場の女性店員がにこやかに迎え、さちを鏡の前に立たせる。
「じゃあ、採寸していきますね。腕を横に――はい、じっとしててくださいね」
店員は慣れた手つきでメジャーを滑らせていく。だが、肩まわりや腕の太さを測るたび、わずかに眉を上げた。
(この子……ほんとに小学生?)
試着用の制服を受け取ったさちは、袖を通して上着を羽織った。
「うわ……なんか、キツいかも……」
そのとき、にぎやかな声が入り口から聞こえてきた。
「さちー!」
顔を上げると、ハルとユキ、そして母のあかねが入ってくるところだった。
「うわっ、さち、それ制服ちっちゃくない?」
ハルがにやっと笑う。
「ちょっとー、それ言わないでよ~!」
それを聞いていた店員が、真由美に向き直った。
「実はこちらの試着用制服は標準的なサイズでして……さちさんの場合、肩幅や胸囲、それに腕の発達を考えると、やや窮屈になるようです。今後の成長も踏まえて、2サイズ上を丈詰めしてご使用いただくのがよろしいかと思います」
「うちも、まったく同じこと言われたよ」
ユキが肩をすくめて苦笑する。
「ほんと? なんか安心したかも……」
さちがほっとしたように笑った。
娘たちのたくましく成長した背中と、楽しそうに笑い合う姿を見つめながら、真由美とあかねはそっと目を細めた。
「……あの子たち、本当に頑張ってきたんですね」
「うん。誇りだね」
静かに語る母たちの瞳に、ほんのりと光が宿っていた。
「じゃあ、次は体力テストだね」
「うん。全力でやり切ろう!」
3人は軽く拳を合わせ、笑顔を交わした。
──
そして、体力テスト当日。
帰りの会が終わるやいなや、4人はまっすぐ体育館へ向かった。
「まずはウォーミングアップ、入念にね!」
リンが明るく声をかける。
ストレッチ、ジョグ、軽いジャンプ。声をかけ合いながら、テンポよく身体を温めていく。
「A評価、絶対取りたいね!」
「うん、気合い入れていこ!」
最初は屋外のテスト。グラウンドに出て、50m走とソフトボール投げに取り組む。
冷たい風の中でも、4人の動きは鋭かった。
「速っ……!」
「6月よりかなりタイム縮んでる!」
次に移動した体育館では、握力、上体起こし、反復横跳び、立ち幅跳び、長座体前屈、そして20mシャトルランと続いていく。
「長座体前屈、私……前は全然だったのに!」
「ハル、記録伸びてるよ! ユキも!」
フォームの美しさと柔軟性を見たリンが、思わず拍手を送る。
「You two… really improved! Great job!」
すべての種目を終えた4人は、床に並んで座り、配布された記録表を手にした。
「さて……結果はどうかな?」
記録と評価の一覧を照らし合わせていく。
「やった……Aだ!」
「わたしも! やったー!」
ハルとユキが満面の笑みを浮かべる。
「私は……あと1点足りなかった。Bだった」
「私も……Aの手前で止まっちゃったな」
リンとさちは、わずかに悔しそうに眉を寄せたが、すぐに前を向いた。
「でも、6月の私たちからは、信じられないくらい成長してるよね」
「そう。あのときは、長座体前屈、全然届かなかったのに」
「さちは本当に変わったよ」
「体も、心も」
ハルとユキが、しみじみと語る。
さちは静かに頷いた。
「……私、最初はトレーニングなんて、自分には無理だと思ってた。でも今は――この体が、ここまで来た証なんだって思える」
視線の先にある鏡に、今の自分が映っていた。
肩には、かつてはなかった筋の浮かびがあり、
上腕もすっきりと引き締まっていた。
そして腹筋には、たしかに積み重ねた努力の跡が見えた。
もう、かつて「運動が苦手だった自分」の姿はなかった。
4人は立ち上がり、自然に肩を寄せた。
「中学に行っても、もっと強くなろう」
「“トレノ”は、ずっと続くよ」
「だって、絆は――力だからね」
差し込む日差しの中で、体育館の床に伸びる4人の影は、たしかな歩みを刻んでいた。




