第八節 新しいページの始まり
「ねえ、お母さん……変じゃない?」
真新しい中学校の制服に袖を通し、鏡の前で立ち尽くすさちが、そっと問いかけた。
真由美は、一瞬だけ言葉を詰まらせたあと、ふわりと微笑んだ。
「変じゃないよ。すごく似合ってる」
その声には、少しだけ震えが混じっていた。娘の姿を前に、これまでの月日が胸にあふれ出した。運動が苦手で、自信を持てなかったあの頃。そして今――。
「ありがとう、さち。こんなふうに変わってくれて、本当にありがとう」
「……うん。行ってくるね」
照れくさそうに笑い、玄関へ向かうさち。扉を開けると、春の朝のやわらかな風が頬をなでた。
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教室では、制服姿のクラスメイトたちが楽しそうに談笑していた。どこか大人びた雰囲気も漂う中、いつものような笑い声が教室を明るく包んでいた。
「さちー!」
ハル、ユキ、リンが手を振って迎えてくれる。
「わあ、さちの制服姿、すごく似合ってる!」
「でも……それ、標準サイズじゃないよね?」
「わっ、やっぱバレてる……!」
クスクス笑いながら駆け寄ってくるクラスメイト。
「それ、ハルが言ったでしょ?」
「だってさち、試着のときちょっとパツパツだったし」
「ユキも一緒に笑ってたじゃん~!」
明るい笑い声が広がる。
さちは、少し照れながらも口を開いた。
「……今、こうして笑っていられるのも、この身体も……3人がそばにいてくれたから。ほんとに、ありがとう」
まっすぐな声に、3人も笑みを返す。
「中学でも、ずっと一緒にいようね。“チームトレノ”は、まだまだこれからだもん」
その言葉に、全員が力強く頷いた。
黒板には、担任が丁寧に書いた大きな文字があった。
「卒業 おめでとう」
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卒業式が始まる。
体育館に整列した卒業生たちが、拍手に迎えられながら入場してくる。
保護者席には、キャサリン、マーク、真由美、あかね、たくみ――家族たちが見守っていた。
名前を呼ばれ、一人ひとり壇上に上がっていく。
「白川さち!」
「はい!」
はっきりとした返事と、堂々とした立ち姿に、真由美は思わず目頭を押さえた。
卒業証書を受け取る娘の姿。小さかった背中は、いま確かな強さを宿していた。
在校生と向かい合い、それぞれが言葉を交わす。
「ありがとう」
「忘れません」
「また会いましょう」
そして、卒業生全員による「仰げば尊し」が始まる。
さちは、そっと目を閉じた。
スイミングスクールの練習、放課後の筋トレ、笑い合った時間、悔しさに涙した日々――
次々に思い出が胸をよぎり、知らぬ間に一粒の涙が頬を伝っていた。
ハルも、ユキも、リンも、それぞれが目に涙を浮かべ、最後の音を歌いきった。
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式が終わり、拍手に包まれて教室へ戻る。
最後の帰りの会。担任は黒板を見つめながら、声を震わせた。
「みんなの成長を、毎日そばで見られたこと……本当に幸せでした。ありがとう。このクラスの担任になれて、本当に、よかった……!」
教室中にすすり泣きが広がる。
「ありがとうございました!」
元気な声がこだまし、最後の挨拶が締めくくられた。
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「ほんとに、卒業なんだね」
夕暮れの校庭で、4人は校舎を見上げながら立ち尽くしていた。
「でも、中学ですぐ会えるし」
「そうそう。“チームトレノ”は、ここからが新しいページの始まりだよ」
「うん、これからもよろしく!」
肩を組んで笑い合う4人。その視線の先には、確かな未来があった。
「じゃあ、今日もトレーニング……行くよ!」
「またそれ!? でも、まあいいか。いつも通りで!」
笑いながら校門へと駆け出す4人。
その背中を、それぞれの家族が微笑みながら見送っていた。
「おーい! 早く来てー!」
ハルの声が、夕空に響く。
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家に戻ったさちは、制服を脱ぎ、トレーニングウェアに着替える。
ふと目に入った鏡の中の自分。
すらりと伸びた脚。しっかりと筋肉のついた腕。割れた腹筋。
「……1年前の私とは、ぜんぜん違う」
小さくつぶやいたその声に、確かな誇りがにじんでいた。
「お母さん、行ってくるね!」
玄関を飛び出し、リンの家へと駆けていく。
春風が舞い、桜の花びらが空へと舞い上がっていた。
まるで、4人を祝福し、新たな物語の始まりを告げるように――。




