地図の裏
「古い記録があったんです」
翌朝、議事堂へ招かれたヴェラは、エレンの姿に少し驚いた。山の調査について聞きたいと伝えてあったため、手元には地図がある。
広げると、沢と岩の位置に重ねて、フォルマとその成否が書き込まれていた。沢の曲がりにある印は、エレンの灯りが消えた場所と重なった。
「初めて入る谷でしたが、沢も岩も、この通りでした。荷を浮かせて進む前に、記録が正しいか確かめてもらったんです」
「お連れの学者たちでは、確かめられなかったのですか」
「調べたかったのは、守備隊でお使いのものです。同行の学者が使えたとしても、皆様が使えるとは限りませんから」
あの地図のおかげで、危険な岩場を避けられるようになった。それを喜んだ時と違い、エレンは相手を黙って見ていた。
「試す前から石を置けたのは、この記録があったから?」とオーレリアンが尋ねた。
「隊長殿の灯りも、荷を浮かせるものも、これと似た組み方をしていました。あの場所で崩れるかもしれないと思い、先に灯りで試していただきました」
「そういうことなら、先におっしゃってください。何を試すのか知っていれば、部下にやらせるか、私が引き受けるかも決められます」
「説明を省きすぎました。申し訳ありません」
印の脇に残されたフォルマを、オーレリアンは読み直した。
「組み方を変えれば、この先へ通せるかもしれないね。君たちの学者は、そこまで試していない?」
「ええ。あの時、試したのは守備隊のものだけです」
「ほかの土地で使うものは、どうなのですか」
エレンは、迂回路と谷を隔てる斜面を指した。
「帝国の兵なら、そこを通れるかもしれない。荷も運べないだろうと思って、見張りを薄くするわけにはいきませんね」
「帝国のものについても、記録はあります。少し古いのですが」
ヴェラは、もう一枚を隣へ広げた。
◇
同じ山の図なのに、印の位置が違う。灯りが消えた地点を越え、谷の奥まで荷を運べたという記述もあった。
「山へ持ち込んで試した記録です。ただ、調べた年が違いますから、今もこの通りとは言い切れません」
「こちらも、一緒に見せていただきたかったですね」
「隊長殿へお渡ししたのは、道中で試していただいた分です。こちらは、会が以前から集めていたもの。帝国にも、私どもの援助で学んでいる方がいます」
「西の調査結果も、向こうへ渡しているのですか」
「ええ、読んだ方はいます。アステリアの敵だからといって、その方々との付き合いを断つつもりはありません」
「この二枚は、エレンへ渡してほしい」とオーレリアンが言った。「私の分も写させてもらうよ」
「ええ。お代も結構です」
「ありがとうございます。今度は、私から学者に頼んでみます。違う結果が出たら、閣下にもお知らせします」
エレンは帝国の記録をオーレリアンの方へ寄せた。二人が読み比べる間、ヴェラは口を挟まなかった。
やがて最初の図へ目を戻すと、待っていたように声がかかった。
「そちらには、続きもあります。閣下なら、ご興味があるかと思いまして」
続きがあると聞けば、読みたくなる。そう見越して持ってきたのだろうが、追い返してから気にするのは、もっと嫌だった。
灯りを送るだけにしては、手の込んだフォルマだった。今なら省く箇所が幾つもある。
「いつ頃の記録なの?」
「写したのは近年ですが、元は今の国境が引かれるより前だと聞いています。書いた人は分かりません。こうして写されながら、各地を渡ってきたもので」
「何を調べに行った人だろう。旅の目的は、書いてない?」
「残っているのは、この辺りを歩いた分だけです。目印にしたものの絵もありますが」
重ねてあった紙を開くと、崖の間に石碑が描かれていた。
黒く塗られた面を、いくつもの溝が走っている。正面と横から、石の形そのものを写した図だった。
オーレリアンは、卓の下で左手を握った。テオヴァルドを抱き、血に濡れた掌を押しつけた時の感触が戻ってきた。
「これも、あの谷に?」
「位置は確かめました。崖も沢も、記録の通りでしたが」
ヴェラは、絵の中央を指した。
「この黒碑だけが、ありませんでした」




